第十三話「約束」
<リアーナ視点>
私は目を見開いて固まったままのユーフェアの元に近付く。
狭い家の中なので、三歩も前に歩けば辿り着けた。
「そんな顔をしてどうしたの」
熊の皮をなめしたカーペットの上に座り込む妹の前で手を伸ばす。
「久しぶりすぎて実の姉の顔も忘れちゃった?」
「ひっ」
びくり、とユーフェアは両手で頭を抱えて丸くなった。
「――くす。ちゃんと覚えているようでよかったわ」
実家にいた頃、こうしてよくこいつの頭を叩いていた。
そんな時、ユーフェアは決まって丸くなっていたっけ。
当時はそんな仕草にすら腹を立てて袋だたきにしていたけれど……久しぶりに見るとなんとも愛嬌があるじゃない。
まるで命を握られた小動物そのものだ。
私は叩くようなことはせず、ユーフェアの前髪を撫でつけた。
さらりとした極上の撫で心地。
こんな辺鄙な山の中で、こんな窮屈な小屋で暮らしているというのに、ユーフェアの美しさは衰えるどころか益々輝きを放っていた。
以前の私なら嫉妬で狂っていたかもしれない。
けれど今は、美しくなってくれた妹を誇らしいとすら思う。
私の劣等感を煽っていたこの顔が、私を豚から守ってくれる盾となるんだ。
「会いたかったわユーフェア」
「あ、ぁぅ……」
「フィン。少し外して頂戴」
「承知しました」
フィンは頭を垂れ、そそくさと家の外に出て行った。
私はもう一人の邪魔者に目を向ける。
「初めまして。私はリアーナ。ユーフェアの姉です。あなたは誰?」
「私はルビィといいます。ユーフェアちゃんのお友達です」
お友達、という言葉に思わず吹き出しそうになってしまった。
こんな根暗女と友達なんて、私なら金貨をいくら積まれても無理だ。
「そうなの。ユーフェアと仲良くしてくれてありがとう」
「いえ」
「ユーフェアとこうして会うのは二年ぶりなの。姉妹水入らずお話がしたくて……せっかく来てもらっていて悪いのだけど、少しだけ席を外してもらえないかしら」
こういう頭が緩みきった女は頼めば何でもあっさり引き受けてくれる。
そう思っていたのだけど。
「嫌です」
「……なんですって?」
ルビィははっきりと、私の申し出を拒否した。
「どうして? 二年ぶりの姉妹の再会を邪魔しようというの?」
「ユーフェアちゃんが嬉しがっているならそうします。けど、すごく怖がってます。二人きりにはできません」
……何なの、この女。
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私は改めてルビィを上から下まで睥睨した。
いかにも苦労を知らずに温室で育てられました、といった様子だ。
おそらくは大したことのない中流貴族の娘だろう。
こういう頭の中身のない女は、下手に出てお願いすればすぐに聞く。
……そのはずなのに、こいつは平然と拒否しやがった。
「本当にユーフェアちゃんのお姉さんなんですか?」
「はぁ!? 当たり前じゃない」
疑わしげに視線を投げ返してくるルビィ。
まるで二人は似ていないと言われているようだ。
美しいユーフェアと全く似ていない姉。
つまり、私のことを不細工ですねと言っているようなものだ。
なんて無礼な女!
「なにぼーっとしてるの。ユーフェアからも言ってやって。私たちは仲良し姉妹よね?」
「う――ぅん」
口をもごもごさせるユーフェア。
こういう時、こいつの煮え切らない態度は本当に腹が立つ。
「ユーフェアちゃん、嘘は言わないってさっき約束したよね?」
「……ぅ」
「本当に再会を喜んでるの? 私、出て行った方がいい?」
「…………ぁ、その………………い、嫌……」
――もういい。
「フィン」
「はっ」
手を叩くと、フィンは即座にルビィの背後に回り気を失わせた。
「ルビィ!」
駆け寄ろうとするユーフェアの前に足を出すと、面白いくらい無様に転んだ。
「時間の無駄だったわね。最初からこうすれば良かった」
「お姉様。ルビィに酷いことしないで!」
「それはあなたの態度次第かしら」
「え……?」
「実はね。折り入ってお願いがあって来たの」
私は婚約者の交代をユーフェアに告げた。
私が思い描いていたとおりの間抜け顔で、ユーフェアは困惑している。
「サンバスタの貴族とけけけ、結婚? け……けど、私は聖女だから」
「聖女が結婚を禁止されているのはこの国の王族だけよね? なら別にいいじゃない」
「ぁ……ぅ、でも」
「あなたが嫌なら別にいいんだけど。その時はこいつがどうなるか」
私は意識を失ったルビィの頬を意味ありげに撫でる。
ユーフェアは目の端に涙を浮かべ、それを止めた。
「わかった! わかったから……ルビィには何もしないで! おねがい……」
――あぁ、面白い。
この反応をもっと見ていたい気もしたけれど、遊びすぎた。
さっさと戻ろう。
「もちろんよ。約束するわ」
▼
――こうして、私はユーフェアを山から引きずり降ろすことに成功した。
念のため、足跡はフィンの魔法で消しながら。
「明日には出るわよ。ヴァルトコバルト領でお相手の豚……じゃなかった、公爵様と顔合わせをして、そのままサンバスタに行きなさい」
「……あの。お姉様。本当にルビィには何もしないですよね?」
「当然じゃない。安心なさい」
しつこいユーフェアに再度言い含め、私は使用人たちに妹を預けた。
豚の気をより引けるようにめかし込んでもらう。
その後、私はフィンと共に応接室に籠もった。
「ルビィの処分は私にお任せ下さい。ワラテア王国に伝手がありますので、そこで奴隷として売り飛ばします」
「何も聞こえないわね」
「おっとそうでした。リアーナ様は何もしない――という約束でしたね」
「そうよ。私は妹との約束を守るいい姉だもの」
ふふ、と私は笑みを深める。
「本っっっ当に馬鹿なユーフェア。顔を見られた相手を逃す訳ないじゃない」
全く頭の回らない妹を、私は嘲笑った。
まあ、その愚かさのおかげですんなりと事が運んだからいいわよね。
「さて、私は私で婚約者を探さないと」
ユーフェアを嫁にやることで相手からは多額の資金援助を受ける運びになっている。
ホワイトライト領にも余裕ができる。
その間に私は私で婚約者を探さないと。
とびっきりカッコ良くて、優しくて、逞しくて、お金持ちで、私を一途に思ってくれる――そんな理想の相手を。
久しぶりに高揚した気分になる私に冷や水を浴びせるように、使用人が来客を告げた。
「リアーナ様。聖女クリスタ様が面会を希望されております」
「は?」