第三十話「あの島」
<リアーナ視点>
「痛っ……ちょっと、もっとちゃんと走りなさいよ!」
「リアーナお嬢さん、この馬車ではどうしようもありませんって」
「そこをなんとかするのが御者の腕でしょう!? 言い訳は聞きたくないわ!」
薄汚い幌越しに御者の背中を蹴りつける。
それでも怒りは収まらず、私ことリアーナは大きなため息と共に吐き捨てた。
「ああ――ホント、どいつもこいつも使えないわね!」
私は現在、オルグルント王国の北西に面した街道を進んでいる。
王都が広がる中央や国の玄関口となっている南部に比べると北部や西部は寂れている。
荷車越しに伝わる地面のデコボコは、この道があまり使われていない証拠だ。
一度均した街道も、通る人が少なければ荒れるのは仕方がない。
それは分かっているけれど、そのせいで私が気分を害するのは納得がいかなかった。
(何なのよこのオンボロ馬車! 臭いし汚いし乗り心地は悪いし!)
おまけに御者の態度も悪いときた。
ここに乗る前に色々あった分も加算され、私の苛々は頂点から降りてくる気配がなかった。
「こうなったのもクリスタのせいよ!」
あいつが騒いだせいでユーフェアとの婚約入替作戦が明るみになってしまった。
そのせいでホワイトライト家は現在、教会から厳しい追及を受けている。
お父様は私に罪をなすり付けようとしてくるし、お兄様は外に出ていたからと知らん顔。
おかげで私はこうして寂れた街道をオンボロ馬車で進むという、逃避行めいたことを強いられている。
「元を正せば悪いのはユーフェアだわ!」
実妹ユーフェア。
あいつは「誰にも連絡しない」という約束を破り、クリスタを呼び寄せて私を陥れた。
妹との約束を姉が破るのはいいけれど、その逆は絶対にあってはならない。
あいつはその禁を破ったんだ。
「むかつく、むかつくむかつくむかつく!」
歴代国王の名前を三秒で忘れる馬鹿で、体型維持の軽い運動でへろへろになる虚弱で、楽器ひとつ満足に演奏できない無才で、刺繍もできないくらい不器用で、目を見て挨拶もできないくらい臆病で、ぼんやりと星ばかり眺めて。
公爵令嬢としての振る舞いを何一つ満足にできない無能なのに、ただ顔が良いというだけでお父様から便宜を図られていた。
私が苦労して覚えた作法や勉強も全部全部、免除されていた。
それだけ甘やかされてきたんだから、望みもしない結婚を強いられる可哀想な姉の身代わりになるくらいはして当然なのに。
あいつはそれすらも嫌がり、自分が助かりたいがためにクリスタを寄越してきた。
妹のくせに。
私より後に生まれてきたくせに!
許せない。
許せない許せない許せない、許せない!
「絶対に許さないわよ! 体勢を立て直したら復讐してやるわ!」
「誰に?」
「決まってるじゃない。あのクソ妹ふぎゃあああああ!?」
幌の隙間から出てきた顔を見て、私は叫び声を上げた。
極太眼鏡に白衣。そしてその下にはシスターが着ているような服。
その奇妙な出で立ちは一度見たら忘れるはずがない。
「くくくくくく、クリスタ!? なんでここに!?」
「そんな些細なことはいいじゃない」
些細じゃないんだけど!?
そう言い返したかったけれど、こいつの強さがどれほどのものかは知っている。
なにせ、あのフィンすらも圧倒してしまうのだから。
下手に刺激するのはマズいので、私は別のことを口にした。
「な――何をしに来たのよ」
「おしおき」
「お……おし、おき?」
「そ。あの時はルビィを優先しただけ。見逃したんじゃないわよ」
よっこいしょ、と馬車の中に入ってくるクリスタ。
こいつのパンチ力がとんでもないことは、フィンとの戦いを通して見ている。
あんな風に殴られたら――と思うと、私の身体から血の気が引いた。
(ななななな、なんとかしないと!)
逃げる?
いや、無理だ。
私が全力疾走したところですぐに追いつかれる。
なら、説得する?
どうやって?
「わ――私に指一本触れてみなさい! あなたがホワイトライト領に侵入したことを教会に抗議するわよ!」
「安心して。その件に関してはこちらに正義があると、教会に特別なお許しをもらったから」
「え?」
「驚くのも無理はないわね。私も怒られると思ってたからちょっとびっくりだわ」
唯一、クリスタを責められるはず点は既に封殺されているらしい。
公爵家に不法侵入するよりも聖女を連れ去ることの方が大事である。
教会が、王族がそう認めたということだ。
クリスタは冷や汗をだらだらと流す私の左右、何もない空間をキョロキョロと見渡した。
「あの男――フィンはいないの? てっきり一緒だとばかり思っていたんだけれど」
「あいつは逃げたわ」
「逃げた?」
――その瞬間、私の頭の中に一条の光が差した。
クリスタの矛を収めさせるための画期的な方便。
これなら……助かる!
「『もうあなたに構う理由は無くなりました』って言って、さっさとどこかへ行ってしまったの」
よよよ……と涙を流し、私はその場に崩れ落ちる。
フィンに見捨てられたことは本当だけど、涙はもちろん嘘だ。
私が閃いた作戦は、ずばり『同情を誘って許してもらう』だ。
女のクリスタに通用するかは賭けだけど、大丈夫。
ユーフェアよりも少し――本当に少し、爪の先くらいの差で劣っているとはいえ、私だって可愛いし!
泣き顔を見せれば女であっても可哀想と思わせる自信はあった。
「ユーフェアの件もお父様がやれと言うから……仕方なくだったの! 教会の不利益になることなんて本当はしたくなかったわ!」
ユーフェアとの入れ替わりは私が提案したことだけど、その罪をお父様にさりげなく被せる。
お父様が教会から何らかの罪に問われることはほぼ確定しているのだから、一つ二つ増えたところで問題はない。
娘に罪を被せようとしてきたんだから、その逆をされても文句はないでしょ。
「つまり、あなたは自分も被害者だって言うのね」
「そう! 父親から罪をなすり付けられそうになって、護衛から見捨てられた可哀想な被害者なの!」
「なるほど、話は分かったわ」
にこ、とクリスタは微笑んだ。
――許されたらしい。
聖女と言えど同じ人間だ。
こうして涙を誘えば存外チョロい。
私は胸中で舌を出しながら、泣き真似を続けた。
「安心して。そっちの理由で私があなたに何かすることはないわ」
「ありがとう! ………………そっちの理由?」
不穏な物言いのクリスタに問い返すが、彼女は答えずに幌をちらりと開いた。
街道の向こう側、森の切れ目から海が光を反射している。
その中心部に、不気味に淀んだ黒い島が見える。
「ねえ、リアーナ」
「な……なに?」
クリスタは振り返り、やはり微笑んだままこんなことを聞いてきた。
「『魔島』って知ってる?」