第十一話「付加価値」
<リアーナ視点>
ホワイトライト家は高貴な一族だ。
家系図はオルグルント王国建国から途切れることなく続いていて、初代当主は国王陛下と親しい間柄にあった。
北の辺境領という重要な拠点を任され、民を守り続けてきた。
確かに聖女の『極大結界』は魔物を退けるが、それだけで人は食べていけない。
仕事が、金が必要なのだ。
ホワイトライト領では鉱山から採れる豊富な資源の運搬を主な産業としていた。
どこを掘っても魔法使いがこぞって求める触媒が出てくるような状態で、シルバークロイツ辺境領のような人の出入りこそ少ないが、領内は活気に溢れ、繁栄を極めていた。
――それはもはや過去の話。
鉱山の資源を取り尽くし閉山した後、ホワイトライト領は急激に閑散とし始めた。
もちろん手をこまねいていた訳ではなく、色々な手を尽くした。
ただ、痩せ細った土地しかないこの領で根付く産業はほとんどなく、そのことごとくが失敗に終わった。
唯一うまくいったのが硝子細工の加工だ。
精緻な意匠を凝らした装飾品の数々は貴族たちから一定の支持を得たが、それでもかつての栄華には程遠い。
落ちぶれたとしても誇りを失ってはならないと、私たちは高い教養を身に付けさせられた。
勉強することは苦にはならなかったけれど、一つだけ気に入らないことがあった。
「ユーフェア。お前はもういい」
「えっ……お父様。そそそ、それは、どういう……意味……です、か」
「勉強の必要はないと言っているんだ」
六つ下の妹、ユーフェア。
いつも俯いて、おどおどしていて、口調は詰まりがち。背筋を張って歩くことすら数分ともたない。
勉強は馬鹿の一言。歴代の国王陛下の名前を聞いても、オルグルント王国の主要都市の名前を聞いても、おそらく答えられないだろう。
唯一できるのは天文学だけ。けれどそんなものは教養の一つなだけで、実際には何の役にも立たない。
家庭教師を雇うだけ無駄というお父様の判断にも頷けてしまう、まさに愚妹と呼ぶに相応しい出来損ないぶりだった。
それだけならまだ良かった。
父に呆れられ、兄には無視される愚妹を哀れみ、少しは優しくしてやろうかと思った。
……けれど続く父の言葉は、私のそんな気を失せさせるに相応しいものだった。
「お前は顔がいいんだ。わざわざ高い金を払って学を積まずとも貰い手はいくらでもあるだろう。愛想笑いの練習でもしていろ」
「……ッ」
父の言葉に、私は奥歯を噛んだ。
ユーフェアは美しい。
白い肌。長い睫毛。きめの細かな灰色の髪。整った鼻梁。大きな瞳。瑞々しい唇。
兄妹の中で唯一、ユーフェアだけがお母様の素養を引き継いでいた。
まだ十歳だというのに目を見張るほどの美貌を持ち、大人になれば傾国と呼ばれる美女になることはもう決定事項だ。
一方の私はどうだろう。
悪くはないけれど、どれだけ化粧をして着飾ろうとユーフェアの隣に立てば引き立て役にしかならない。
少なくとも、父は私を勉強の必要がないほどの美貌を持っているとは認識していない。
顔がいい。
それだけで厳しい勉強も、何もかもが許される妹に、私は言い様のない劣等感を覚えた。
(そんなに恵まれてるなら、同情してやる必要はないわね)
私は鬱憤を晴らすようにユーフェアを甚振った。
▼ ▼ ▼
時が経ち、私に縁談が持ち上がった。
相手はサリオン王子。
顔の造型はもちろん、家柄も何もかも申し分なかった。
……手癖が悪いとは聞いていたけれど、その程度は広い心で許してやってもいい。
けれど顔合わせの当日――サリオン王子は私の横を素通りし、あろうことかユーフェアに求婚しやがった。
お父様はあっさりと婚約相手の変更を了承し、私の面目は完全に潰された。
妹を甚振ることで納めていた劣等感が、爆発した。
広い心でとは言ったが、ユーフェアは別だ。
「あんたが顔を出すなんて珍しいと思ってたら……これを狙ってたのね! この泥棒! 私の縁談を返してよ!」
「違……違うの、お姉様……!」
足蹴にしていたユーフェアと私の間に、使用人のグレースが割って入る。
「おやめくださいリアーナお嬢様! ユーフェア様はそんなことをする方ではございません」
「黙りなさいグレース! あなたもユーフェアの顔がいいから贔屓してるんでしょ!」
肩で息をしながら、私は床で亀のようにうずくまるユーフェアを睨み付けた。
「これで私の鼻を明かしたつもり? このままじゃ終わらせないわよ」
姉を差し置いて妹が幸せになるなんて許せない。
そんな私の思いが天に通じたのか、ユーフェアが聖女に選ばれたと教会から通達が入った。
サリオン王子との縁談は、あっさりと破談になった。
きっと神様が天罰を下してくださったのだと私は喜んだ。
聖女に選ばれたユーフェアはホライトライト領を離れ、教会の元で暮らすことを決めた。
サリオン王子はホワイトライト家に興味を失い、もうこちらに来ることはなかった。
「あの若造めぇ……! やはり今の王族は腐っている! もはやオルグルント王国に未来などない!」
お父様はサリオン王子の態度に怒っていたけれど、私はむしろほっとした。
私よりもユーフェアを優先するような男ともう一度結婚しろと言われても、彼の前で笑みを取り繕えるかはかなり微妙だった。
そしてユーフェアが出て行ったことは私にとってとても良いことだった。
顔だけはいい妹を二度と視界に入れなくて済み、劣等感に悩まされることもなくなった。
王子以上に若くていい男を捕まえて、今度こそ幸せになるんだ。
▼ ▼ ▼
それから二年経ち、私に再び縁談の話が舞い込んだ。
相手は――サンバスタ王国でも有数の公爵家。
かの国は現在後継者を巡り、紛争の真っ最中だ。
第一王子派と第二王子派があるが、第一王子派が優勢で徐々に落ち着きを取り戻しつつあるらしい。
そして件の公爵は第一王子派だ。
家柄は問題なく、お金もたくさん持っている。
サリオン王子には僅かに劣るけれど、私の相手としては申し分ない……と思っていたけれど。
とある一文を見て、私は悲鳴を上げた。
(年齢……四十五!? おっさんじゃない!)
釣書の二枚目に同封された似顔絵は、どう見ても脂の乗った中年だ。
ある程度美化されていることを考慮すれば、現物はもっと酷いと簡単に想像できる。
いくら有力貴族といえど、そんな年の離れた相手(しかも不細工!)となんて結婚したくない。
「お……お父様」
「まさか嫌と言うつもりじゃないだろうな?」
「っ」
鋭い目で睨み付けられ、私は身をすくませた。
「じきサンバスタ王国は第一王子派の手中に収まる。その時に備え、今から縁故を繋いでおく必要がある。これまで育ててやった恩を、まさか仇で返すつもりではないだろうな?」
嫌に決まってるじゃない!
顔だけで優遇されていた妹と違って、私はこれまでずっと努力してきた!
報われなくちゃいけないの!
だから、絶対に優しくてカッコ良くてお金持ちの男としか結婚したくない!
あまりのストレスで頭がどうにかなりそうなその時――天から、囁き声が聞こえた。
それはまるで天啓。
絶体絶命のこの状況を打破する、最良の策だった。
「嫌とは申しておりませんわ。ただ……私よりももっと適任がいるのではと思いまして」
「なにを言っている?」
もはや婚約は決定事項だ。
……けれど、その決定をほんの少しだけ曲げることはできるはず。
こんなタイミングではるばるサンバスタ王国側から縁談が来たということは、第一王子派はオルグルント王国へもいずれは進出するつもりなのだろう。
それが商売的か、軍事的かは知る由もないけれど。
――だったら、私よりも一つ付加価値を持つ妹が代わりに嫁に行けばいい。
「ホワイトライトの血を引いていて、かつオルグルント王国の国防を担う聖女を差し出せば、より相手に恩を売れるのでは、と愚考しまして……ユーフェアを婚約相手として差し出すのははいかがでしょうか?」