後半
火星には「クリスマス」のような地球文化はこれっぽっちも伝わっていないらしい。
火星出身のイゴールによれば、地球で風流を気取る爺さん婆さんが得意気に語っていた「冬の風物詩」とやらは、実際は地球に閉じたローカル文化でしかないそうだ。
なんだか久々に愉快な気分になったので、私もこれからあの赤づくめのヒゲ爺さんを「サンダークロス」と呼ぶことにしよう。
そんな風に心に決めた、数日後のことだった。
「マーニャにプレゼントがあるんだ。クリスマスにはだいぶ早いけど」
月面宇宙港の職員用休憩室。
予想もしていなかったイゴールの言葉に、私は息をするのも忘れて固まった。プレゼント? 私に? 疑問符だらけの思考が、グルグルと巡る。
「スクラップにされる直前のロボットをたまたま拾ってね。部品を継ぎ接ぎして修理したんだけど……そういえばマーニャには、相棒ロボットがいなかったなと思って」
「あぁ、うん。そういうこと」
「特に高価なモノじゃないから、気楽に受け取ってくれると嬉しいんだけど」
イゴールが差し出してきたのは、手のひらに乗っかるサイズのネズミ型ロボットだった。
ネズミかぁ……火星ではそうでもないんだろうけど、地球では割と嫌悪されるイメージがある動物だよね。そういやハムスターは人気のペットなのに、どうしてネズミはあそこまで嫌悪を向けられているんだろうか。
そんなことを考えながら、私は気がつけばその小さなロボットを受け取っていた。
「はじめまして、マーニャ! アタシの名前はラッキィ」
「縁起の良い名前だね」
「ふふん、アタシはご主人様に幸福を運ぶネズミだからね。火星のネズミは縁起物。小さな体で狭い場所に入り、誰かが落とした貴金属類を拾ってくるんだよ」
ふふ。実に火星らしい、あまりにも即物的で身も蓋もない幸福観に思わず笑ってしまう。
「まぁいいか。よろしくね、ラッキィ」
「よろしく、マーニャ! アタシ頑張るから」
「ほどほどで良いよ。緩くいこう」
そんな風にして私は、小さくて可愛いらしい相棒ロボットと一緒に暮らし始めることになった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
暮らし始めてすぐに、ラッキィはとても有能な働きっぷりをみせてくれた。
「――翻訳機の調子が悪いの? アタシに任せて! すぐに修理してくるからね」
彼女はそう言ってインカム型の翻訳機を持ち去ると、翌朝にはきっちり修理して持って帰ってきた。使い心地も良くなったし、家計的にも大助かりだ。
「――掃除ロボットの基盤を交換しておいたよ」
「――カプセルベッドの蓋、ガタガタじゃん。安全面から考えて、月では寝床の気密性は大事なんだよ」
「――オーブンがポンコツ過ぎるよぉ。あれでクッキー焼くの大変なんじゃない?」
私の身の回りに溢れる不便さを、ラッキィは一つずつ解決してくれる。家事もこなす上に、話し相手としてもすごく楽しい。短い間に、私はすっかりラッキィのことを気に入っていた。
科学的には「幸福を運ぶ」だなんて全く意味のない言葉なのだけれど、実際ラッキィがうちに来てから良いことがたくさん起きていた。
例えば、ティーカップが割れてしまった翌日には、宇宙港の取引所で売り子のおばちゃんに呼び止められる。
「マーニャちゃん、紅茶好きだったわよね。実は新しいティーセットが手に入ったんだけど、ちょっとデザインがあたしの趣味じゃなくてねぇ。良かったら貰ってくれないかい?」
そうしてすごく素敵なティーセットを頂いた。
また別の日には、安価な固形食に飽き飽きしているところに、職場の爺さん上司が箱いっぱいの野菜や果物を持って現れる。
「火星の実家から大量に届いたんだが、使い切れなくてな。マーニャちゃんは料理する子だったろう。持って帰ってよ」
そんな風にして、私の生活はなんだか分からないうちに良い方向へと変化していった。
紅茶を飲みながら、部屋の窓から外を眺める。
月面には無機質な岩がゴロゴロと転がるばかりで、普通の地球人から見れば、風流の欠片もない光景だろう。だからこそ、今の私にとっては心地よい場所なのだけれど。
ただ……こうして小さな幸せを噛み締めている時ほど、私の身には理不尽が降りかかるのだ。そんな全く科学的じゃないジンクスを、どうしてか私は捨てきれないでいる。
「マーニャ? どうしたの、泣きそうな顔して」
「ラッキィ……いや、なんでもないよ」
そう答えながら、私はなんだか重苦しい気持ちで地球時代のことを思い出していた。
MA-28α型。
それが、人間工場で生産されたクローン素体である私の製造品番だった。マーニャという名前も仲間内だけの愛称のようなもので、品番から語呂合わせのように雑に付けられたものだ。
クローン元である金持ち婆さんと初めて面会したのは、私が五歳頃のこと。
『あなたが十八歳になったら、私の自我や記憶を貴女の脳にダウンロードすることになるの』
『あなたはそのために製造されたのよ』
『乗り換え用のクローン体に自我を与えず短期間で培養することも、技術的には可能よ。でもそれじゃあ、ちょっと風流さに欠けると思わない? 限られた人生を目一杯生きる命の輝き……それはとても尊いものよ』
『どうか健康に気をつけて育ってね』
婆さんの言葉を咀嚼するのには、かなり時間がかかったけれど。要約するとどうやら私は婆さんが乗り換えるための身体として生み出され、十八歳で人生が終わるらしかった。
事実を知った当時はかなり落ち込んだ。しかし人間工場には私と全く同じ境遇の仲間がたくさんいたから、互いに励ましあってなんとか生活していた。
特に一つ年上のシルヴィアとは親友のような関係で、互いのクローン元に対する文句を夜通し語り合ったりしたものだ。
『マーニャ。もうすぐ私の自我は上書きされて無くなるけれど……私の短い人生の中で、貴女との思い出は一番輝いている大切なものだよ。最後のクリスマスは、盛大にお祝いしようね』
そうしてシルヴィアと二人、互いのプレゼントを買うためショッピングモールに向かっていたのだが。
事故が起きたのはその時だった。
私の視界には、暴走したホバー・スクーターがシルヴィアめがけて突っ込んで来るのが映っていた。
『――シルヴィア、危ない!』
無我夢中で、親友を突き飛ばす。
刹那、私はスクーターに跳ね飛ばされた。
目が覚めると私の左腕は義手になっていた。嫌味婆からは『乗り換えるのは別のクローン体にする』と見捨てられた。しかしそれより、私にとって辛かったのは、シルヴィアの辛辣な言葉だった。
『あんたが余計なことをしなきゃ、事故に遭ってたのは私だったのに! 上書きを回避する最後のチャンスだったのに! 自分だけ、自分だけ生きる権利を与えられて!』
あの恨みがましい目が、忘れられない。
私が退院するまでの間に、シルヴィアの自我は予定通りに上書きされたらしい。私は左腕を失い、存在意義を失い、親友を失い……そしてカラッポの心のまま自由を手に入れた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
今日はクリスマスだけど。
そういえば最近、イゴールと話してないな。
そんなことを思いながら取引所で紅茶葉を物色していると、売り子のおばちゃんがヌッと現れて私の背をボンボンと叩いてきた。
「どうだい、彼氏とは上手くやってんのかい?」
「……彼氏?」
「んん? なんだ、まだ付き合ってなかったのかい。あんな粋なプレゼントを用意してくれたんだ、あんまり待たせちゃ可哀想だよ?」
彼氏……と言われて思い当たるのはイゴールくらいだけど。粋なプレゼント? ラッキィのこと? ちょっと理解が追いつかない。
「ほら、地球産の高価なティーセットだったろう。直接渡したら遠慮しちゃうってんで、彼氏に頼まれてあたしから渡したんじゃないか」
まさか、イゴールが……?
その瞬間、脳内に弾けるような衝撃が走る。
まさか。まさかまさかまさか。
私はおばちゃんに頭を下げると、宇宙港の構内を全力で駆けた。地球の六分の一の重力が身体をフワフワと浮かせるのがもどかしい。もっと速く走りたいのに。私の考えが正しければ、イゴールはきっと……。
そうして、イゴールの職場へとたどり着く。
彼の姿はないが、同僚のおじさんを見つけた。
「すみません、イゴールいますか!?」
「お嬢さんは……マーニャさんだったかな。ここしばらく、イゴールの奴は休暇を取ってるよ」
息を整えながら、私は問いかける。
「あの、イゴールは最近……何か廃棄の機械部品を持ち帰ったりしませんでしたか?」
「あぁ、色々と持って帰ってたぞ。壊れた翻訳機とか、掃除機とか、オーブンとか……」
「ああ、もう! イゴールのやつ!」
確定! あれもこれも、全部イゴールの仕業だ!
私は再び駆け出しながら、自分の心臓がドクドクと脈打つ音を確かめていた。馬鹿イゴールめ。あとラッキィも共犯だな。あぁもう。走りすぎたのか、顔が熱いんだが。あいつには色々と、色々と責任を取ってもらわなきゃ。
そうして走って走って、イゴールの部屋まで来ると、そこにはあいつの相棒ロボットであるムイムイが天井から逆さまにぶら下がって待っていた。
「いらっしゃい、マーニャ嬢」
彼はそう言って私を部屋に迎え入れてくれる。
部屋の中に足を踏み入れれば、そこには色々な機械部品が所狭しと転がっていた。私には何が何やらサッパリだけど。そして中央にある作業台に突っ伏すようにして、イゴールは呑気に眠りこけていた。
作業台の上にあるのは……作りかけの義手、か。
私が彼のすぐそばまで近寄ると、その気配を察知したのか、彼はゆっくりと顔を上げて目を擦る。そして、ぼんやりした顔で私のことを見た。
「むにゃ……んん? 誰? サンダークロス?」
そのすっとぼけた発言に、つい笑いが漏れる。
私は咳払いを一つして。
「そうだよ。メリークリスマス」
寒々しい月面の、飾り気のない部屋で。
涙でぐちゃぐちゃの顔を見られたくなかった私は、イゴールの胸に顔を埋めながら、彼と自分の心臓がしっかり脈動していることを、静かに確かめた。
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