第二十一話「サンバスタ王国」
サンバスタ王国はオルグルント王国の南西にある国だ。
広大な海がすぐ側にあるけれど、それらを使った産業はほとんど発展していない。
西海にある魔島周辺の大渦の影響がサンバスタ王国近海にまで及んでおり、海産物がほとんど採れないためだ。
畜産や農業に適した土地もそれほど広くなく、自給自足は困難。
内陸に領土を広げるには魔物の脅威が付きまとう。
行き詰まったサンバスタが国策として進めているのが奴隷産業だ。
労働用奴隷の需要は国内・国外を問わず高い。
実際、奴隷の多くはサンバスタ出身であると聞いている。
売られる奴隷の多くは子供で、食い扶持を減らすために親が進んで売りに出している。
「なんか……スラムみたいですね」
初めてサンバスタ王国の中に入り、出てきた感想はそれだった。
どの建物も屋根の一部が崩れたり、壁が剥がれそうになっていた。
王位継承を巡り内乱が……という話は聞いていたけれど、想像以上の荒廃ぶりだ。
見る限り戦闘の気配はない。
けれどその爪痕は随所に見られた。
「よほど酷い戦いがあったんですね。どの建物もボロボロです」
「それだけじゃない。ここいらは塩害も酷くてね」
塩害。
潮風に含まれる塩分が様々なものに付着することで腐食を発生させる現象のことだ。
建物はもちろん、農具や武器防具にも多大な影響を及ぼす。
「オルグルント王国では起こらないからあまり気にされてないけどね。それ以外の国では対策必須の厄介なモンだよ」
「塩害の対策……確か、水洗いする、でしたっけ」
塩分を含んだ付着物を洗い流せば塩害の進行をかなり遅らせることができる――と、本で読んだことがある。
まあ、内乱中にそこまで気が回らないことは容易に想像がつく。
「呑気に壁を洗っている暇がなかった――てのもあるけれどね。原因はもう一つある」
「なんでしょうか?」
「見てみな」
マリアは杖で足元の土を差した。
干ばつが起きたときのようにひび割れ、そこを杖で突くとぱきんと割れた。
「土も塩でダメになっている。この分じゃ井戸水も使い物にならないだろうね」
塩害は建物などの人工物だけでなく、土や水も蝕んでいた。
「オルグルント王国では当たり前のようにある水も、ここじゃ貴重品さ」
「正直、内乱がここまで酷いとは思ってもいませんでした」
「いいや。もっと前からこの国は終わる運命にあったのさ」
確信めいたマリアの物言いに、私は彼女の横顔を見た。
マリアの視線は真っ直ぐ荒廃した街の奥に向けられている。
同じようなスラム街が広がる中、一際高い城壁に囲まれた区画がある。
貴族をはじめとした上流階級が住む、いわゆる貴族街だ。
「昔はもう少しマシな土地もあった。その時にきちんとしていれば自給自足ができる国になっていただろうけれど……目先の金に囚われたバカ共がそれを怠り、こうなっちまった」
産業を育てるには時間がかかる。
サンバスタ王国の国王はそれを蔑ろにし、手軽にお金を得られる奴隷産業を推し進めてしまった。
政を司る者としては愚策もいいところだ。
「……まあ、その件に関しては今はいい。ユーフェアを探すよ」
「はい」
ユーフェアが無理やり婚約させられた相手は公爵と言っていた。
彼女はいま、貴族街にいる。
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国内に入るときはあっさり入れたけれど、貴族街となるとそうはいかない。
街をぐるっと囲うような城壁が建設されており、検問もしっかりと機能している。
ただ、内乱の傷跡はここにも見られた。
城壁の一部が崩れ、応急処置として巨大な布がかけられている。
「ところで、ユーフェアを連れ去った公爵の名は知らないんだね?」
「はい、すみません……」
ルビィから聞いた情報はサンバスタ王国の公爵、というところまでだ。
具体的に誰かまでは掴めておらず、それはこれから調べるしかない。
「それだけあれば十分だ。あとは知ってそうな奴に聞くとしよう」
「知ってそうな奴?」
「あいつさ」
オウム返しに問い返すと、マリアは正面に立つ門番を顎でしゃくった。
「なるほど。あいつをとっちめて情報を吐き出させるって訳ですね!」
「何が『なるほど』だい」
「あれ、違うんですか?」
「そんな疲れるコトしなくても情報を出すくらいはできる。アンタは黙って見てな」
ため息を吐いてから、マリアはすたすたと門番の前まで歩みを進めた。
「止まれ。何用だ」
門の近くまで行くと、門番が威圧的な態度でこちらを睥睨してきた。
マリアはいつもよりも二割ほど高い声で、こう言った。
「お勤めご苦労様でございます。実は、近々うちの孫がこちらの公爵様と婚約なされると聞いて、遠路はるばるやって来たのでございます」
「……血縁者か? ならそれを証明するものを出せ」
「はい、ただいま」
マリアが袖の下から紙を取り出す。
いつの間にそんなものを用意していたんだろうと紙を見やると――
(……? 白紙じゃない)
紙には何も書かれていなかった。
代わりと言わんばかりに数枚の金貨が乗っている。
マリアはさも当然であるかのようにそれを差し出した。
「こちら、私たちが花嫁の血縁者であるという証明書にございます」
「……確認した。通れ」
(えっ)
門番は白紙を懐にしまい込むと、あっさりと門を開いてくれた。
「ありがとうございます。ところで一つ困ったことがございまして」
「なんだ」
「最近物忘れが酷くてですね。公爵様のお名前をド忘れしてしまったのです。もしご存知でしたら教えていただけませんでしょうか」
マリアは門番の手を取り、懇願するフリをしながら追加で金貨を握らせた。
普通に考えて、血縁者の結婚相手を忘れるなどあり得ない。
しかし彼は疑問すら差し挟むことなく、握らされた金貨の枚数を確認してから答えた。
「……近々ご成婚される公爵家か。それならドミニク・クラウストリ公爵様で間違いないだろう。つい先日オルグルント王国から戻られ、その際にとても美しい方と婚約したと大層お喜びだったと記憶している。家の場所は王宮の東側の一番大きな屋敷だ」
あれよあれよという間にマリアは公爵の名前と居場所に加え、正面から門を通る許可まで取りつけてしまった。
「何から何までありがとうございます。いやはや、年は取りたくないものですねぇ」
「長生きしろよ、婆さん」
白々しい会話をして、門番はマリアから視線を外した。
「さ、行くよ。クリスタ」
「え、あ、はい」
すたこらと前を歩くマリアに追いつき、私はこっそりと耳打ちする。
「なんですかあの兵士。あんなのが門番でいいんですか」
「賄賂が当たり前なんだよ。サンバスタって国はね」
「ええー」
オルグルント王国でもそういったことはゼロではない。
けれどこんなにも堂々と行われていると、さすがに驚きを通り越えて呆れてしまう。
そのおかげでユーフェアの居場所はあっさりと分かったけれど……。
「なんかモヤモヤしますね、この国」
「余計な事は考えなくていい。さっさとユーフェアを助け出してずらかるよ」
「……はーい」