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負けパターン

「敬遠。する?」

 「お前、勝負させろ、って顔に書いてあるぞ」

 大鉄は苦笑いしながら、麗華の顔を覗き込む。

 麗華は不機嫌にそっぽを向いて「そお?」と言った。

 「いいのよ、あたしのプライドなんて。打たれて試合に負けたんじゃなんの意味もないんだから」

 「まあ、確かにここでもう一点取られたら……」

 と大鉄は真顔になって、一度玉川をちらと見て、ため息をついた。

 「鳥羽相手に四点取るのは難しいな」

 「じゃあ敬遠しましょう。あたしのことならお気遣いなく」

 「いや、確かに俺もそう言いにきたんだけど、お前の目を見て安心したよ、お前、ちょっと打たれるとすぐいじける性格だったのに、成長したんだな」

 大鉄が仁のことを言っているのは麗華にも解かったが、麗華はにやりと笑った。

 「女は好きな男のためなら、いくらだって強くなれるのよ」

 「女?」

 だが大鉄は面倒臭そうに顔をこわばらせるだけだった。

 「いえ、なんでもないわ」

 「ま、まあ、いくらあいつだって十割打てるわけじゃないんだろうし、ぎりぎりの臭いとこつきながら様子を見よう」

 大鉄はそう言うと首をかしげながら帰って行った。

 ――もう、全部本当のこと言えたら楽なのに、キーッ――

 「なんども振り返るんじゃねえよ、ばかやろう」

 玉川は鳥羽に怒鳴られて、ようやくバッターボックスに入った。

 足の震えが止まらない。

 ――そんなになんどもマグレなんて出ないよ――

 さっきの打席の記憶は完全に飛んでいる。

 どんな球種をどんな風に打ったのか、全く憶えていなかった。

 それが玉川を余計に不安にさせていた。

 だが、試合には勝っている。

 勝てばまた鳥羽と野球ができる。

 負けたらその場で終わる。

 玉川にとって大事なのは、下手な野球を十年近くもやっていたことではない。

 鳥羽と一緒にやっていた、ということだけが、唯一他人に誇れる矜持なのである。

 プロへ行った友達と、ずっと一緒に野球をやっていた。

 大人になって、それだけが自分の人生を支えてくれるはずだ。

 仕事が終わり、夜テレビをつけると自分の友達がプロ野球のエースとしてそこに映っている。

 なんの取り柄もない自分にとって、それがどんなに誇らしい思い出になることか。

 ――勝たなきゃ……勝たなきゃ――

 朦朧もうろうとした頭に、それだけがなんども木霊する。

 灼熱の炎天下、応援席ではブラスバンドが幻想的なほど執拗に同じメロディーをくり返しているが、玉川には全く聞こえていない。

 鳥羽は甲子園の出場経験こそなかったが、プロ野球のスカウトがなんどか家にきたと、言っていたことがあった。

 だが、三年間、予選で負け続けたとしたら、彼らはそんな無名の投手を本気で誘ってくれるかどうか。

 できれば甲子園に行って、プロのスカウトにもっと鳥羽の名前を覚えてもらいたかった。

 たくさんの球団から上位で指名してもらいたかった。

 ――勝つんだ、勝つんだ、勝つんだ……――

 鬼気迫るほどの蒼白な顔でなんども呪文のように、心の中で強く念じた。

 ――困ったな――

 大鉄は独り、マスクの下で顔をしかめていた。

 あんな風に言ってみたものの、変化球はスライダーもフォークもほぼ完璧に対応されてしまっている。

今日の仁のカットボールではとても勝負球には使えない。

 二回戦のあの時は、やつの指が出血していたからよく曲がってくれただけで、今日はあの試合のようなキレがない。

 ストレートにもほとんどタイミングが合っていた。

 ――いや、待てよ――

前の打席で、唯一打ち損じてくれたのはストレートだった。

最初にストレートをファールされたことに惑わされすぎていたのではないか。

 いい当たりは二球とも変化球だった。

 ――あのスイングの速さに、俺が一番ビビッちまったんだ――

 本当は低めの変化球が得意なのかも知れない。

 初球、ちょっと勇気が要るが、内角高めに思い切り速いストレート。

上下に揺さぶってみよう。

――いくらなんでも仁の速球を、そう簡単にジャストミートはできないさ――

 大鉄の配球は一見博打のようだが、絶好球とウイークポイントは意外と紙一重であることが多い。

 打者は甘いボールがきたことで、思わず力んだりボールから目を離してしまったりするのである。

 高めとはいえ、仁の伸びのある速球ならば、並みの打者であれば空振りに終わったであろう。

 だが。

 「がおおおおん……」

 玉川はこの、見送ればボールだったかも知れない高めの球に、見事にバットを被せてしまったのである。

 濁りのない金属音が球場に木霊した。

 ――やられた――

 今度はジャストミートだった。

 打球はまるで弾丸のように空を切り裂き、ライト遠藤の頭上を超えていく。

 ――入るな、入るな――

 大鉄は祈るような気持ちで、ボールの行方を見守った。

 この試合最速と言ってもいいくらいの速球だった。

 悔やまれるが、あの速球をあそこまで完璧に打たれては、二塁ランナーが還るのは仕方がない。

 ――だが入ったら、ホームランになっちまったら――

 四点目が入ってしまう。

 今日の鳥羽から五点を取るのは無理だと、大鉄は思っていた。

 ――入った……?――

 ボールがフェンスを越えてしまった。

 観客のどよめきが丸い球場の中で渦を巻いた。

 さすがの大鉄も途方に暮れ、一瞬呆然と立ち尽くした。

 ――いや――

 塁審が指を二本立てている。

 エンタイトルツーベースだった。

 ――た……助かった――

 遠藤の影でボールがよく見えなかったが、打球はワンバウンドしてフェンスを越えたようだった。

 高めのボールにバットを被せるように打った打球は、ドライブの回転がかかっていたのである。

 この場合、ルールでは打者・走者ともに二つ分の進塁が許されるため、打った玉川は二塁打、セカンド走者の七篠は、ホームインが許される。

 ――三点目か。キツイな……――

 三日月山に、値千金の一点が入ってしまった。

 ようやく一点返した直後に、長打で追加点を入れられるというのは典型的な劣勢のパターンだった。

 しかも、相変わらずワンアウト・ランナー二塁のピンチが続いている。

 だが、大鉄はまだ前向きに考えている。

 その根拠は鳥羽が強打ではなく送りバントをしたことだった。

 それは、ミスというものとは別物なのだろうが。

 大鉄にとって鳥羽は、玉川と同じくらい嫌なバッターだったのだ。

 そんな曲者が、犠打とはいえ簡単にアウトになってくれたのは正直助かったと、大鉄は思っていた。

 あそこで鳥羽がヒットを打っていたら、沢高のピンチはこんなものでは済まなかったであろうし、ピッチャーである鳥羽が、体力と精神力が大きくものを言うこの終盤でヒットを打てば、それはピッチングにも影響するであろう。

 ――まだ首の皮一枚でつながってる、ってことさ――

 見ればマウンドの仁は、今度は泣いていなかった。

 次のバッターは、すでにバントの構えをしている。

 ――玉川の足を考えれば、盗塁は、まずないと思っていいだろう。だったら……――

 一球目、外角にスライダー。

 麗華は投球が終わるのと同時にダッシュする。

 これがランナーにプレッシャーをかける。

 バッターはぎりぎりまでボールを見極めようと前のめりになる。

 投球は外角に外れるボール。

 バッターは寸前にバットを引く。

 セカンドランナーは味方のバッターにフェイントをかけられ、中途半端に離塁する。

 ――そこがねらい目なのさ――

 大鉄は、一歩横に踏み出し、セカンドへ。

 強肩の大鉄の送球が風斬り音を上げてセカンドに発射される。

 それは観衆も息を呑むほどの、麗華の速球と大差ないくらいの剛球だった。

 塁審が「アウト」のコールを叫んだ。

 麗華と何度も練習したサインプレーだった。

 送りバントの際のセカンドランナーというのは意外と熟練が必要なのだが、ランナー玉川の離塁が素人であることを瞬時に見破った大鉄の隠れたファインプレーだったのである。

 ――もう一点もやれない、無駄なランナーも出さない、出せばまた玉川まで回る。それには……――

 玉川本人をアウトにするのが一番なのである。

 大鉄の頭はすでに先の先まで考えていた。

 気落ちした六番バッターは、その後あえなく三振にたおれたのだった。


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