第一話「分からないこと」
ルビィのお茶会から始まり、北の辺境伯、そしてサンバスタ王国の陰謀へと繋がる騒動が収束してから二週間が経過した。
王子同士を憎しみ合わせて同士討ちを狙っていたドミニク・クラウストリ公爵。
彼の情報操作によって巧みにいがみ合うように仕向けられていた王子二人は自らの浅慮を恥じ、今後は二人で王国を立て直すと約束してくれた。
今は酷い状態にあるサンバスタだけど、これからは良い方向に向かってくれるだろう。
ユーフェアを聖女と知りながら隣国の人間と婚姻関係を結び、その見返りを求めたホワイトライト領領主。
事件後すぐに幽閉され、いまは裁きの時を待っている。
領主不在となったホワイトライト領は、いまは領主の息子が代理領主となり、その補佐――実質的には監視役――として王都から数人の貴族が派遣されている。
国内の問題は巡り巡ってルビィに何らかの不利益をもたらすかもしれない。
国外の紛争は巡り巡ってルビィに何らかの不利益をもたらすかもしれない。
それらを未然に防げたことは姉としてとても良いことだ。
紆余曲折はあったものの、すべてが丸く収まった。
けれど、変化はそれだけに留まらない。
一番大きく変わったのはユーフェアだ。
あれから彼女は、よく山を下りて私の研究室へ遊びに来るようになった。
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「クリスタ。この中だとどれが私に似合うと思う?」
今日もユーフェアは遊びに来ていた。
どこかのお店からもらったらしい洋服のカタログを見せてくる。
基本的にこの子はお洒落をせず、教会から支給された法衣と大きめのフードを被っている。
だけど最近は興味が出てきたのか、こうして洋服やアクセサリーについてのアドバイスを求められる。
「どれもユーフェアには似合うと思うけど」
……相談する相手を間違えているとしか思えない。
私は見栄えよりも機能性を重視するから、こういうハイカラな洋服はみんな同じに見えてしまう。
「そういうのじゃないの」
「そう言われてもねぇ」
ユーフェアに言ったことはお世辞でも何でもなく、本心から思っていることだ。
たぶん、この子はボロ布を着ていても見映えする。
「お洒落したいならエキドナに頼んだほうがいいわよ」
エキドナは「貴族の着る服は分かんねえ」と言いつついつもセンスの良いものを選んでくれる。
私はセンスどうこうは分からないけれど、ルビィとメイザがそう言っているから相当いいんだと思う。
「そうじゃなくて、私はクリスタの好みが知りたいの」
「私の好み……ねぇ」
――「これからもよろしく」
そう宣言されたあのお茶会以来、ずっとこうだ。
あの日、私はユーフェアに「あなたのお姉ちゃんにはなれない」と言った。
聞きようによっては拒絶とも思えるようなことを、はっきりと。
なのにこの懐きようはどういうことだろう。
ルビィから妹の座を奪おうと画策しているのかとも思ったけれど、それは本人自身が否定している。
――「私はクリスタの妹じゃない。だからこそなれることがあるって分かったの」
あの言葉の意味は、二週間たった今も分かっていない。
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こんこん、と研究室の扉がノックされる。
「どうぞ」
「ひっ」
入室を促すと同時に、ユーフェアは私の後ろに隠れてしまった。
「よう」
おいしそうなコーヒーの匂いを漂わせ、マクレガーがやって来る。
私が研究所にいる時は基本的にコーヒーを持ってきてもらっているので、必然的にユーフェアとも顔を合わせている。
知り合いくらいにはなっているものの、ユーフェアはまだマクレガーに懐疑的な視線を向けている。
「……おはようございます」
「おう。――と、今日は置き場が無えな」
周囲を見渡し、マクレガーは足を止めた。
以前まで、飲み物は手渡しで済んでいたので机が片付いていなくてもよかった。
けれどユーフェアが来るようになってからは三人分+ブラックで飲めないユーフェアのためにミルクと砂糖まで持ってきてくれているので、置き場が必要となった。
「ちょっと待ってね。片付けるから」
私は机の上に載った資料を手で払い除けた。
床にばさりとそれらが滑り落ち、平らな机の天面が露出する。
「はい、どうぞ」
「片付けの概念を履き違えてるぞ」
半眼で呆れつつ、マクレガーはお盆を置いた。
この数日でユーフェアの味の好みを把握したようで、慣れた手つきで砂糖とミルクをコーヒーの中に投じ、それをかき混ぜる。
真っ黒なコーヒーにミルクの色が合わさり、白っぽい茶色に変化したそれをユーフェアに手渡す。
「どうぞ、聖女ちゃん」
「……ありがとうございます」
両手でそれを受け取るユーフェア。
顔も見せようとしなかった初日に比べれば、これでも慣れたほうだ。
「ここんとこ毎日来てるな」
「うん」
ユーフェアはコーヒーを両手に持ったまま、じぃ、とマクレガーを見上げる。
「とんでもない、伏兵が……潜んでたから」
「伏……なんだって?」
「コーヒー今日もおいしいですって言いました」
「まだ飲んでねえだろ」
追求から逃れるようにユーフェアは、ふい、と視線を背ける。
私とマクレガーはお互いに顔を見合わせ、「?」を頭上に浮かべた。
「分からねえなあ」
「……できれば、ずっと分からないままでいてください」
「聖女ちゃん、ひょっとして俺のこと嫌いか?」
「いえ、とてもいい人だと思っています。だからこそ、です」
「……?」
マクレガーは困ったように頬を掻いた。
彼がそんな顔を浮かべるなんて珍しく、私は思わず吹き出してしまった。
(分からないと言えば、マリアはどうしたのかしら)
私たちを束ねる聖女、マリア。
サンバスタへ共に乗り込んだあの日から、一度も会えていない。