第二十八話「やり残したこと」
魔法石のサイズと蓄積できる魔力の多さは比例する。
いま投げつけた魔法石の中に入っていたのは落雷魔法と呼ばれる、攻撃魔法の中でも特に強力なモノだ。
あのサイズの魔法石でもギリギリ入るか否かというレベルなのに。
クリスタは平然と立っていた。
「魔法石もさることながら、これだけの威力を込められる術者がいる、と。少しサンバスタを見くびっていたわ」
直撃を避けた?
やせ我慢をしている?
いや。あれだけの規模の魔法だ。
余波であっても防御魔法をいとも容易く貫くし、ダメージを受けていない風を装えるはずがない。
つまりクリスタは、本当に無傷……。
「な、なななな、なぜだ!? 落雷魔法を喰らってどうして傷一つ負っていない!?」
「簡単なことよ」
ぴ、とクリスタは指を立てた。
まるで子供に当たり前の道理を教えるように、
「私の【聖鎧】が、あなたの落雷魔法よりも強かった」
「あ、ありえる訳ないだろうがぁーッ!」
奴の防御魔法は既に僕の攻撃を何度も受けている!
十や二十ではなく、百以上も!
なのに雷魔法の直撃を喰らってなお効果を維持しているなんてありえない。
ありえないありえない、ありえない!
「ありえるのよ。私が立っていることが何よりの証拠でしょう?」
「ペテンだ! 幻惑魔法とか、そういう小細工を使ったんだろう!?」
「生憎だけどそういう魔法は使えないわ。というか、あなたの鎧はそういうものを防げるんじゃないの?」
言われて僕は押し黙った。
クリスタの言う通り、この魔力鎧には幻惑の類を防ぐ魔法石もある。
それが発動していないことが、目の前の光景が現実であると雄弁に物語っていた。
「さて。あと二百個くらいかしら。どんどんぶつけてきなさい」
ぱん、と開いた左手に右拳を当てるクリスタ。
「全部の魔法石を使い切ったら、ユーフェアにしようとしたことへのおしおきを開始するわ」
「な、ナメるなぁー! 貴様のそのペテンを暴いてやる!」
僕は次々に魔法石を発動させた。
これまでは屋敷への被害が……とか、相手は女だから……とか、心のどこかで全力で攻撃することに遠慮があった。
それらを取り払い、ただただクリスタを倒すことだけに全神経を集中させる。
十。二十。
輝きを放っていた魔法石たちが、どんどんと光を失っていく。
三十。四十。
クリスタは攻撃を避けることもしなくなった。
五十。六十。
それでも防御魔法は一切の衰えを見せず、僕の攻撃を次々に弾いていく。
「あ……あ……」
使った魔法石が二百七十を超えた辺りで、僕はようやくクリスタの話がペテンではないと悟った。
数百の魔法を喰らってもびくともしない防御魔法と、それを維持できる魔力量。
クリスタ。
彼女は……本物の、バケモノだ。
「どうしたの? まだ百三十くらいは魔法石が残っているはずだけれど」
僕は手を垂れ下げた状態で硬直した。
直接的な攻撃で奴の防御魔法は破れない。
「来ないなら、ちょっと早いけどおしおきを開始しちゃおうかしら」
しばらくその場に留まっていたクリスタが、一歩、前に踏み出した。
白衣と法衣を纏った女が、僕の目からは鎌を振りかざす死神に見えた。
「うわあああああああッ!」
僕は咄嗟にあるものを投げた。
攻撃するためではなく、相手の目をくらませるための煙幕だ。
一瞬で周囲が煙に包まれ、僕は窓の外に向かって足を曲げた。
魔法石によって強化された身体能力で、一足飛びにその場を立ち去る。
「待ちなさい!」
クリスタが静止の声を上げるが、もちろん従うはずがない。
あんなバケモノと対峙していては命がいくつあっても足りない。
庭に降りた僕はその足で一目散に正面玄関へと走った。
あのバケモノを撒くには、相当遠くまで逃げる必要がある。
(転移するしかない!)
定められた二点間を瞬間移動する転移の魔法。
あれを使えばクリスタであろうと簡単には追ってこれない。
便利な魔法ではあるが、いつでも、どこへでもという訳にはいかない。
膨大な魔力を必要とするため、大地を流れる魔力を汲み取る必要がある。
それに適した場所は一か所だけ。ユーフェアと共に来たあの郊外しかない。
少し距離はあるが、逃げ切る自信はあった。
防御魔法が優れていたとしても、身体能力を強化した僕には追い付けない。
「今日のところは勝ちを譲ってやる! しかし私は諦めんぞ! 魔力鎧を強化し、ユーフェアを必ず我が元へ――」
「何をゴチャゴチャ言っているんだい」
「ほげぇ!?」
勢いを付けて駆け出した足に棒切れが差し込まれ、僕は盛大に地面を滑った。
足を引っかけたのは、見たこともない老女だ。
「な、何をするんだこのババア!」
「夜中にそんな奇天烈な格好をした不審者を止めない方がおかしいだろう」
「誰が不審者だ! 私を誰だと――」
「マリア!」
「え?」
とすん、と、軽やかな足取りで僕の背後にクリスタが降り立った。
彼女の背中には、僕の婚約者ユーフェアもいる。
人一人を背負ったままの状態で、これほど早く追いつけるはずがない。
防御魔法と同様、クリスタの異常な速度に僕は混乱した。
「あれだけ騒ぎを起こすなと念を押したのに、アンタって子は」
「ユーフェアが危なかったので、つい」
「まあいい。おかげで運動不足解消になったよ」
老女の傍に積み上がったものを見て、僕は「へ」と間抜けな声が出た。
こんもりと盛り上がった塚のようなそれは、僕の屋敷を警備している兵士たちだった。
――そういえば、と、今更ながら気が付く。
侵入者がいれば警備兵がやって来るはずなのに、誰一人として駆けつけてこなかった。
あれだけ騒ぎが起こっていたのだから、気付いていないなんてことはありえない。
気付いていたが、もう一人の侵入者の対処に追われてそれどころではなかった――ということだ。
「そ、そんな……」
彼らには魔法石で強化された武器や防具を支給していた。
族が束になって襲撃したとしても、いとも簡単に鎮圧できるほどに訓練もされていた。
なのに。
杖を突いた老女一人に、全滅させられている!?
警備兵の山の前で、僕は地面に膝をついた。
「すみません。けどさすがマリアですね。これだけの数の人を相手に息も切らしてないなんて」
「褒めたって何も出やしないよ。さ、さっさとずらかるよ」
老女は妙な札を取り出し、それを掲げた。
直後、何もない空間から帽子を被った道化のような女が現れる。
手品ではない。
(転移……だと!? しかもクラウストリ家のものよりも遥かに高度な!)
「ユーフェア! 無事ッスか!」
「うん。クリスタが助けてくれた」
「お前たち。余計なおしゃべりは戻ってからにしな」
「それもそうッスね。聖女が四人もこんな国にいたら危ないッス」
会話の流れから察するに、道化の少女も聖女の一味らしい。
異常に堅牢な防御魔法と、それを維持できる魔力量を誇るクリスタ。
警備兵を息一つ乱さず全滅させる老女。
転移の魔法を軽々と使う道化の少女。
(聖女がこんなバケモノの集団とは聞いていないぞ!?)
こんな奴らを相手に勝てる訳がない。
僕は知らないうちに虎――いや、ドラゴンの尾を踏んでしまっていたのだ。
「何をしているんだいクリスタ。さっさと行くよ」
唯一幸いだったのは、クリスタよりも老女の方が立場が上らしいということだ。
僕をボコボコにすると息巻いていたクリスタを引っ張って帰ろうとしている。
(そのまま帰ってくれ……!)
ユーフェアほどの美少女を逃すのは惜しいが、命には替えられない。
背格好の似た奴隷でも買って自分を慰めよう。
――そう思って彼女たちの帰りを息を潜めて待っていると。
むんず、と首根っこを掴まれた。
「すみませんマリア。私はまだやることがあるので残ります」
――ゑ?