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黄昏の刻  作者: 瀬田茉莉
序章
1/13

約束



 夕闇が迫り、小さな公園を赤く染めていた。


 昼間、狭い敷地を駆け回っていた子供たちは家路につき、人気はない。

 幾つかの小さな遊具が、何処かもの悲しげに長く影を伸ばす。


 そこに、一つだけ揺れる影。


 二つしか乗る場所のない小さなブランコ。

 その内一つがキィキィと、軋んだ音を立てる。


 その音に、押し殺した泣き声が微かに混じった。


『……っ、ひ…っく…』


 誰も居ない公園でたった一人、ブランコに腰掛けて泣く子供。


 まだ小学校にも通っていないような年齢の子供だ。

 しかし、背中まで届く長い黒髪は一部が不自然に切り落とされ、服から露出する腕や足には無数の傷が存在した。

 転んだような擦り傷から、刃物のような鋭利な傷、火傷のあとのようなものまで。

 白く柔らかそうな肌には「遊んでいたときに怪我をした」と考えるには、不自然なほど傷が存在していた。


『ふ…っ、ぇえ……!』


 弾力がありそうなくらい大粒の涙をボロボロと零しては、擦り傷のある小さな手で頬を擦る。


『―――娘、何故泣く?』


 擦りすぎて頬が赤くなった頃、声がかけられた。

 男の声だ。鋼の如く硬質な男の声。


 だが、公園にはそれらしき男の姿はない。

 遊具と子供以外には、影すらも存在しない。


『……みん、なが…ひどいこと、するの……っ』


 子供は顔を上げない。

 俯いたまま、しゃくり上げつつ答えた。


『先刻、主を「気味が悪い」と罵った童っぱどもか』

『ちがう、の……。みかちゃん…たちは、仲間外れにするけど、かみの毛、引っぱったり…転ばせたりしないもん……』


 姿なき男の声に、子供は鼻をすすりながら緩慢な動作で首を横へ振る。


『では、誰が』

『「黒いもやもやの子」たち……』


 のろのろと絆創膏だらけの指を空中へ向ける。

 その本来は何も存在しないはずの空間で―――「何か」が蠢いた。

 そして、「何か」は俯く子供の頭上へとゆっくりと迫り、


 ―――その空間を、一陣の風が薙ぐ。


 風圧で子供の髪がふわりと舞い上がり、顔が顕わになる。

 涙に濡れていた大きな目をぱちくりさせて、呆けたように顔を上げた。


 子供の目の前で、「何か」はぎこちなく蠢き……やがて霧散した。


『こやつらか』


 問いかける男の声に、子供は目を丸くしたままこくこくと頷く。


『……そうか、やはり主も……か。まだ稚い童だというのに、なんと哀れな。これでは、恐らく成人を迎える前に……』


 不意に、抑揚のない男の声に、一匙の憐憫が篭る。


『……娘、生きたいか』

『生き、たい……?』

『死にたくはないか』

『死……?』


 それまで、子供は自分の生死について考えたことなどなかった。

 だが、「死」というものが恐ろしいという認識くらいはあった。


『や……!死ぬの、やだぁ……っ!』

『そうか、では―――』


 ぐにゃりと目の前の空間が歪み、いつの間にか誰かが目の前に立っていた。


 背が高くて、たまに見る時代劇の登場人物のような格好をした、知らない人。

 その足元には、自分とは異なり影が存在しなかった。

 けれど、子供は不思議とその人が怖いとは思わなかった。


 ガシャンと、硬いものが擦り合わさる音を立てて、子供に目線を合わせるようにしゃがむ。

 少し目尻に皺の寄った釣りあがり気味の目は優しく、何処か安心感さえ覚えた。


『娘、拙者が主に仇なす魔を退ける刀となろう』

『え……』

『―――拙者が、主を護ろう』


 真摯な眼差しが、子供の大きな目に映る。


『まもるって……?』

『主のそばで、あやつらを追い払ってやる』

『そばに……?いっしょにいてくれるってこと……?』

『そういうことになるな』

『ほんとうに……?』

『無論だ』

『ほんとの、ほんとに?』

『武士は嘘などつかぬ』

『ぜったい?』

『ああ。……では、こうしよう』


 期待と疑いの眼差しで何度も確認する子供に苦笑し、小指を立てた。

 その意図を理解し、子供は一回りも二回りも大きく無骨な指に、自分の指を絡めた。


『ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼん、のーます』


 他愛のない童謡と共に、呪が結ばれる。


『ゆーびきった!』


 勢い良く指を切った子供は、泣き腫らした顔に無邪気な笑顔を浮かべた。


『いっしょだからね、約束だからね!』

『ああ、約束は違えぬ』

『ぜったい、ぜったいだから!』

『ああ』


 傷だらけの子供と、影のない甲冑の男が、黄昏の中交わした小さな、不可思議な約束。


 その小さな約束が十数年の時を経て、大きな流れを変えることになるとは―――今はまだ、誰も想像すらしていなかった。



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