ダメな大人
電車に乗りこむ。
5駅先まで進み、一度降りて乗り換えをして2駅目が目的地だ。
夕方の車内は学生とスーツのおじさんたちのすし詰め状態。そんな状況なのに女子高生が3、4人ほど堂々と床に座って大声で話し、それを見てみぬふりをする大人たち。
(そして、俺も見てみぬふりをする大人だ)
誰の邪魔もしないように扉に体重を預け、ひっそりとイヤホンで大好きなバンドの曲を延々とリピートしていく。
不思議と電車に乗っている時が、もっとも俺がこの世から必要ない人間だと感じてしまう。所狭しと人がいる空間。お前なんかが一人分のスペースを使ってるんじゃないと言わんばかりの空気。大人は誰もが疲れ切った顔をし、声を押し殺し、時折くる揺れに負けないように踏んばる。
―――君はまだそんな経験をしていないだろ? 責任もなければ、守るものもない。これから歳を重ねて、今のまま生きていけるほど世の中は甘くないぞ…
二十歳になった時、今とは違うバイト先でふとした休憩時間に店長に言われた言葉。
(あの時のまま歳だけ重ねてます。それでもなんとか生きてますよ)
優先席に座っていたおばさんは女子高校生を煩わしそうに睨んでいた。そして携帯が鳴りだし、躊躇なく電話に出た。
ガタンと電車が大きく揺れて止まる。左右から押されながらも乗り換えをすると、正直鼻をつまみたくなった。
隣にいる中年のサラリーマンがとても汗臭く、熱気を発し空気を淀ませる。なんて運がないんだろうとため息を落としてしまう。
(本当は家から一歩も外を出たくなかったな)
アニメやゲームに囲まれ、身内意外とは一切関わりを遮断する。好きなことだけをして生きれたらどれだけよかったか。
(働き口を見つけれただけでも、本当によくやったよ俺)
自分を褒めて勇気づけて、なんて惨めな人間だ。誰かこんな俺を助けてくれないだろうか。
「…隆二さんに会いたいな」
こんな俺を拒絶しない。
こんな俺に優しくしてくれる。
こんな俺にご飯をつくってくれて、家にも泊めてくれて…
気づけば俺の顔は真っ赤になっていた。
「俺、馬鹿か! 何考えてんだ。これじゃ、まるで…」
電車が止まる。思わず走ってホームを駆け抜け、駅を出る。
「最悪だ。俺、最悪だ!」
恥ずかしくなって無我夢中で走る。行先は一つだ。このペースだとすぐに到着してしまうだろう…
(し、しんどい)
すぐに着くとと思っていたけど、体力のない俺はすぐにばててしまった。
気が付けば、隆二さんと出会った公園まで来ていた。ちょうど駅とマンションの中間くらいの場所だ。
(俺の全力は10分しかもたないか… 情けない)
公園の遊具は錆びついて、あまり人が寄り付かない意味がわかった。
一度ベンチに座り込む。時計をみればまだ18時過ぎだった。
「7時の約束だから、まだ時間には早いか… どうしようかな。ん? あれは」
砂場のど真ん中にある像の形をした滑り台。そのおなかあたりには、小さなトンネルのような空洞がある。俺はそこにいる少年に思わず声をかけた。
「君、一人?」
驚いた顔の少年は、かなり警戒するように俺を見上げる。
「ああ、俺はコンビニの店員だよ。朝、一度目が合っただろ?」
少年は思い出したような顔をしたが、それでも彼は警戒を解かなかった。
「まあ、怪しいのは変わりないか。ま、俺も昔はよく一人で帰ってたから君のこと気になったんだ」
「…変態」
ようやく言葉を発したかと思うと、それは俺の予想外の答えだった。
「な、ち、違うよ。別に君にどうこうしようってわけじゃないんだ… えっと、そのさ」
声をかけたはいいが、なにと言ってあげればいいのかわからなくなってしまった。
とりあえず、相手の目線までしゃがんでふと思ったことを言ってみた。
「俺、友達少ないんだ。君さ、俺と友達になってくれない?」
少年はカッとなり噛みつかんばかりの目で俺を睨んだ。
「…ばっかじゃねえの。俺は別に友達が少ないわけじゃない。馬鹿な他人と一緒にいるのが嫌で、自分から一人でいるんだ! 同情なんてするな!」
「あ、そうだ。君さ、魔法少女マジョデアルカって知ってる? 俺、すげー好きなんだ」
俺は鞄に入れていた小さなフィギアを見せてあげた。少年は、今度は呆れたように言った。
「それガキが観るアニメだ。しかも、女子が観るもんだろ、それ」
「あ、はは。面白いんだけどな」
「俺、知ってるぜ。お前みたいなやつのこと。『オタク』っていうんだろ」
悪意のない言葉が胸に刺さる。
「否定は出来ないけど、面と向かって言われると、ちょっと傷つくなー」
「え、ごめん。別に、傷つけるつもりじゃなかったんだ」
俺は思わず笑ってしまった。彼は俺の言葉一つ一つに表情をコロコロと変える。
「ふふ。君、優しいんだね」
「笑うなよっ」
今度は、顔を真っ赤にして怒った。最初よりも年相応な怒り方だ。
「ごめん、ごめん」
「で、お前の名前は?」
「え?」
「友達になるなら名前教えろよ。俺は工藤たける、小5だ。お前が友達少ないって言うから仕方なく友達になってやるよ」
偉そうだけど照れ隠しである態度が、なんだか可愛らしかった。俺は一人っ子だから弟がいたらこんな感じだろうか。
「ありがとう。俺は、藤代悠太だ。よろしくね、たけるくん」
俺たちは握手をした。その瞬間、俺は一瞬息を飲んでしまったが、少年にはばれなかった。
彼が腕を伸ばした瞬間、服の袖が少しめくれ、一瞬痣のようなものが見えた。俺はそれについて触れることができず、ただなんでもないようなあたり触りのない話をして、別れた。去っていく後ろ姿になぜだか不安がよぎった。
(大丈夫かな。もしかして、いじめられているんだろうか)
胸のあたりがもやっとした。俺にできることはなんだろうか。
(小さな子どもを助けてあげることもできない。俺、本当に大人になれてるんだろうか)
空が薄暗くなっていく中、俺はゆっくりとマンションへ向かって歩いた。
小学生に声をかける23歳。下手をすればタイホーですね。