第二十四話「助けを呼ぶ声」
<ユーフェア視点>
「降りろ」
ドミニクさんに促され、私は馬車を降りた。
目の前に広がるのは、小さな森だ。
「あの……ここは」
「いいからついて来い」
ドミニクさんはそれだけを告げ、すたすたと森の中に入っていく。
てっきりこのままサンバスタ王国まで行くと思っていたけれど……こんなところで何をするんだろ。
聞いてみたいけれど、怖くて聞けない。
もやもやを抱えたまま、私は置いて行かれないようにドミニクさんの後を追った。
しばらく歩いた先に見えたのは、ボロボロの小屋だ。
たぶん猟師さんの休憩所だと思うけど、蔦が壁や屋根に絡みついていて、長らく人が使ったような形跡はない。
「入れ」
「え。ここに……ですか?」
小屋……というより、むしろ廃墟だ。
こんなところに公爵が「入れ」だなんて、どう考えてもおかしい。
「口答えするな。さっさと来い」
「痛っ……」
戸惑う私の手を掴み、半ば強引に小屋の中に引き込まれる。
野生動物が入り込んだのか、中の荒れ具合も相当だった。
床には保管されていたらしい紙や木材が散乱していて、足の踏み場もないくらい。
私とドミニクさんが足を踏み入れただけで、床が大きな軋む音を立てた。
いつ底が抜けてもおかしくない。
「あ、あの。ここ、危ない……です……よ」
「黙ってろ」
「ぁぅ」
ぴしゃりと遮られ、私は口を噤んだ。
ドミニクさんはしゃがみ込み、朽ちた床を調べている。
「このあたりか」
「……?」
「おい、こっちに来い」
言われるままドミニクさんの隣に行くと、肩に手を置かれる。
「いいものを見せてやろう」
ドミニクさんはにやりと笑ってから、胸のポケットから綺麗な石を取り出した。
魔法石……かな。
それを掲げると、辺りが光に包まれる。
あまりの眩しさに目を閉じた――。
▼
「……あ」
次に目を開くと、辺りの景色が変化していた。
木の小屋には変わりないんだけど、蔦はなくなり、床も朽ちていない。
目を閉じている間に誰かが掃除をしてくれた訳じゃない。
移動前の慣れ親しんだ浮遊感に、私はすぐにピンときた。
「転移……」
「正解だ」
振り向くと、ドミニクさんはすごく誇らしい顔をしていた。
「驚いたか? オルグルントでは誰も実用化に至っていない転移の魔法だが、我々は既に実証段階に入っている!」
「……」
転移を実用化し、使いまくっている知り合いがいる手前、私はどう答えたらいいのか分からずに押し黙った。
「まだ決まった位置でしか転移できん。もうしばらく馬車で移動になる」
好きなところに転移できないんだ。
ベティならどこにでも行けるのに。
ふんぞり返るドミニクさんの手元で、魔法石が音を立てて砕ける。
「む。やはり同時に二人の転移はまだ無理があったか」
「……」
多人数で転移できないんだ。
ベティならもっとたくさん同時にできるのに。
やっぱりどう答えていいか分からず、私は無言を貫いた。
「くくく。驚きのあまり言葉も出ないようだな」
そうじゃない。
そうじゃないけれど……「もっとすごい転移を使える人を知ってる」なんて言ったらきっと怒ると思うので、やっぱり何も言わないでおいた。
「さて、もう少し移動するぞ。来い」
「……はい」
私たちが転移した場所はサンバスタ王国の郊外らしい。
ドミニクさんの屋敷へは、そこから小一時間ほどかかった。
サンバスタは紛争中と聞いていたので怖いところかと思っていたけど、現在進行形で戦ってはいないみたい。
けど……戦いの跡はあちこちに見え、辛そうにうずくまっている人がそこかしこにいる。
そんな人たちを見ると、どうにも胸が痛くなる。
「既に大勢は決している。こそこそ隠れている第二王子を捕まえ、首を撥ねれば終わりだ」
「……」
紛争が終わったら、みんな幸せになれるのかな。
そんなことを考えていると、馬車が速度を落とした。
貴族街に入るための検問だ。
大勢並ぶ人たちの列を横目に、私たちを乗せた馬車は最前列に移動した。
「クラウストリ卿。お早いお帰りで」
「ああ」
「そちらが、例の?」
「そう。我が妻となるユーフェアだ。どうだ、美しいだろう?」
「……」
門番の人の視線を感じ、私は顔を横に逸らした。
「これは驚いた。本当に美しいですね。さすがはクラウストリ卿です」
「当然だ」
まるで自分の持ち物を見せびらかすような言い方ですごく嫌だったけど……膝辺りの服を掴んで、ぐっ、と堪えた。
「では、先に進ませてもらう」
「ええ」
にこやかに見送られ、私たちは貴族街へと入った。
▼
そこからはあっという間だった。
ドミニクさんの屋敷に連れられ、ご飯を食べた後、メイドさん達にお風呂で綺麗にしてもらった。
挙式は明日ということだけど、情勢が情勢のため簡易的なもので済ませるらしい。
大勢の人前に出なくていいみたいで、とりあえず良かった。
「明日。明日の夜まで我慢だ。ぐふ、ぐふふ」
「……」
ご飯の間、ドミニクさんは私を見ながらずっとそんなことを呟いていた。
その様子がちょっと不気味で、食べ物の味はあんまりしなかった。
「それではユーフェア様。ごゆっくりお休みくださいませ」
「私どもは外で控えておりますので、何かございましたらいつでもお呼び下さい」
「……ぁ、ど、どうも」
お世話をしてくれたメイドさんたちに、つっかえながらお礼を言う。
ぱたん、と扉が閉じられ、その隙間からぼそぼそと話し声がした。
「ユーフェア様かわいー! 一日中抱きしめていたいくらいだわ」
「本当、小動物みたいで愛らしいわよねー」
これといって何かした訳じゃないけど、メイドさんたちには嫌われてないみたい。
とりあえず良かった……と思ったのも束の間、聞こえてくる声が急に暗くなる。
「だからこそ余計に可哀想よ。あんな変態の花嫁だなんて」
「ユーフェア様を見てる時の変態の顔、ホントにヤバかったわ。見てよ。まだ鳥肌が収まらないの」
変態。
さすがに察しの悪い私でも分かる。
ドミニクさんのことだ。
「ユーフェア様、耐えられるかしら」
「何かあったら私たちが全力で支えてあげようね」
「もちろん! 行動を止めたりはできないけど……そのぶん愚痴をたくさん聞いて、たくさん慰めるわ!」
「……」
私、何されるんだろ。
お父様みたいにたくさん叱られるのかな。
お兄様みたいにたくさん酷いこと言われるのかな。
お姉様みたいにたくさん叩かれるのかな。
こわい。
こわい……けど、ルビィのためだし、何をされても我慢しないと。
いろいろと想像して震えていたけど、ほぼ一日中気を張っていたせいか、気付けば私は眠っていた。
(んにゅ……?)
騒がしい音に、私はまどろみから目覚めた。
扉の外で何人かが大きな声で話をしている。
「……様、お止めください!」
「ユーフェア様はもうお休みになられています! 明日も過密なスケジュールが控えていて――」
「うるさいぞ、使用人の分際で!」
どん、と音がして一気に意識が覚醒する。
今のは……人を殴る音?
恐る恐る扉の方角を見ていると、突然、無遠慮にそれが開いた。
暗闇の中から出てきたのは。
「ど……ドミニク、さま」
寝間着姿に身を包んだドミニクさんだ。
彼は私の姿を認めるなり、粘つくような笑みを浮かべた。
「婚姻の儀まで我慢しようとしていたが、やはり無理だ」
「え……え?」
言っている意味が分からず、私はぽかんと口を開いていた。
ドミニクさんはベッドに両膝をついて覆い被さってくる。
(な――何!? なになになになに!?)
逃げようとしたけれど、もう遅い。
体重百キロは超えているだろう彼にのし掛かられて、逃げられるわけがない。
力も強くて、両手を片手で押さえつけられてしまう。
空いたもう片方の手が、私の頬を撫でた。
その撫で方が気持ち悪くて、目尻から勝手に涙が零れた。
「お前が悪いんだぞユーフェア。お前が私を誘惑したんだ」
「そ……そんなの、してません」
「それほど色香を発しながら無自覚とは。これはお仕置きが必要だな」
「ひぅ」
ドミニクさんの手が頬を、耳を、首筋を撫でて徐々に下に滑っていく。
「や……やだ! 助けて!」
「叫んでも無駄だ。誰も助けてなんてくれんぞ」
嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
嫌だ!!!!
嫌悪と混乱で頭の中がぐちゃぐちゃな中、私は無意識に助けを求めた。
「助けて――クリスタぁ!」
「呼んだかしら」
壁をぶち破って、人影が躍り出た。
「だ、誰だ貴様は!? どうやってここへ――」
「ユーフェアから離れなさい、この変態」
人影はドミニクさんからの声を無視して、拳を握った。
「聖女パンチ」
「ぐぽぉ!?」
ずざざざ、と、床を滑るようにドミニクさんが吹き飛んでいく。
「……クリ……スタ?」
「ユーフェア。助けに来たわよ!」
二度と会えないと思っていたクリスタは、にっこりと笑ってそう言った。




