第四話「移動手段」
お茶会の中止から一週間が経過した。
私は予定通り王都に戻り、せっせと業務をこなしている。
「終わった……」
「お疲れさん。ほい次だ。これは三日以内に頼むぞ」
「……」
書類の束を退け、机に突っ伏した矢先、どん、と目の前に新たな書類が追加される。
「こんな大量の仕事を平然と投げてくるなんて。所長は私を馬車馬か何かと間違えていないかしら」
「帰還予定をズラしたお前が悪いんだろ」
「それはルビィが熱を出したからであって、仕方のないことなのよ。風邪で弱る妹を見捨てて仕事に走るなんて私の姉道に反する行為だもの」
「はいはい、妹のことはいいから」
「……だんだん私の扱いが酷くなってるわね? マクレガー」
マクレガー・オースティン。
時季外れでこの魔法研究所に入った私の、唯一の同僚だ。
クセのある髪型を撫でつけもせずに放置しているせいか、その頭はいつも実験に失敗して爆風を浴びたように広がっている。
ヨレヨレの白衣と無精髭、そして目の下には濃いクマができている。
年齢は私より一つか二つしか違わないはずだけれど、見た目はもう三十代の中頃に差し掛かっていた。
事実、初見で彼の年齢を言い当てた人物を私はまだ見たことがない。
「そう拗ねるな。コーヒー入れてやるから」
「それは助かるわ」
マクレガーのコーヒーは美味だ。
同じ豆で、同じ入れ方をしているのに、私が自前で入れるものとは香りが全然違う。
「はふぅ」
彼が準備をしている間、メガネを外して目頭を揉む。
集中していたせいか、かなり凝っている。
「そいやお前、なんでメガネ掛けてるんだ? 目良いんだろ」
私がメガネをかけるようになったきっかけは、社交パーティで無闇に声を掛けられるのを防ぐためだ。
けれど今は違う。
「――ふふ。よくぞ聞いてくれたわ」
私は、すちゃ、とメガネを掛け直して堂々と宣言した。
「私が魔法研究所に選ばれた時、ルビィが『メガネをしている研究者ってかっこいいです』って言ったからよ!」
「あ、そ」
素っ気ない返事をするマクレガー。
聞いてきたのは向こうからなのに。
「どうしてそんなこと聞いてきたの?」
「いや。もったいねえな――って思っただけだ」
「?」
勿体ない?
なにが?
「何でもねえよ。仕事がんばれ」
湯気の立つコーヒーを置き、彼はひらひらと手を振って去って行った。
▼
「さて。今日は出てくれるかしら」
仕事に手を付ける前に、私は念話紙を取り出した。
繋げる相手は――ユーフェアだ。
――クリスタはどうせ……ぐす……妹を優先するんでしょ?
――だったら、もう私を誘ったりしないでよッッ!
あれ以来、ユーフェアの声を聞いていない。
念話紙を使っても、向こうが出てくれないのだ。
「……やっぱり出ないわね」
今回も反応なし。
そんなにも怒らせてしまったのだろうか――と考えていたけれど、ベティが言うには怒っている訳ではないらしい。
大人しいユーフェアがあれほど感情を剥き出しにしていたのに、怒っていない……?
「全然分からないわ」
私は他人の感情に疎い。
だからユーフェアが何を考えて、何を感じてああ言ったのかが分からない。
いつもはヒントをくれて仲を取り持ってくれるベティも、何も言ってはくれなかった。
『今回は当事者同士で解決した方が互いの為になるッスよ』
「当事者同士、ね……」
――ひと段落ついたら、ユーフェアに謝りに行こう。
「【疲労鈍化】」
そう心に決め、私は気合いを入れて仕事を再開した。
▼
「終わっ……たわ」
何度か太陽と月がぐるぐると入れ替わったのち、私は溜まっていた業務をすべて完了させた。
合間に聖女の仕事も挟まったりもしたけれど、そちらもばっちりと終えている。
スケジュールに余裕ができた。
これでようやくユーフェアに会いに行ける。
「クリスタ。手紙だ」
「手紙?」
差出人はルビィからだった。
内容は風邪が治り元気になったことと、迷惑をかけたことを改めて謝罪するものだった。
『メイザに看病してもらって、ようやく治りました。ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい』
「謝ることなんてないのに……本当に優しい子ね」
底知れないルビィの優しさに、やっぱりあの子は天使の生まれ変わりに違いないと確信を深める。
『ユーフェアちゃんにも謝りたくて、これから彼女が住んでいる山に向かいます』
「あら、ルビィもユーフェアのところに向かっているのね」
どうせなら合流して、一緒に謝った方が話は早い。
けれど日付から逆算すると、私が今からどれだけ急いでもルビィの到着には間に合わせられない。
何か良い方法は――と考えている最中に、名案が思い浮かんだ。
「そうだわ。あの方法を使えば……!」
私は廊下を飛び出し、手紙を置いて自室に戻ろうとしているマクレガーを捕まえた。
「なんだよ急に。何か用か?」
私はにこりと微笑み、彼にお願いした。
「実験用で捕まえているワイバーンがいるわよね。少しだけ貸してくれないかしら」