悲劇
「元気か?」
病室のドアにそう言う俺の姿が見えたとき、奏は嬉しそうに起き上がった。
「博人じゃん。久しぶりだね。」
「体調は?」
「ううん。ちょっと気分が悪いや。それよりさ、今日は何を聞かせてくれるの?こっちは暇だからさ~。」
優しい笑顔を作る。俺の顔も少しほころぶ。彼女を無理させないようにと思案していたのでこわばっていたようだ。
彼女とは昔から気心の知れた、同い年の親友だ。気が合うのでこうやって奏としゃべっている合間はただ楽しい。だからこうしてしょっちゅう見舞いに来ている。
この暗い世の中と学校生活だ、ストレスは溜まる。これ等の合間の彼女との時間はもはや俺にとっての「癒し」になっている。もはや恩人、いや救世主と言っていいのではないか。
彼女に対して、数年前から難病で入院生活を続けているのにもかかわらず、気丈にふるまえるのは尊敬しかない。だが小学校低学年で彼女が病身になって以来外の世界を知らない。だから、学校生活のリアルなどネットでは知ることのできない情報を伝えている。
しばらくして笑いあり涙あり(?)の話が終わった。
「もう頃合いかな。」
「え、もう帰っちゃうの・・・?」
彼女は俺を引き留める。だが俺だって名残惜しいけど
「ああ、そろそろ夜ご飯の時間だから・・・ごめんね。
また明日来るからさ、待っててよ。」
「私、また眠ってるかもしれないよ?」
心配そうに奏は言う。彼女はずっと前から昏睡状態に陥ることが多い。だから僕がいても眠っていることもある。
そのまま夕食の時間になって帰宅することだってしばしば。
一応、部活は入りたかったけど、やっぱりやめた。
彼女を楽しませる責務みたいなのがある。だけどだらだらしゃべっているのも彼女には酷だろうという考えもある。
夕食の時間は嘘であり本当だ。
「大丈夫だって。明日会えなくても次がある。だろ?」
「ホントに?」
彼女はまだやや不満そうな表情を崩さない。だが、
「こらこら、あんまり困らせたらだめでしょうが。」
後ろにいた彼女の母親が助け舟を出してくれた。
「明日はもうちょっと長く居られるからさ、ね?」
そう言うとようやく納得してくれたようだ。
「わかった。じゃあまたね。」
椅子から立って入口へと向かうと彼女は俺に向かって手を振る。僕は扉の前で立ち止まり
「お大事にね。」
というと。
「そちらこそね。私みたいにならないでね~」
と少しおどけた口調で返してきた。
「ただいま」
家に帰ると母は料理の片付けをしていた。
「おかえり。今日もお見舞い行ってきたの?毎日行くなんて、あんたも律儀ね~。別にもう少しいてもいいのに。その方が安心するんじゃない?」
そうだ。そこが悩みの種なのだ。俺の話を飽きるまで聞かせれば奏は満足するだろう。だけどそれで彼女の体に負担がかかれば、それは偽善に値するのではないか?だが彼女の心を満たすまでいてやれないというのも釈然としない。
「晩飯が冷めたらいやだから。」
と適当な答えを返す。
「奏ちゃん、よくなるといいわね。」
「もちろん!なってもらわなきゃ困る。」
いったところで急に電話が鳴った。
母はすぐにスマホを手に取る。
「はいもしもし。はい えっ・・・? 」
瞬時に鳥肌が立つ。俺の鈍い勘が何かを察した。
胸騒ぎがした。母の携帯に電話が来るのは珍しい。だからだった。どうかそうじゃないでくれと願った。
自然と両手を合わせていた。
悲痛そうな表情で母はこちらを向いた。
「あの子・・・・亡くなったって。あの後容体が急変したって。」
分かっていた、あの会話の内容ですべてを察していた。
だけどもそうであってほしくなかった。
「そうか。」
ごまかすように俺はすぐさま二階の自分の部屋へ行く。
「あっ! ちょっと、晩御飯は?」
そう呼び止める母の声を無視した。母を無視するのは初めてだった。少し罪悪感があるけどそれを振り払う。
部屋に入って僕のベッドに飛び込む。人の死は突然のことだということは僕もよく知っている。親族が亡くなったことはまだないけど、友達の話を聞いて理解し始めている。まだそんな時だった。
本当に悲しい時ほど不思議と涙は出ない。だけど全身に力は入らない。それに・・・
「あんな無責任なことを言うんじゃなかった。
もう少し長くいればよかった。はぁぁ、俺ってバカだ。」
全身を罪悪感と後悔が駆け抜ける。何度もベットを殴る。
だけども、それで何かが変わるわけでもない。
「それにそんなことあるか!なんでだよ。あいつまだ深刻そうには見えなかったのに。」
(うーん。ちょっと気分が悪いや。)
あの言葉を思い出してはっとした。自分の軽率さを責める。
再びベッドを2,3発殴る。だがそれに使ったエネルギーは半ばその日のエネルギーとほぼ同じだった。
夕飯を食べていなかったからだ。
「今日は・・・疲れたな・・・。」
そのまま現実逃避するために眠りについた。夏のある日。
一話 おしまい