5.雨に濡れたらそういう約束
春は天気が変わりやすい……と、朝に出勤してきた従業員の誰かが言っていたが、それをいちいち気にしていられるほど俺には余裕がなかった。
何せ、昨日の売り場にいた謎の美少女から駄菓子に対する挑戦状を叩きつけられてしまったのだから。
もちろんそれだけじゃなく、不敵に笑みを浮かべる美少女があまりに可愛すぎて思考が停止してしまったというのもある。
鈴菜もほんわかして可愛い女子ではあるが、鈴菜とはまるで違う魅力があったせいかあの時間帯は完全に心を奪われたというのが原因だ。
「ふ~~~~~~」
そんな精神状態なものだから、自分の席に着いた途端に友人らに余計な心配をさせてしまう構図が出来上がってしまう。
「どうした、貴俊? 朝からそんな盛大なため息なんかついて」
「早太には関係ないことだから気にしなくていい」
「おれに相談してみ? 浅木以外の問題なら河神神社で解決出来るかもしれんよ?」
三人しかいない友人の中で一人だけ相談歓迎の奴が紛れているのだが、そいつは河神早太といって実家が神社で、世話焼きを通り越してお祓いまでしてくれそうな勢いのある奴だ。
そしてそういうのが鋭いのもあって、俺の中では微妙に頼りにしたりする。
「ちなみに今日は雨が――」
「降るよ。天気が変わりやすい季節だしな」
「マジか……雨が降るってことは俺も濡れるじゃないか」
「俺も? 傘ないの? てか、雨にそんな恐れんでも……」
あったら濡れないし、濡れない方がいいに決まってる。俺が雨を恐れるには理由があるが、その原因はズバリ鈴菜だ。
「雨が降ったら約束を果たす必要が……あぁ、いや早太には無関係な話だから聞かなくていいぞ」
「……何となく分かるから聞かないでおくよ」
察しのいい友人で助かる。
河神が言っていたとおり、昼休み前に雨が降ってきた。そうなると必ず前の席からやってくるのが――
「――貴俊く~ん。傘忘れちゃったよ~……どうすればい~い?」
……うん、やっぱり折りたたみ傘すら持ってきてるはずないよね。分かってた。
「それでね、それでね……もし放課後までずっと降ってたらさ~貴俊くん、いつものお願いしまぁす~」
「分かってますよ」
鈴菜との密かな約束は一年の頃からずっと継続している。その中身は、雨に降られた時にお互い傘がなくて二人とも濡れて帰ることになったらその時は――。
「今日ウチの家族がね、帰ってくるの遅いんだ~!」
「……つまり、鈴菜さんのお家へ遠慮なく来いと。そういうことで合ってます?」
「合ってま~す! 放課後まで乞うご期待! だね~」
「いや、俺は濡れたくないし、鈴菜さんの家に行ったら着替えの服がないんだけど……」
大丈夫大丈夫! などとお気楽な表情を見せながら、鈴菜は自分の席に戻っていった。
「きちんとやってやりなさいよ?」
……何をだよ!
などと、以前はいちいち反論していた時もあったものの、相手が相手なので深くは言わないことにしている。
「言われなくても!」
「あっそ」
昼休み時間にずっとグチグチと嫌味を言ってくる音川だが、雨が降った時の放課後はどういうわけか俺たちの前に姿を見せず、必然的に二人だけにされる場合が多い。
考えたくないが、鈴菜と音川との間で秘密の取り交わしでもしたんじゃないかと疑う時がある。
そんなこんなで放課後になっても、一向に雨が止まずその時を迎えてしまった。
鈴菜の家は支店からさらに先のタワーマンションの中にある。当然ながら、二人ともずぶ濡れ状態で鈴菜の家に急ぐ必要があるわけだが……。
どういうわけかタワマンのエントランスホールへ入る手前にミニ公園があって、土が剝き出しの未舗装エリアが存在する。
晴れの日はまだいいものの、雨でもそこを必ず通らなければならないため、走り抜けようとするものなら確実に汚れるという罠が存在する恐ろしい場所だ。
予算をケチって舗装せずに公園にしたとどこかで聞いた気がする。
「それじゃ~貴俊くん。猛ダッシュだぁ~!」
「転ぶのだけは勘弁を!」
今さら無駄なのに鈴菜はミニ公園を走って抜けようとするので、
「平気平気~って、はわぁっ!?」
……泥まみれですね、分かります。
「ほい、とう~ちゃく~!」
「酷い有様ですね」
「ん~……まぁだ、敬語ですかぁ~? そういう貴俊くんにはお仕置きだぁ~!」
――で、どうなるかというと。
「ふぅ~……」
人様の家で風呂に入ることが確定する。初めの頃はシャワーだったが、鈴菜が寒そうにしていたうえ、目のやり場に困るとかでお風呂になった。
目のやり場に困るのは俺の方なんだが。
「お湯加減はどう~?」
「電気温水器だからとても一定の温かさです」
「そういうことじゃなくて~! はい、じゃあお湯から出て背中向けて~」
「あ~はい」
幼馴染という見えない制約でもあるかのように、鈴菜は俺と裸同士の付き合いがあっても何とも思っていないらしく、雨に濡れた時だけ一緒に風呂に入るというイベントが必ず発生する。
初めてそういう場面に遭遇した時は俺が逃げ出してしまったが、どうやら鈴菜はその手の経験や知識が皆無で、男女の意識をしたことがないのだという。
果たして天然で片付けていいのか不明だが裸同士でこれなのだから、俺が間近にいるのにもかかわらず、人のベッドで眠りこけるのも全然平気になってしまったのだとか。
……ちなみに丸見えなのは背中とか後ろに限る話である。
こんなんだから守ってあげたいランキングに選ばれてしまうのかもしれないけど、恋愛関係になるかというと、そんな可能性はないと断言出来る。
「ん~気持ちよかった。俺、先に上がるんで鈴菜はゆっくりどうぞ」
「……あ、うん」
俺だけ先に上がり、乾燥機で回りまくる自分の制服を眺めながら立っていると、浴室の中から聞こえてくるのは独り言のような俺への質問攻めだ。
「貴俊くんって全然平気なのかな~?」
「何がでしょう?」
「ずっとずっとずっと、見てるのに……どうしてなのかな~?」
俺が返事を返してもそれに対する返事がないというか、独り言としか思えない言葉が続いているだけなんだよな。
「触れてもこないって、何で? って思うんだよ~」
自問自答なのかと思うくらい浴室でずっと喋っているが、俺では解決出来そうにないので、こういう時は適当にバスタオルを借りて部屋で待つことにしている。
「聞こえてないかもだけど、部屋で勝手に休んでますんで!」
……やはり返事はない。
鈴菜の家の人は帰りが遅くリビングに誰もいないので、鈴菜が風呂から出る時まで部屋で待機してもいいことになっている。
夜までいるわけじゃないのでそこはセーフなのだが。
雨が降って二人とも傘がない時の約束――それは、いわゆる混浴で背中を流し合う――という、よく分からないnotムフフなイベント。
お互い意識してないからこそ出来ているわけだが、それでいいのか幼馴染ってなっても、鈴菜にその気がないなら俺も割り切るしかなくなった。
それにしても遅い。
まさかのぼせて倒れているんじゃないよな?
「た~か~と~し~……お~いお~い~お~たすけ~!」
うわ、マジでのぼせた系か?
「ほへぇ~……汗が止まらないよぉ~」
……と思ったら、バスタオル姿の鈴菜が座り込みながら困り果てていた。
俺にどうしろと?