第十六話「後悔と猶予」
視界の端々に見える氷の塊。
地面に深々と突き刺さるそれが、どれほどの威力を込めて放たれたものなのかを雄弁に語っていた。
人間の身体など簡単に貫いてしまうだろう。
「念のため私も警備に回って正解でした」
「ふ、フィン様……」
(フィン。あいつが……)
私より頭一つ高い上背を包むその服装は聞いていた通り、傭兵とは思えない。
どこかの貴族と言われてもすんなり信じてしまえるほどだ。
――そんなことより、見つかってしまったことに私は言い様のない焦燥感を覚えた。
私がルビィ目当てに来たことは前後の流れを見れば明白だ。
(逃げて体勢を立て直す? ……いえ、それじゃ逆効果だわ)
見つかってしまった以上、もう強行突破するしか道はない。
「な、なにをするんですかフィン様! 俺たちに当てるつもりですか!?」
「そのつもりだったが?」
抗議する警備の男を、何でもないような目で見やるフィン。
「一体いつから警備の仕事が侵入者と仲良くお喋りすることになったんだ。それで給金をせしめるとは、随分といい身分だな」
「ひっ」
本当に、何でもないような目だ。
なのに警備の男たちが震えあがるほどの殺気が込められている。
人をモノのように見下ろし、これだけの威力の魔法を放ったのにまるで世間話でもするような軽い口調。
日常的にこういった荒事に慣れているという証左だ。
例の、奴隷商と繋がっているという噂も頷けてしまう。
「だからって、ここまですることはないんじゃない?」
「使えない者を置いておくほどホワイトライト領は恵まれておりませんので」
「傭兵が領の財政状況まで把握しているなんて、随分と仕事熱心なのね」
「ええ。あらゆる面でご令嬢をサポートするのが私の役目ですので」
フィンは意味深に笑う。
含みのありそうな感じだったけれど、そこは置いておいて私は話を移した。
足元の氷を拾い上げ、それを観察する。
「山の足跡を隠したのはあなたね?」
「……ほう。あれを見抜いたのですか」
フィンはにやりと唇の端を歪めた。
まるで自分が出した謎解きを解いてもらえたかのような喜び方だ。
「先程の攻撃を防いだ結界といい、噂通りの人だ」
……噂?
まあいい。今はルビィの安全確保が第一だ。
「ルビィはここにいるのね?」
「そこの給料泥棒と違い私は仕事熱心なのです。これ以上あなたとお喋りに興じるつもりはありません。どうしても聞きたいというのなら――」
フィンはゆったりと両手を広げ――魔法使い特有の悠然とした構えだ――つつ、遊びを思いついたかのようにこう付け加える。
「――私に勝ってからにしてもらいましょう」
「勝てばいいの?」
「ええ。そうすればあなたの質問に何でも一つ答えてあげましょう」
「言ったわね?」
「もちろん。男に二言はありません」
話が早くて助かる。
周辺の警備員が騒ぎ始めている。
(ちゃちゃっと倒してルビィの居場所を吐かせて、ささっと逃げるわよ!)
私も戦闘態勢を取ったところで、フィンが掌を向けた。
「『穿て』」
地面を割るように、氷の柱が幾本も迫ってきた。
速度もさることながら、驚くべきはその威力だ。
大陸中央の魔物ですらいとも簡単に屠れるほどの魔法を、ほとんど呪文も唱えずに使っている。
山頂で足跡を隠すような緻密な魔法と同一の使い手とはとても思えない、荒々しい攻撃だった。
「効かん」
「っ」
けれど、そんな破壊力を秘めた魔法でも私の【聖鎧】は貫けない。
氷柱を真正面から受け、返す手を握り締めて軽く跳躍した。
「聖女パンチ」
「ぐっ!?」
フィンは両手を交差させ、私の拳を受けた。
地面を削りながら後退したが、受ける直前に氷を盾のように展開したため手応えはほとんどなかった。
「は、はは……。完全に殺すつもりで放ったのに無傷ときましたか。面白い!」
破顔するフィンとは対照的に、私は顔をしかめた。
彼は強い。
倒せない敵じゃないけれど、時間がかかってしまう。
焦燥感が再び私をちりちりと内側から焼いていた。
(早く倒さないと、ルビィが……)
「何事なの!?」
対峙する私たちのちょうど中間地点。
二階のテラスから、どたどたと音がして人影が現れた。
▼
(げっ)
リアーナだ。
寝間着にカーディガンを羽織り、髪の毛に少しだけ寝癖がついている。
フィンの魔法で飛び起きたのだろう。
「なによこれ、寒……。フィン、あなたがやったのね? 一体どういう状況――」
きょろきょろとフィンの周りを見渡して、明らかに怪しい黒ずくめの人物(変装した私だ)と目が合う。
「あなた、クリスタ!?」
「……いえ、通りがかりの者です」
「嘘つきなさい! ローブで服装を隠しても、その分厚い眼鏡ですぐに分かるわ!」
「うぐ……」
フィンだけでなくリアーナにまで見つかり、こっそり侵入作戦は完全に失敗してしまった。
やっぱりグレースさんに手伝いをお願いした方がよかっただろうか。
「ふ、ふふふ……これは大問題だわ! 教会に正式な抗議を申し入れてやるわ!」
リアーナの甲高い声で警備兵達もぞろぞろと集まり、私は完全に囲まれてしまった。
マズい。マズいマズいマズいマズい。
突破に時間がかかればかかるほどルビィに危険が及ぶ可能性は上がっていく。
私は軽はずみに侵入したことを後悔した。
「さああなたたち! そいつを捕まえ――」
「リアーナ様、お待ちください」
オーガの首を取ったかのようなリアーナに、フィンが待ったをかける。
「っ。なによフィン。いま、私がかっこよく号令をかけようとしたところなのに」
「リアーナ様。彼女の相手は雑兵には荷が重いと愚考いたします」
「……何言ってるの? そいつは聖女よ」
きょとんとした表情で、リアーナ。
私の能力を知らずに『聖女』という字面だけを見ていれば当然の反応だ。
「先ほど彼女を捕らえるべく魔法を放ちましたが、いとも簡単に防がれました」
(捕らえるじゃなくて、殺すの間違いでしょ)
野暮なことを言って話の矛先がズレることを恐れ、私は心の中で思うだけに留めた。
「どうやら彼女は何らかの力を秘めているようです。危険であると判断します」
「そう……なの?」
「ええ。ですからここは私にお任せいただけませんか?」
「……わかったわ。あなたがそう言うのなら」
リアーナは少しだけ考え、あっさりと引き下がった。
荒事においての判断では自分よりもフィンに任せた方がいい。
そういう信頼関係にあるらしい。
「聞いた通りだ。彼女が逃げ出さないよう、壁役に徹しろ。誰も動くな」
「はっ」
フィンの号令を受け、警備兵たちは一定間隔で並び立ち、私を通せんぼする。
絶体絶命のように見えるけれど、私にとっては好機だ。
(助かるわ。全員をこの場に縫い止めてくれるなんて)
ルビィを盾にしろ――なんて命令が出ていたら、私は何の抵抗もできずに終わっていたかもしれない。
一番時間がかかるであろうフィンを倒すまで、周囲は誰も動かない。
他ならぬ、彼自身の命令によって猶予ができた。
「――さて、仕切り直しといきましょうか」
「ええ、ありがとう」
私は心の底から、フィンに感謝の意を述べた。