切り取られた明日
内陸部の深い山間に、廃れ、錆び付き、時代の波に取り残された、街とも呼べない場所があった。人口わずか五千人程度の田舎町。そこで育ったアレックスとマークは、そんな場所に常々、激しい嫌気が差していた。
「やっと金も貯まった。潮時だ」
「そうだな。やっとだ」
まだあどけない顔の彼らが、妙に大人びているように感じられる。
海に行こう。二人がそう約束したのは、十歳の頃だった。
地元で有名な売人、〈クリスタル・ギラージ〉。
埃を被ったテンガロンハットに、擦り切れてボロボロになったウエスタンシャツ。本人が三百五十ドルで買ったと言っていたが、つかまされたのだろう〈カーバイン〉という聞いたこともないメーカーのジーンズを着込んだ、白髪の混じったマスタッシュの口髭をいじくり回す、いかにもな風体の体格のいい男だった。
常にタバコとビールを片手に、羽振りのいい子分を数人従え、乗り回している車は趣味の悪いゴールドにカスタムしたマッスルカー。
「俺に酔いしれろ」
意味のわからない、この言葉が男の口癖だった。
まだ成長期で身体も出来上がっていない子供たちを集め、売人の真似事をさせていた。アレックスとマークもまた、廃れた街角に立って、草臥れた大人たちに質の悪い薬を売りつけ、小遣いを稼いでいた兵隊の一人だった。
今はもう、彼らしかこま使いが残っていない。他の子供たちはすぐにこの怪しい男についていくことをやめ、元の惨めな生活へと戻っていったのだ。ギラージは、従順に残り続けた数少ない子分である二人のことを、奇妙に気に入り、同時に目をかけてもいた。
だからこそ、ギラージはよく二人を殴った。酔うと尚更、タチが悪かった。真意のわからない質問や口癖が続き、少年たちの反応が悪くなる度、体格差をいいことに暴力で支配しようとした。大人の大男の拳骨の前に、彼らは黙って殴られるしかなかった。
「今日もやっぱり殴られちまったな」
「ああ、だがやっぱりギラージさんは金を持っている。黙ってついて行けば、このクソみたいな牢獄でも安泰だ」
彼らの生まれる遥か前から、賑わいを見せていた地元の産業は、主に映画産業だった。一時的には人口も五万人を超え、街の中央には華々しいモニュメントが立ち、最盛期を迎えていた。
だが、そんな状態がいつまでも続くはずがなかった。時が経つにつれて産業は衰え、徐々に人口は減少していった。
彼らの親もまた、そんな萎んでいく街に取り残されたものたちだった。荒んでいった街と比例して心も荒み果て、ネグレクトに家庭内暴力の末、愛想を尽かした妻たちは、他の街から来た男たちと出ていった。
片親になる前からだったが、アレックスとマークは遠出や旅行といったことを一度たりとも経験せず幼少期を過ごした。
この街に続く主要道路には、今も虚しく『ウェルカム・トゥ・ムービータウン』の文字が残っている。劣化と風化で見るも無惨に削れたその看板は、誰も通ることのないゴーストタウンへの案内板としてしか機能していなかった。
アレックスが十歳の冬、酒を切らしたという些細なことで親にめった打ちにされ、家を飛び出して廃墟となった映画館に避難した時のことだ。かつての栄光の跡がゴミとして散乱し、至る所に巡らされた見るに堪えない落書き、誰かが酒盛りをした残り滓に沸く虫。そこは現実に疲れた時に来る、二人の絶好の隠れ家だった。
「なんだ、お前も来ていたのか」
暗闇から声をかけてきたのはマークだった。マークもアレックスと同じような理由でこっぴどく殴られ、家を飛び出してきていた。
「ハハッ、俺たちは本当に似たもの同士だな」
暗く、暖房ももちろんない寂れた場所で、少年たちは埃とダニに塗れた汚い毛布を
拾ってきて身を寄せ合った。そうして、互いに夢を語った。
「いつか、海を見に行こう。こんな汚い写真なんかじゃなく、本物の海を」
アレックスの手に広げられた、色褪せた大昔の映画パンフレットには、ところどころ印刷が薄くなっている箇所があったが、その表紙には若者が無邪気な笑顔で夕日の沈むビーチを走っている写真が載っていた。
「ああ、そうだな。絶対に二人でこんなところ抜け出そう」
彼らが子供の頃に親と一緒に見た、思い出の映画。ラストシーンは海にみんなで向かって走って終わるという、お粗末な内容だった。
だが、それこそが彼らの幸せの絶頂の記憶でもあった。あの時は家族全員でテレビの前でポップコーンを食べながら、確かに幸せに暮らしていたことを思い出す。
二人は涙を流しながら一夜を明かした。
荒む大人たちしかいない街でも、少年たちは同じ境遇のお互いを信用し、信頼して、決して生きることを諦めていなかった。
そんな日々が続いていたある時、ギラージの管理している街外れのスタッシュハウスから、クリスタルメスの袋が二キロ分、綺麗に消えた。
関係していた者、すべてが容疑者だった。全員がトレーラーハウスに集められた。
「これで各々の手足を縛れ。キツくな」
ギラージが、並べられた子分五人の前に、土埃で汚れた袋に入った長めのインシュロックを放り投げた。彼らは黙って、キツく互いを拘束し合った。
管理者のファニットが最初に尋問された。尋問といえば聞こえがいいが、実際は手足を縛られ、眉間に銃を突きつけられるだけだ。
「お前が管理していて何故こんなことが起きる? 俺に酔いしれてなかったのか?」
怒っているのか笑っているのかわからない表情で、歯を剥き出しにして問いかける。
ファニットはすぐさま跪いた膝の隙間を真っ黄色に濡らし始め、声も出せないほどの恐怖から、ブルブルと首を横に振るだけだった。彼の臆病な性格を買っての管理者認定なだけあって、そんな度胸は「子ウサギ」と陰で揶揄される彼にはなかった。
続いて、運び屋のクラックヘッド・ジョーにマグナムが突きつけられた。
目が四六時中飛んでいて、頬がコケた汚い髭面の中年の男は、すでにトリップしていたのか、怯える様子もなく、口元を緩ませながらゆっくりと首を横に振った。
次が本命だったのか、ギラージは撃鉄を起こし、トリガーに指を掛ける。参謀のディッキーに問いかけた。
「まさか、俺に一番酔いしれてるお前じゃねぇだろうな?」
冷や汗を垂らしながら、短く刈り込んだ頭から湯気を上げているが、ディッキーは
「違いますよ。そんなこと俺がするわけがないでしょう!」と必死に唾を撒き散らして弁明していた。
いつでも撃てる状態のまま、アレックスとマークの番がやってきた。
「そいつら最近こそこそと一緒に帰ったりして、何か企んでますよ。へへっ」
ディッキーが顔を引き攣らせながら、自分の番じゃなくなったのをいいことに言い放つ。
「お、俺たちにそんなことする覚悟なんてありません!」
アレックスが答えた。マークは青ざめた顔を下に向け、黙ったままだった。
「お前か」
マークの頭頂部にマグナムの銃口が突きつけられた。パニックになったマークは、涙を流しながら命乞いを始めた。
「どこへやった?」
「お, 俺の家の地下室です! すみませんでした!」
ギラージの握ったマグナムのグリップが振り下ろされ、マークは泡を吹いて失神した。その勢いのまま、隣のアレックスの頬をも殴りつけた。地べたに這った二人の片付けとブツの回収を三人に命令すると、ギラージはナイフを床に突き刺し、タバコに火をつけてトレーラーハウスへと戻っていった。
「下手なことをしやがって。お前たち、なんてことをしてくれたんだ……」
股下をぐしょぐしょに濡らしたファニットが愚痴をこぼし、コツンと拳骨で二人に一発ずつ入れる。
「とにかく、こいつらを担いで車に乗せろ」
ディッキーの指示で二人がアレックスとマークを引きずり、配達に使うボロボロのバンへと押し込んだ。あとの三人も乗り込んで、マークの家へと向かった。
古びた空き家のような家に到着すると、男たちはマークを強引に降ろし、ブツの場所へと案内させた。
「こ、こっちです……」
マークは弱々しく足を前に進め、案内する。
とても子供が住むような家ではなかった。全く行き届いていない室内は埃とカビの臭いが鼻を突き、父親らしき人物も見当たらなかった。
ギシギシと足音をさせ、一行は地下室へと降りていく。マークが先頭、続いてファニット、ジョー、ディッキーの順に続く。
その頃、バンの車内で気絶から目覚めたアレックスは、必死にもがいた。華奢な子供にはキツすぎた締め付けのインシュロックが、手首の皮膚を割いて鮮血に染まり始める。強引に千切ることを諦め、車内のゴミ溜めのような汚さの中から、カットできるものを探した。
鈍い色で切れ味の悪くなったナイフを見つけたアレックスは、器用に手首から切先を入れ、結束バンドを切り裂いた。続けて足首も解放する。
「待ってろよマーク、お前を一人で死なせはしない。死ぬ時も一緒だ」
右頬が腫れ上がり、口からは血の鉄の味がしたが、アレックスはバンのドアを開け、よろよろとマークの後を追いかけた。
階段を降りてすぐ、地下室の心許ない電球が灯る。
「あっちです」
マークが奥の木箱を指差した。ファニットとジョーが警戒しながら木箱に近づいた瞬間、乾いた音が二回、暗がりに鳴り響いた。
「な、なんであんたが……」
マークは音にビクッと反応したが、硬直したかのように目を見開いて動かなくなった。
ファニットとジョーが床に倒れ、血を流してディッキーを恨めしそうに睨みつけながら絶命した。
「うまくいったじゃないか。よくやったぞマーク」
ディッキーは、この無知な少年たちを使い、ギラージの大事なブツを盗ませていた
黒幕だった。
「いよいよ俺の時代だ」
ディッキーがヤニで汚れた歯を全開に、不気味な笑顔で笑う。
「さて、お前らにはもう一仕事してもら──」
その時、ライフルの音が地下室に激しく響いた。アレックスとマークが耳を抑え、顔を顰める。
「やっぱりお前だったのか。俺に酔いしれていないと気づいていたよ」
構えたライフルを降ろし、ギラージが呟いた。その後ろには、いつの間にか追いついていたアレックスの姿があった。
アレックスは階段を勢いよく降りると、切れ味の悪いナイフでマークの拘束を素早く解いた。
「危なかったな!」
「ああ!」
そう言って、激しく抱き合う二人。
「ところで、俺の大事な荷物はどこだ」
ギラージは今夜行われる、大きな取引のことで頭がいっぱいだった。
「あそこです」
マークがまた、木箱を指差した。
「どれどれ、スイーティーはここか」
不適な笑みを浮かべたギラージが箱に近づいた瞬間、四度目の銃声が響いた。
「お、お前ら……」
血に塗れた胸を押さえ、大の字に倒れこむギラージ。銃を向けたアレックスが近づいて、その手からライフルを奪い取った。
「散々、殴ってくれたな」
「これは俺たちからの駄賃だ」
二人はハンドガンとライフルを大男の頭部に向け、一発ずつ、冷酷に引き金を引いた。
クリスタル・ギラージ一味が物言わぬ肉塊となって寝そべる場所から、地下の入り口、そして地上へと続く動線まで、途切れることなく携行缶のガソリンを撒き散らすと、そこへ容赦なく火を投げ入れた。
「さぁ、もう一仕事だ」
「ああ、行こう」
二人は激しく燃え盛る家を背に、平然と歩き出した。
その家はマークの家などではなかった。寂れた街によくある、誰も使っていない廃墟の家。もちろん周りにも誰も住んでいない。そこで何が起ころうと、法や人の目に感知できない無法地帯。夜空を焦がす火事を通報する者など、このゴーストタウンには誰一人としていなかった。
二人はギラージのトレーラーハウスに戻ると、溜め込んであった五万ドルを、汚いベッドの下の金属の小箱から取り出した。
「やったな!」
「ああ、俺たちが勝った!」
二人は腕を組み交わし、勝利に酔いしれた。
絶望色に染まった過疎地で、逆境に負けることなく希望を抱き続けた二人が立てた計画は、すべて完璧にうまくいった。
ディッキーを唆してブツを強奪させ、ファニットとジョーを始末させる。同時に、ディッキーの反乱を裏でギラージに流しておき、ギラージの手でディッキーを始末させる。そうして最後は、油断したギラージからすべてを掻っ攫っていく──。
こんなにもうまくいったのは、大人たちが絶望色に染まって、怠慢に生き続けていたからだろう。
アレックスとマークは、十五歳。
未来への希望を掴み取った彼らは、くすんだゴールドのマッスルカーに乗り込むと、力強くエンジンを吹かした。バックミラーに映るゴーストタウンを、振り返ることはもう二度とない。
オレンジ色の太陽が沈む、あのパンフレットから切り取ったブルーオーシャンへ向かってアクセルを踏みこんだ。




