斜めの部屋
斜めの部屋を知っているだろうか。科学館によく置いてあって、小さい頃に遊んだ思い出があるひとも少なくないはずだ。
床が十八度ほど傾いていて、傾いた床と垂直に、家具や柱が設置されている。家具は滑らないようにばっちり固定されている。
十八度はありふれた勾配だ。世界中のどこにでもある坂道程度の傾斜。我々はそれを難なく歩くことができる。しかし、斜めの部屋ではそうはいかない。
部屋の中の人たち(大体は無邪気なちびっこ)は十八度の勾配をそれ以上に感じ、まるで重力が二倍になったかのごとく、傾斜を転げ落ちる。どたどたどた、という鈍い足音ときゃあああ、という奇声をあげて。
人は無重力に憧れるが、重力が増せば、それはそれで面白い。この部屋の空間は蠱惑的で、病みつきになる。だから悲しいことに、教材として十分な役割を持たず、一種のオモチャにしかなりえない。誰もジェットコースターがどのような原理で動いているのか考えないのと同じだ。百歩譲って、この部屋の不思議に疑問を持つちびっこがいたとしても、その年齢で理解するには少し難しいのだ(そんな珍妙なちびっこなら、あるいは理解できるのかもしれない)。だから正直な話、この部屋が科学館に存在する意義に関しては非常に疑わしい。
ところで斜め部屋の仕組みについてであるが、それは平衡感覚が正しく働かないためである。平衡感覚を主に司るのは三半規管だ。耳に備わっている器官で、中に液体が入っている。その液体の傾き具合を察知して、自分の体がどのくらい傾いているのかを脳に伝えることができるのだ。しかし、それだけでは体の傾きを十分に察知できない。だから人はそれを視覚で補うようにできている。目を閉じて片足をあげて立つのは、三半規管が鍛えられている人でないと困難であるが、目を開けていれば容易である。このようにして、視覚は体の傾きを知る上で、大きな役割を果たしているというわけだ。
斜めの部屋では、視覚による傾きの判断ができなくなる。自分の体以外の全て、家具や柱や部屋の内装が斜めに傾いているという状況、すなわち世界が全て傾いて見える場合、視覚は自分を世界に合わせようとする。つまり、自分も床と垂直になろうとするわけだ。備えつけ家具は留め具でしっかりと固定されているけれど、我々は踏ん張り切れない。
坂道の勾配による重力に、目の錯覚による重心の変化が加わり、重力が増したかのような感覚に囚われる。これが斜めの部屋のトリックだ。