第二十三話「ばいばい」
<ユーフェア視点>
お姉様の身代わりに婚約させられたドミニクという人。
せめて優しい人でありますように……という私の願いは、出会って数秒であっさりと砕かれた。
「サンバスタに戻ったらすぐに挙式を挙げる。いいな?」
「は……はい」
丸々とした見た目とか、頻繁に汗を拭く動作はどちらかと言うとかわいいのに、口を開くと高圧的な口調が私を容赦なく刺してくる。
お父様と同じタイプの人だ。
「挙式を挙げたらまずは……ぐふ。ぐふふ」
「……」
あと、やたらと私をじろじろ眺めては鼻息が荒くなっている。
こわい。
すごく、こわい。
(けど我慢しないと。ルビィのためにも)
私がここにいれば、ルビィは助かる。
お姉様が私との約束を守り、ルビィを無事に送り届けてくれるから――じゃなく。
クリスタがルビィを助ける未来が見えたから、だ。
予見。
私なりに聖女の力を拡大解釈した結果、発現した能力。
未来を見通すことで『守り』と『癒し』を体現している……らしい。
この力、正直に言うとすごく使いにくい。
使おうと思って使えない時があるし、逆に使う気のない時にいきなり発動したりもする。
全然言うことを聞いてくれない羊を手懐けようとしているような感覚で、使いにくいというより全く使いこなせていない、と言ったほうが正しい。
未来の映像は基本的にはっきりと見えない。
けれど今回ははっきりと見えた。
私が見た未来は、こうだ。
クリスタは私とルビィが一緒に居ると踏み、私の足取りを追いかける。
私はサンバスタに行く前に救出され……その時に初めて、ルビィが別の場所にいると知ることになる。
最終的にルビィの足取りを掴めるけれど、数ヶ月の時間を要することになる。
その時間が致命になりルビィは助け出される前に死んでしまう。
奴隷という劣悪な環境で弱ったところでちょうど流行り病に罹ってしまい、あっけなく。
――この未来を防ぐ方法は一つ。
クリスタにルビィの場所を教えること。
そうすればクリスタは間違いなくルビィを優先する。
だから私は念話紙を使い、ホワイトライト領に行くように伝えた。
クリスタの行動で未来が描き換わり、ルビィの死は回避できた。
あの未来は要するに『私を犠牲にするか、ルビィを犠牲にするか』ということなんだろう。
だったら私が犠牲になった方がいい。
知らない人との結婚なんて死ぬほど嫌だけど、死ぬわけじゃないし。
「ぐふふふふ」
「……っ」
にやにやと笑うドミニクさんから顔を逸らす。
少しでもこの現実を忘れるように、私は昔を思い出していた。
▼ ▼ ▼
私の人生は悪い出来事の連続だった。
家族に出来損ないと言われ続けて。
王子に一方的な婚約を迫られて。
婚約者に色目を使って横取りした、とお姉様にあらぬ疑いをかけられて。
叩かれ、蹴られ、酷いことをいっぱい言われて。
聖女に選ばれたことも、悪い出来事の一環だと最初は思っていた。
けれどそうじゃないことを、クリスタが教えてくれた。
「初めまして。ユーフェア……だったかしら」
「……」
教会の偉い人たちにあれこれ言われた――緊張しすぎてぜんぜん覚えてない――後、私と同じ聖女の人と顔を合わせることになった。
最初に会ったのはマリア。
第一印象は、すごく怖い人。
その次に会ったのがクリスタだった。
第一印象は……メガネ。
目線が分からないので緊張感は少し薄れたけれど、背が高くてちょっと威圧感があった。
あと、白衣を着ていた。
聖女なのに、なんで?
「これから色々あると思うけれど、お互い協力して頑張りましょうね」
「……あ、あの……はぃ」
差し出された手を握ると、クリスタは「ん?」と眉をひそめた。
「随分と手が冷たいわね。寒いの?」
「あ、いえ、その……」
寒い地方で暮らしていたせい――かは分からないけど、私の手は冷たいことが多い。
けれど寒いと感じることはあんまりない。
「あの、えっと」
そう説明するだけでいいのに、緊張のせいでうまく舌が回らない。
早く答えないと、きっと怒らせてしまう。
――受け答えもまともにできないなんて、本当に笑っちゃうわね。そのくせみんなにちやほやしてもらって。本当にムカつくわ。
「っ」
不快感に顔を歪めるお姉様の顔とクリスタの顔が重なって、私はさらに焦った。
「……」
クリスタが、私に手を伸ばした。
髪の毛を引っ張ろうとするお姉様と仕草が似ていて、私は思わず「ひ」と短い悲鳴を上げた。
――ああ。
やっぱり環境が変わっても私は愚図のままなんだ、と自分自身に呆れながら、せめて痛みが軽減するようにと身を強張らせる。
けど、考えていたようなことにはならなかった。
クリスタの手が髪を引っ張るようなことはなく、ただ、ぽん、と私の肩に乗っただけだ。
「……へ?」
「そんなに緊張しなくて大丈夫よ。ゆっくり答えてくれればいいから」
「お、おこ、怒らないん……ですか?」
「? どうして怒る必要があるの?」
クリスタは頭の上に大きな「?」を浮かべて首を傾げた。
「安心して。ここにあなたを怒るような人なんていないから」
「……ぁ」
に、と笑いかけてくれたその表情で、私は自然と肩の力が抜けた。
この人なら、私を受け入れてくれる。
――そんな未来を予見した。
▼
私の予想は見事に的中した。
クリスタはいつでも私を助けてくれた。
私が祈る姿を民衆に見せて信者を増やそうとする司祭から守ってくれたり。
星を見たい、と言った私のために山奥への移住を計画してくれたり。
他にも、他にも。
クリスタは強くて、優しくて、面白くて、困っている私を助けてくれる思い描いていた通りの『理想のお姉ちゃん』だった。
助けてもらった分、クリスタの役に立ちたいと聖女の仕事もできる限り頑張った。
公務はまだまだ足を引っ張ってばかりだから、せめて能力は使いこなせるようにと予見の力をたくさん磨いて、頼られたらいつでも手伝えるように構えていた。
クリスタがいなかったら、今も私はうじうじと俯いていたと思う。
クリスタは私の恩人で、そして理想のお姉ちゃんだ。
……けれど一つだけ、私にとっては嫌なことがある。
ルビィの存在だ。
私はルビィのことが……嫌いだった。
意地悪をされた訳でも、悪口を言われた訳でもない。
ただ、産まれた時からクリスタという理想のお姉ちゃんがいる環境が羨ましかった。
まあ要するに、嫉妬をしていた。
この感情を抑えてルビィと友好的に接することは、私には難しかった。
会えば素っ気ない態度を取ってしまうし、無意識に言葉に棘が出てしまう。
これを抑えるためには、なるべくルビィと会わないようにするしかなかった。
クリスタが「ルビィ」という言葉を出すたびにちょっとした嫉妬心が出てくるけれど、そこはぐっと我慢していた。
けれど完璧に無くすことは無理だった。
ひたすらに我慢していた感情が、お茶会が延期になった連絡を受けたことで、そしてその原因がルビィだと知ったことで……爆発してしまった。
ベティが事あるごとに私を子供と言っていたことに怒っていたけれど。
私に怒る資格なんてなかった。
ベティの言う通り、私は感情を抑えることもできない、ただの子供だった。
そのことを強く思い知らされた。
▼
私が観た未来には、まだ続きがある。
ルビィを失ったクリスタは絶望して塞ぎ込んでしまう。
私が側で慰め続けることで、長い時間をかけて立ち直っていく。
クリスタは私にルビィを重ねて見るようになり、本当の妹のように溺愛するようになる。
ルビィを生贄にすれば、クリスタは私だけの理想のお姉ちゃんになってくれる。
私にとってはこれ以上ないハッピーエンドだ。
けれどそれはダメ。
ルビィを犠牲した上での幸せなんて、私は欲しくない。
ルビィのことは……やっぱり好きにはなれないけど。
死んで欲しいなんて思わない。思えない。
これは罰だ。
ルビィに嫉妬して、冷たい態度を取り続けて、そして事件に巻き込んでしまった私への。
だったら私はそれを甘んじて受け入れる。
クリスタとはもう会えなくなるけれど。
クリスタが幸せなら、私はそれでいい。
「ばいばい、お姉ちゃん……」
ぼそりと呟いた言葉は、誰の耳にも届かず空中に溶けて消えた。