Lv.00 東堂蔵人
昔話を、しようと思う。
昔と言っても然程昔でもない。俺が俺で無かった頃、今の俺が如何に俺となったか、その原因と過程を話そうと思う。
――あ、死んだな。
大雨降りしきる中、帰宅すべく愛車で家路を急いでいた俺。宵闇プラス大雨で視界の悪い中、更に運の悪い事にフロントガラスの撥水加工も弱っていた。
そんな中で当たり前だが、視界認識が低下していた折も折、脇から小さな傘が出て来たのに気付くのが遅れ、ハッと気付いた時には目前に傘を差した幼い子供。その背後で青くなって走り寄ろうとしていた母親らしき女性が見えた。
全てがスローモーションの様で、俺はと言えばハンドルを逆に切り、子供を轢かない様に他人を巻き込まない様にとそればかりを考えていて。気付いたら目の前には壁が立ちはだかり、流石にそれを回避することは叶わず、急ブレーキも間に合わずにそのまま壁に突っ込んだ。
ドガシャンと派手に突っ込んで、エアバッグに護られたが衝撃は大き過ぎた。車は前の部分が大破し、足が挟まれて動けない。
体のあちこちに怪我をしたのか、痛みが物凄い。しかも意識が朦朧としてきて思うのは、もしかして出血がかなり酷いんじゃ無いか、と言う事。足が挟まれただけでは無く、切断されてるんじゃ無いかな、等と薄れていく意識の中で思った。
ブレーキをかけた筈なのに、これ程酷い状況と言う事は、アクセルと間違えたか、雨のせいでハイドロプレーニング現象――路面とタイヤの間に水が入り込み、ハンドルやブレーキ操作が効かなくなる現象――とやらが起きたのか、そんな事をぼんやりと考えた。
窓の外に目をやれば、泣きながら何処かに電話している女性の姿と、泣いている子供。
救急車か警察でも呼んでいるんだろうな、と思ったが、ゴメン、多分間に合わない。救助が来る前にたぶん俺は死ぬだろう。
だから、泣くな。
俺は最後の力を振り絞って窓を叩き、外の二人に合図して。
ニコリと微笑んだ。
良かったね、と言う気持ちも込めて。
幸いと言って良いのか、顔面付近は殆ど損傷が無い。だから傍目からは普通に微笑んだ様に見える筈。
笑いながら手を振れば、子供は泣き止み笑ってくれて。俺は安心して目を閉じた。
最期に見たのが子供の笑顔だなんて。結構マシな最期じゃないか?
それが、俺の最後の記憶。
――だった筈なんだけどなー。
何処よ、此処?
事故の自爆で死んだ筈の俺は、気が付いたら見知らぬ場所に浮かんでいた。
『浮かんで』、これ重要。
ふよふよと頼りなく浮かぶ俺は、どうやら魂だけの存在らしい。手も足も頭も体もなく、意識だけの状態のようで、何とも頼り無い。
目が無いのに周囲が見えると言うのも変な話だが、見えるだけでは無く音も聞こえるし、吹く風や暖かい日差しなど、どうやら五感が有るらしい、と気付く。
改めて周囲を見渡せば、何とも不思議な場所だった。
キラキラと輝く水面。其処此処で流れ落ちる水。浮かぶ雫と水晶。何とも綺麗で幻想的で、これが所謂彼の世かと考えたが、どうもイメージにそぐわない。
彼の世と言えば、花咲き乱れる光の世界、と言うのがある。…いや、これは死後の世界と言うより、三途の川の手前か? まぁ、それはさて置き、綺麗ではあるが妙に現実味も無く、有り余る存在感なのに、幻想的が故にその存在が偽りのようで。
うーん、何だこれ。素直に天国だー! と喜んで良いのか、どうなんだ?
俺がクルクル回りながら悩んでいると、ヒョイといきなり持ち上げられた感覚、と言うか実際持ち上げられた。そして涼やかな声が降ってきた。
「おや、珍しい。魂だけのお客様とは。…迷子ですか?」
「……ハイ」
素直に返事をしたのは、俺をぶら下げて話しかけてきた男に、逆らうな、と本能が告げてきたからだ。そっと見上げて、俺を掌に持ち直した男の顔をポカンと見つめる。
…何だ、この美形。
イケメン、と言う単語では余りにも軽い、『美形』の言葉が似合いすぎる男が俺を見つめて微笑んでいた。
水色の光を映し輝く銀の髪、水色の瞳。すっきりとした鼻梁に形良い唇。若干女性的な美では有るものの、充分男性に見える端正な美しさ。
何だ、これ。同じ人間か? と思わず膝をつきたくなった。
俺の折れかけた心情を知ってか知らずか、美形は微笑み愉しそうに歩き出した。
オイ、何処へ連れて行く気だ!?
慌ててもがく俺を気にもとめず、愉しそうに歩く美形は、歩きながら自己紹介を始めた。
「遅まきながら、私はラディン・ラル・ディーン=ラディン。此の水の杜の主です。貴方は?」
「水の杜? 何だ、ソレ。何処の国に在るんだ? て言うか何だ、此処?」
矢継ぎ早の俺の質問に、美形――ラディンは呆れたように口元を歪ませる。
「質問したのは私なんですけれどねぇ。まぁ良いでしょう。大方の予想通り、此処は貴方の知る世界では有りません。所謂異世界、と言う所です」
予想していたとは言えラディンのその言葉に暫し茫然とする。
それで貴方のお名前は? と訊かれて、慌てて俺も自己紹介をする。
「俺は東堂蔵人。あ、コッチ風に言うならクラウド・トウドウ?」
「蔵人ですね。それで貴方は魂だけの存在となって、此の水の杜に迷い込んで来たと。…事故にでも遭われましたか? それとも自殺? 通り魔?」
死んだ事前提で原因を訊ねるラディンに、俺も隠す必要は無いので素直に事故だったと答える。一応子供を庇った故の自爆だと説明して。
俺の説明をラディンは頷きながら聞き、「それでは事故後どうなったか確認してみますか?」と、とんでも無い事を言い出した。
「はぁ? そんな事出来るのか!?」
俺の質問にラディンは笑って右手を動かした。
ポウ、と掌に光が集まり、ほんの少し上に雫が集まり水球が創られる。そしてその中に揺れる映像が現れた。
「…ッ!」
其処にあった映像に思わず息をのむ。
花で飾られた祭壇、喪服の集団。泣いているのは――母だ。
泣く母に寄り添い支えるのは、涙目の従姉妹。弔問客に挨拶する弟、厳しい顔付きで立つ親父の前で頭を下げているのは、あの時の母親だ。子供の姿も見えるが、葬式なんて初めてなんだろう。訳も分からず連れて来られた、って顔をしている。
責められてるのかな。お前等のせいで俺が、って? そんな事無いのに。強いて挙げるなら、多分俺の方が悪かった。幼い子供に注意力を求めるのは酷だし、視界が悪かったとは言え注意力に欠けていたのは俺だ。
寧ろ、俺が死んでまで護ろうとした命だ。助かって良かった、と言って欲しい。
映像だけで音声が無いと、何が行われているかサッパリ判らない。俺の不満を感じ取ったのか、ラディンがそっと俺を撫でた。
「…貴方の御家族は強いですね。貴方が亡くなった事は哀しんでいますが、遠因を作った彼女等を責める事無く受け入れている」
ラディンの言葉に肩の力が抜ける。そうか、泣いているのは責められているからじゃ無いのか。
ホッと息を吐く俺に、ラディンは尚も続ける。
「貴方が最期の瞬間、微笑んでいたのなら、後悔など無い、満足して逝ったのだろう、と。謝罪をされるより、息子が助けた生命、どうか大事にしてくれ、と言っています」
よし、流石親父殿! 俺の意を汲んでくれるぜ。
実体があれば思わずガッツポーズしていただろう。そんな俺を余所に、ラディンはもうお終い、とばかりに掌に有った水球を霧散させた。
「話が判った所で、立ち話も何ですから。私の館に行きましょうか。お茶くらい出しますよ」
…それは有り難いが。今の俺の状態で茶なんか飲めるんだろうか?
取り敢えず俺はそのまま、ラディンについて行く、と言うか拉致られたのだった。
結論から言おう。
お茶飲めたよ。凄ぇな。
ラディンに連れられて着いた先、水の館はやはりと言うか何と言うか、キラキラしい不思議な場所だった。
其処で説明されたのは、ラディンは彼の属する異世界の、傍観者、らしい。
世界が恙無く回っているか、見守るのが仕事だそうだ。
神様か? と訊いてみた所、そんな大それた存在ではない、と言った。
が。
世界が破滅に向かいそうになった時、それとなく介入するとか、異世界間の転生や召還、移動が出来るとか、加護やスキルとか言う特殊能力を与えられるとか、充分神様じゃね? とか思ったんだが、彼はやっぱり涼しい顔で否定した。
「覗き見が趣味と実益を兼ねた仕事、時々占い師、偶に魔王、です」
…いや、もう何も言うまい。
ラディンと言う男はどうやら相当な物好きらしい。
魂だけの存在で、水の杜に辿り着いた俺を大層気に入り、何と此方の世界に転生させてくれると言う。
「普通はね、自分の世界で転生を重ねたり世界に同化したりするんですよ。魂だけの存在で界を渡って私の元に辿り着いた貴方に敬意を表して、融通利かせて差し上げますよ?」
未練が全く無いなら別ですが、と笑うラディンに、俺も暫く考え込む。
未練が無い訳では無い。ただ、他人からしたら何言ってやがる、こん畜生、と言われかねない未練だ。
実は俺、東堂蔵人は傍から見たら結構なスペックの持ち主だった。
学力は常に学年五位以内に収まり、運動も出来た。特に祖父が武道の師範だった為、剣道は全国にも行けた。顔はイケメンでは無かったが、ブサメンでも無かった為、流行りの髪型やファッションに乗っかれば、そこそこ見れた。
後は清潔感と話題、女子へのそれと無い気遣いで、全くモテない訳でも無かった。…お友達でいましょう? が多かったがな。
で、何が言いたいかと言えば、俺は結局ソコソコ止まりだった、と言う事だ。
どれもこれも上には上が居る。俺より運動が出来なくても、模試では全国一の奴とか、バカだけどサッカーでプロになった奴とか。
一芸に秀でている奴にはどうしても勝てなかった。
贅沢な悩みと言われても仕方ないが、努力しても努力しても、俺より上の奴が居る、と言うのが心残りだった。
その旨を伝えると、ラディンは暫く考えてから、俺に言った。
「では、努力すればするだけ結果が残るような、新しいスキルでも作りますか。努力すればしただけ、身に付いて更に上を目指せるスキル、と言う事になりますが宜しいですか?」
この世界、体力とか魔力とかレベルなんて言う目に見えて判るものは無いらしい。流石に冒険者や軍属の人間は判らないのは拙い、と言う事でタグに凡その表示がされるそうだ。
レベルが有るのはスキルの方で、熟練度、が示されるそう。
とは言え、スキルが無いと何も出来ないと言う訳では無い。それでは日常生活に困る。
例えば料理をするとして、スキルを持っている者と持たない者、両者を比べた場合熟練度が低い内は両者に差は無い。だが熟練度が高いとその差は歴然となる。らしい。そしてスキルは初めから付与されているもの、後から習熟度に応じて付与されるもの、と誰かにとって特別では無く、当たり前に身に付いていく物だそうだ。
俺が大きく頷いたのは言うまでもない。
「後、サービスで色々付けときましょう。努力を惜しまない人間は好きですよ」
そんな言葉と共に俺に贈られたスキルと加護は、以下の通り。
限界無限(限界無くスキルや体力、魔力等を上げられる)、脳内情報検索閲覧(思い浮かべた情報を、脳内で検索閲覧出来、古今東西、全ての媒体に記されたものなら何でも調べられる)、水の杜の客人(隠し加護、水の杜の関係者に便宜を図って貰える)
以上三つの特殊スキルと加護を貰い、尚且つ。
転生先は両親が美男美女の、国 王 夫 妻、だそうだ。
…オイ、盛り過ぎじゃね?
思わず突っ込んだ俺は悪くない。そしてそれに対するラディンの返答だが。
「最初から低いハードルで甘く生きるか、努力するかは貴方自身の選択です。私としては是非、努力の道を歩んで欲しいですね」
ニコリと笑うラディンに、ハイと答えるしか無かったのは言うまでもない。
そして俺は俺となった。