第一章-2
ベースキャンプから少し離れた場所にロギゥはいた。少し森が開け、そこには若干の草原があった。
ベースキャンプに戻ったロギゥはエルウナの手伝いは終わったし、今晩と明日の朝用の食料調達は終わっていたのですることもなく剣の素振りをしていた。とはいってもその姿はただの素振りとはちょっと異様な状況だった。
何もないところに縦横無尽剣を振り、時にはガードをする。吹き飛ばされるように体を投げ出したり、何かから必死に避けるように転がるような場合もある。
これはロギゥが自身で編み出した修練法で、クナタクトにわざと幻術を掛けてもらっている。
その幻術に自ら深く嵌り込み。無制限に出てくる魔物や時には圧倒的に格上なドラゴン等に挑む場合もある。
もしも、幻術内で死亡した場合3日ほど意識を失う(実際に死亡させる幻術も存在する)がそれがペナルティとしてほどほどの緊張感が湧くため、只の素振りよりも実践的な修練になる。
最初はただのイメージトレーニングでしかなかったのだが、クナタクトが面白がり「もっとリアルにしてやろぅ」などと言っていきなり目の前の景色が変わり目の前に自分の数十倍の体積があるドラゴンが出てきたときにはロギゥもわけも分からず死を覚悟した。もちろん幻術内で死亡し3日3晩うなされたのだがそれは別の話。
3日3晩うなされた後、クナタクトに掛けてもらえるように頼んだ。
ロギゥの場合は魔法耐性が0なので何があるか分からないと言われたのだが。
少年はその時初めて人に殺気を覚えた。
そんなこんなで、今はその修練をしている。
草地の近くで、クナタクトは先ほどもらったマルンの実をもごもごさせて楽しんでいた。
そもそも、魔法とは何なのか?
以前ロギゥがそんなことをクナタクトに興味本位で聞いたことがある。
魔法とは精霊やマナなどと言われるが、魔法とは自分の魔力をこの世界に充満する『存在の証明』に与え、その現象を引き起こすものである。
『存在の証明』が何なのかはいまだに分かっていない。ただそれは存在し、魔力を与えることでその存在を引き出すことが出来るのである。存在の証明はどこにでもある、のではなく何にでもあるのであって、それがたとえ空想であってもそれが存在する。もちろん火等の単純でとらえやすいものであれば簡単に出すことが出来る。
要するに存在し(または想像でき)その事象による効果をイメージ出来れば後は魔力に応じて魔法を起こせる。
理論上は何でも出来るのである。新たな生命を生み出し、成長させ反映させることもできる。世界を崩壊させ消し去ることも出来るのであるが、人間を初めそこまで優秀な思考を持つ者は稀なため現存する魔法は少ない。
世界崩壊の魔法等は人の怨嗟や憎悪を使い過去何度か魔王と呼ばれる存在が発動を試みたこともあったが、いまだ成功していない。発動はしても、それはせいぜい大陸を半分消し去る程度のものだったと言われている。
存在の証明が「精霊」等と呼ばれるのはそれに意思が存在するかがまだ分かっていなく、また意思の存在を証明するような事例が過去に存在しているためである。また、その精霊の意思を使った魔法も存在するのである。
しかし、「存在の証明」にコンタクトを求める行為をしてもその反応が得られない。書物にはそのような魔法も存在すると言うが、実際にあるかどうか過去の魔王による世界侵略で消失してしまっている。
また、意思が存在していた場合、なぜ呪文という概念で同じ現象が存在するのかが説明できない。
そのため、意識の存在はこれまで否定も肯定もされてこなかった。
呪文というものも、実際にはあまり実用的に使われないことが多い。
魔法が研究され始めて「存在の証明」の存在が明らかになったことによりすぐれた魔術師にとって呪文が必要でなくなった。いや、定形化された呪文の必要性が薄れていったという表現のほうが正しい。
複数名で使う大規模魔法などはイメージの統一が必要なためより正確な呪文(というよりは式に近い)を使うが、個人で放てる魔法はより個性を重視した形を使う、今まで通り言葉を使用する者、リズムやイントネーションで発動する者、体(おもに手足)を使うなど。中には絵を描く者までいる。
要するにより強く明確にイメージできれば条件を選ばないのだ。
今、ロギゥに掛けている幻術はクナタクトが自身の記憶をトレースして作った幻であった。
幾度となくロギゥの顔が苦痛に歪む。しかしその眼光は揺るがず、目の前にいるであろう魔物と戦っていた。
「ふむ、どこまで持つかの…」
ロギゥのその姿を見ながらクナタクトは目を細めた。