第一話 イミネント・アブノーマル 8
静かな工事現場にエンジンが近づいてくる。さっきのトラックとは違い、よく聞く普通車両のものだ。
「さすがは対応の速さとタイミングに定評のある警視正」
「えっ!?」
平山先輩がボソッと言ったことに思わず声を上げてしまった。
薄暗い中で皆の視線がこっちに向けられるのが分かる。
「そんな偉い人が来るんですか!?」
警視正といえば、ドラマとかでは大体署長とかだ。
「安浦さん、旭署の副署長さんよ」
天野先輩も何でもない風の表情を浮かべている。
予想より一つ下がったけど、それでも副所長だ。普通に上の方の人じゃないか。
「よく来てもらえますね」
「今の署長さん、キャリア組で反りが合わないんですって。安浦さん叩き上げの現場警官だったから」
そうこう言っていると、あの不良が乗ってきたトラックのある現場入り口で、シルバーのセダンが止まった。
ドアが開閉される音の後、こちらにブラウンのジャケットを着た中年の男が歩いてくるのが見える。あの人が安浦さんだろう。
さっぱりとした顔立ちで、見た目にも若々しさのある人だ。
「例の犯人はどこだ?」
「こちらです」
松木先輩が安浦さんを未だ泥の上で大の字に転がる不良のところに誘導した。
刑事さんはジャケットの懐から懐中電灯を取り出し、不良の顔に青白い光を当てる。
「おおぅ」
思わず、といった感じの声が聞こえた。
まあ、そりゃ顔が凹んだ人間見たらそんな声も出るだろう。俺は見てないけど。やったの俺だけど。
「真理ちゃん、これじゃよく分かんないから顔、直してくんない?」
「あ、はい」
真理がいそいそと刑事さんの方に駆け寄っていく。
…………あの不良の顔、そんなに酷いのか。
ちょっと見たくなったが、既に真理が直し始めていた。
残念。
不良の倒れている所で、一際明るい光が起きた。一日にして見慣れてしまった彼女の能力だ。
「直りました」
不良の顔を見てみると、たしかに最初に見た時の状態だった。
「おい、起きてっかー?」
安浦さんは屈んで不良の顔を何度か叩き、声をかけた。しかし、不良が目を覚ます様子はない。
「ちっ、面倒だな」
おもむろに安浦さんが立ち上がる。
それから、泥の上に寝転がる不良の股間に、まるでシュートを決めるサッカー選手みたいに蹴りを入れた。
ああ、見ているだけでこっちが痛い。
「もいっちょいくか」
ダメ押しとばかりに、もう一発蹴りが入る。
「…………ダメか」
効果はなかったようだ。
男にしか分からない「あの痛み」を二回分も味わうなんて、敵(?)ながら可哀想になってきた。
「和枝ちゃん、水出してこいつにぶちまけてくれる?」
「はーい」
天野先輩の足元から真理と同じような「領域」が広がる。能力を使うのだろう。
今のうちに見ておいたほうがいいかも知れない。
先輩は不良の顔の上に手のひらをかざした。すると、真理の時よりも弱いが、先輩の手がうっすらと青色に近い光りを放ち始めた。
光と一緒に、何か透明でぐにょぐにょと動くものもその手にまとわりつくように集まっていく。
「あれが彼女の能力、『潤澤の枯井戸』です」
気が付くと松木先輩が背後に立っていた。
「領域内では水の状態を自由に操ることができます」
ということは、先輩の手を囲んで流動するあれは領域のどこかにあった水なのだろう。言ってるそばから、天野先輩は手の周りに集まったその水を不良の顔に叩きつけるように浴びせた。
終始笑顔なのがなんとも言えない。
バケツ数杯分と思われる量の水が不良の顔はおろか、全身に降り注いだ。
気管に水が入ったのか、不良はすぐさま噎せながら目を覚ました。
そして目を覚ますなり上半身を起こし、同時に傍らの天野先輩に殴りかかるような動きを見せる。
しまった、とそう思い、体を動かそうとした瞬間だった。
不良の動きが止まった。
正確に言うと、奴の身体が空中に固定されていた。
天野先輩に向けられた拳も、強力な接着剤で止められたように微動だにしない。
「おいおい、女の子に手ぇ上げるなんて、おじさん感心しないなぁ」
そう言いながら、安浦さんは動くことのない不良の腕を掴んで引き、不良を立ち上がらせた。
手を離された不良はわずかによろめく。
さっきのが松木先輩が言っていた、最初の「生存者」だという安浦さんの能力だろう。
「なんだてめぇオラァ!」
さっきからこの不良は同じようなことしか言ってない気がする。
「ん~? 俺? 俺は街の平和を守るおまわりさんだよ?」
「サツがなんだってんだ殺すぞ!」
不良が今度は安浦さんに向かって殴りかかる。
「はぁ、やめときなよ」
又しても不良の動きは止められた。安浦さんは呆れたような表情を作っている。
「君、まだ中学生だろ? 君みたいに自分の力の使い方をを間違っちゃうのはよくあることだけどさ、人を傷つけたりやたらに物を壊したりするのはやっぱり悪いことだよね。だからちゃんと反省してもらうために、おじさんみたいな人達が頑張って仕事してんだ、そんじゃ、一緒に来てもらうよ」
…………中学生からこれじゃあ大分将来が思いやられるな。
不良はしばらく何も言わずに立ちすくみ、やがて一歩踏み出した。
それを見ていた全員が一瞬気を抜いた。
その時だった。
奴は近くにいる天野先輩を突き飛ばし、身を翻してクレーン車の方に向かって走りだしたのだ。