去る人
気付けばもう誰かと恋などしてはいけないのだった。
それは罪だからである。
不貞だかなんだか知らぬが法律で決まっていて、法破りを密かに重ねた私は時々言い様の無い不安に襲われた。
誰彼が裏切りという名の偽善、いや、偽善と言う名の裏切りか、どちらでもよい下世話な私の過去を掘り返しては
またそれを聞き付けた別の誰それから、それは事実か、お前は汚い最低の裏切り者だ、もう顔も見たくない!と言われるに違いない。
あるいは私の身の上を知り弱味を握ったような気で、何らかの脅迫めいたことをする者が居ないとも限らない。
全ては自業自得であり、身から出た錆びであり、口は災いの元他ならない。
妻の素行に疑いを抱き真実を知ろうとした男、何か知らないかと男に問い詰められ、その妻の愚行を白状した友人でもある女、そこで女からの同情か罪滅ぼしか怨みか復讐のつもりか、男と女は一夜を共にしていた。
実に面白い事実であり、間抜けで滑稽であった。
しかし不幸中の幸いとはまさにこのこと。
藁にすがり藁を得たかのような気持ちで話の折り合いをつけ、月日の経過により夫婦関係は何事もなかったかのようになった。
その反面、友人関係は呆気なく終わったのだった。
この友情は一生モノと信じて疑わなかったがこのザマである。
私が事の発端であることを忘れてはいけないが、誰も何も悪いことなどしていないじゃないの、と言いたかった。
知らぬが仏、あとは見ざる言わざる聞かざるの猿真似を演じていてくれればよかったのだ。
実際は全てが悪で、誰一人正しくなどないのだった。醜態を晒しただけにすぎない。
しかしなぜ恋を繰り返すのかと自分にもほとほと嫌気がさしていた。
疑似恋愛と言ってもいい。
ふと恋物語の渦中から我に返ると、お芝居を演じていたような気分になった。
ああ、このお芝居の続きはもういいやと、猿芝居だったと、それこそあっさりと疑似恋愛の相手である主人公から去りたくなるのである。
それはそれで罪深いと気づいた。
そしてまた恐ろしくなるのだ。恨まれるということに。
潔白な身でも過去の過ちにより被害妄想に苛まれて怯えることもしばしばだ。
もう繰り返すまい。
盲目の疑似恋愛のあとの虚しさは独りよがりの自慰行為の如くだった。
友人関係も男女関係もその繋がりたるやなんて脆くて希薄なのだろう。
希薄でもいい、波風をたてないでいてくれればそれでいいのだ。
浅はかな私はそれを願うのみであった。
新たな愚恋を繰り返さないとなると想いにふけるのは過去のこととなり、結局自ら記憶を掘り返している。
しかし自ら回想する過去の恋愛は不思議と美化されていて心地がよい。
関係の終わり方によっては、あれは純愛で運命的でと、羞恥極まりないことを第三者に真面目に語り出すのだった。
所詮色恋沙汰の話は下世話であり、酒の肴にはなるが、後に始末が悪くなる可能性を酔った頭では考えられないのである。
さて、そうなれば保身の為、見ざる聞かざる言わざる。いよいよ私は猿同然。あるいは沈黙の羊。
きっと誰かがまた陰口を叩くのだろう、『つまらない女になったなぁ』と。