第九話「二人」
「ええ……」
リアーナの怒声に、私は思わず壁から耳を離した。
初対面の相手に猫を被ることはよくあることとはいえ、あまりの変化に開いた口が塞がらない。
別人の声を聞き間違えているのかと、もう一度壁に耳を当てる。
「うーん、聞こえないわね」
声はもう漏れてこなかった。
さっきくらいの声量でなければ、この分厚い壁は貫通できないようだ。
穴を空けて聞き耳を立てる訳にもいかず、私は壁から耳を離した。
――どーいうことだよあのクソガキ! 誰にも連絡するなっつったのに!
(あれはどういう意味?)
会話の流れから推測するに、クソガキとはユーフェアのこと……だと思う。
リアーナとユーフェアは知り合いなのだろうか。
考え込んでいると、リアーナが戻ってきた。
「急に申し訳ありません」
「いえ。ところで今、隣の部屋で叫んでませんでした?」
「――――いえ、隣の部屋には行っていませんわ。執事に先程の件のお話を聞きに行っておりましたの」
「本当ですか? リアーナさんにとても声が似ていたんですけれど」
「お可哀想に聖女さま。きっと激務でお疲れなのでしょう……そんなことよりも」
リアーナは手を叩いて会話の流れを急転換させた。
「先程おっしゃっていた件ですが、やはりこちらに該当する少女がいるという報告は上がっていませんでした――ただ」
「ただ?」
「あなたの仰るルビィという子かは分かりませんが、グレイスカイ領に似た特徴を持つ女の子が保護された、という話があったそうです」
「本当ですか?」
「ええ、確かです」
グレイスカイ領はホワイトライト領の南側にある領だ。
位置的にも、ルビィがいて不自然はない。
ない……けれど。
(何か変ね)
ユーフェアはこの家にルビィがいると言っていた。
あの子がいま、どういう状況かは分からないけれど……嘘を言うような子じゃないことは重々分かっている。
となるとリアーナが嘘を言っていることになるけれど……。
私はリアーナの顔を見やる。
「どうされました? 今、馬を使えば夜までにはグレイスカイ領に到着できますわよ」
にこにことした表情で、リアーナ。
人の気持ちを察せない私が、権謀術数で鍛えられた貴族の真意を読み取ることなんてできるはずがない。
ただ、彼女の話を鵜呑みにすることはなんとなく憚られた。
「そうだ。ユーフェアとも連絡が取れなくなってしまっているのですが、どこに行ったかご存知ありませんか?」
「さあ……聖女ユーフェアさまは内向的な方ですから。普段何をしているのかもさっぱり分かりませんわ」
「お知り合いとかではないですか?」
「いいえ。お会いしたこともありません」
きっぱりと、リアーナ。
これ以上の会話を許さないような、断絶の意味が練り込まれていた。
「それでは私、父の看病がございますのでこれにて失礼いたします」
「お時間を取らせてしまいましたね。ありがとうございます」
「いえ。聖女さまのお役に立てたのなら何よりです」
私は一礼し、部屋を出た。
リアーナの言葉を信じたから……ではない。
疑っている訳ではないけれど、私にとってはユーフェアの言葉の方が信頼できる。
(ルビィもユーフェアも、まだ安否が分からない。急がないと)
一度外に出て、聖女だと分からないよう変装してから再度侵入する算段を立てる。
(鎧……はガチャガチャとうるさいから、ローブがいいかしら)
前回、マリアに没収されてしまった外套。
あれがあれば用意する手間も省けたのに……。
「あの」
ホワイトライト領主の家を出てすぐ、背後から声をかけられる。
振り返ると、そこにいたのは中年のメイドだ。
「聖女様。突然お声かけして申し訳ありません。ユーフェア様のことでお話がございます」
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グレースと名乗ったそのメイドに誘われるまま、私は彼女と共に郊外の森へ出た。
「こんなところで申し訳ありません」
「いえ、それよりユーフェアの話とは?」
「リアーナ様はユーフェア様のことを何と仰っておいででしたでしょうか」
「会ったこともない、と」
「そうですか……」
グレースさんは眉を下げた。
やはり二人は知り合いなのだろうか。
「そのお顔ですと、リアーナ様のお話を信じているという訳ではないようですね」
「まあ、何か妙な感じはしました」
「さすがは聖女様。鋭い洞察眼をお持ちでございます」
いつも全然洞察できずに方々から怒られています、とは言えず、私は曖昧に微笑んで誤魔化した。
「ご推察の通り。あのお二方はお知り合い――いえ、姉妹でございます」
「え」
ユーフェアとリアーナが、姉妹?
「ちょっと待ってください。ってことは、ホワイトライト領って……」
「ユーフェア様の故郷でございます」
予想の斜め上の事実に、私は目を剥いた。
「じゃあ、どうしてリアーナさんはユーフェアのことを知らないなんて言ったんですか?」
そう尋ねると、グレースさんは腰を上げて空を見上げた。
「少しだけ、長いお話になりますが……構いませんか?」