第二十六話「妹は姉のすごさをもっと知りたい」
王都・魔法研究所。
堆く積まれた書類の束を乱雑に払い除け、私は机に突っ伏した。
「や、やっと終わったわ……」
自分でも疲労の色が濃いと思える声で、独り言ちる。
たった今終えた仕事は、大好きな研究ではなく――私への罰だ。
マリアからの説教を華麗に(?)回避して意気揚々と帰ってきた私は、待ち構えていた魔法研究所の所長にこってり絞られた。
妹の危機に学会で研究発表などしている場合ではない、ちゃんと代理を立てたのだから問題はない……と弁明したのだけれど、「常識に囚われない発想力を発揮するのは論文の中だけにしてくれ」と一蹴されてしまった。
お説教と共に罰として言い渡されたのがこの書類の山だ。
ここ魔法研究所は、名の通り魔法に関するありとあらゆる研究が――起源を巡る考察から新たな魔法理論の提唱、統計調査まで、とにかくすべてだ――成されている。
今回、罰として言い渡されたのは統計調査。
魔法使いを対象に行われるアンケートを集計し、それを表にまとめる作業だ。
私の専攻は魔法理論の提唱とそれに付随する起源の考察であり、ちまちました作業は苦手だ。
それを知った上で、所長はこの仕事を手伝わせたのだろう。
「どぼぢで」
今回は言わなくて済んだと思った台詞が、自然と口をついて出てきた。
「お疲れさん」
机の上にへばりつく私の目の前に、暖かな湯気の立つコーヒーが置かれた。
首を持ち上げた先にいたのは、学会の交代を快く受けてくれた同僚だ。
コーヒー豆の匂いが鼻腔を刺激し、だらけた身体に自然と活力が戻ってくる。
「ありがとう」
「なに、珍しい魔物の素材をくれた礼だ」
礼、と言われて私は片眉を上げた。
彼には手土産として、多頭蛇の鱗と生態のレポートを(覚えている範囲で)渡した。
しかし、あれは学会を交代してくれたお礼にとあげたものだ。
貸し借りはもうないはずなのに。
「新種の魔物だぞ? 交代くらいで釣り合うシロモノじゃないだろ」
彼は魔物の生態研究を専攻している。
(魔物も魔力が動力源になっているので、分類的には魔法研究所で扱う対象だ)
なんとなく手土産になればいいと思って持って帰ってきたけれど、あれは彼の視点から見るととんでもないお宝だったみたいだ。
「何かあったらまた助けてやるよ」
「その台詞、あと少し早く言ってくれていたら統計調査を手伝ってもらっていたわ」
「だと思った。だから今言ったんだ」
「あら酷い」
どちらからともなく、くすり、と笑い合う。
彼と私は結構似ているところがある。
興味のないものには見向きもしないところとか、よく所長に怒られるところとか。
魔法研究所に入ったのがほぼ同時期ということもあり、なんだかんだで一番仲の良い同僚だ。
「さて。やることは済んだし、出るわ。コーヒーごちそうさま」
「実家に帰るのか?」
「うん。その前に教会に寄らなくちゃ」
「聖女サマは大変だな」
仕事じゃないんだけどね。
私は荷物を抱え、魔法研究所を後にした。
▼
いつものように群がってくる神官たちをやり過ごし、マリアの私室へと向かう。
大陸中央の活動期は一週間前に収束し、部屋の主はもう戻ってきていた。
「失礼します」
扉を開けると、ちょうど朝の祈りを終えたマリアと視線がかち合った。
「お前がこんな時間に来るとは珍しいね。何か用かい」
「実は、見て頂きたい物がありまして」
私は持っていた包みを開き、それを広げた。
「……なんだい、これは」
「変装セットです」
闇に溶けるような黒いローブ。
目深まですっぽりと隠れるフードと、顔の部分には仮面が取り付けてある。
見ようによっては、白を基調とした聖女の法衣を黒くしたもののようにも見える。
「……そいつをアタシに見せてどうしろと?」
「ルトンジェラの一件で気付いたんです。顔さえ隠していればマリアに怒られることがないと!」
「…………は」
「そこでこの変装セットの出番あいたぁ!?」
目の裏で星が瞬き、私はその場にうずくまった。
脳天を抑えながら、抗議の視線を向ける。
「何をするんですか! 今のどこに殴る要素があったんです!?」
「どうして殴られないと思ったんだいこのアホタレ!」
はああああああああああああああああああああ、と、マリアは長い長いため息を吐いた。
「いいかい。アタシとアンタはルトンジェラで出会ってなんていない。いいね?」
「もしかして、クリスの正体が私だって気付いてなかったんですか?」
「アンタってやつは……本当に察するってことができないねぇ!」
「待って待って! 暴力反対!」
防御態勢を取ると、マリアは振り上げた杖を下ろし、また大きく嘆息する。
何も言わずとも人の気持ちを察する。
表情も態度もいつも通りなのに、何を考えているかなんて分かるはずがない。
私にとってはそれこそ神の奇跡にも等しい能力だ。
「納得のいく説明をください」
「……アンタが妹第一で動いているのと同様、アタシにも譲れないモンがあって動いている。ただそれだけだ」
分かるような分からないような説明をされる。
追加で質問をするが、すべて無視されてしまった。
「いいかい。『ルトンジェラに行った』なんて世迷い言を他のモンに言うんじゃないよ」
そう念押しされ、そのまま私は追い出された。
ちなみに変装セットは没収された。
▼ ▼ ▼
「ねぇメイザ。人の気持ちって分かる?」
実家のテラスでお茶を飲みながら、傍にいるメイザに声をかける。
「すべてを理解するのは難しいですが、少しなら」
「すごいわね。私にはぜーんぜん分からないわ」
「何を仰います。クリスタ様も、ルビィ様のお気持ちをよくご存知ではありませんか」
それは身体のどこかに兆候が出ているからだ。
眉の位置がいつもより二ミリ下がっているとか、抱きしめた時の体温が平常範囲内(ルビィの平熱は三六度三分だ)より高いとか、心拍数がいつもより十八高いとか、ルビィはけっこう分かりやすい。
そこからあの子の行動パターンを考えれば、どこに要因があるのかはだいたい想像がつく。
「ルビィの様子はどう?」
「夜もぐっすり眠っておられます。魔物のトラウマ等は心配ないかと」
「良かったわ」
ルビィは「みんなで逃げている最中に運悪く襲われた」と思っているようで、「自分が狙われていた」という感覚は無いみたいだ。
あの多頭蛇がどうしてルビィを狙っていたのかは分からず終いだったけれど……。
(関係ないわ。何が来ようと、あの子は私が守るんだから)
拳を握り、誓いを新たにする。
「お姉様、お帰りなさい!」
しばらくメイザと談笑していると、ルビィが駆け寄ってきた。
料理の下ごしらえを手伝っていたらしい。
さっそく学んだことを活かして人の役に立っている。
(すごいわルビィ、立派よ!)
表立って褒めてあげたいけれど、私はルトンジェラにはいなかったことになっている。
それ故「何があったのか話を聞く」というワンクッションが必要になる。
「――と言うわけで、ルトンジェラ地方でのお仕事はすごくためになりました!」
「うんうん、良かったわね」
ルトンジェラで過ごした日々は、ルビィにとって良い経験になったみたいだ。
――しかし姉としては、結界の穴にはもう行ってほしくない。
まあ魔物の怖さはある程度は分かったと思うので、さすがにもう一度行こうとは思わないだろうけど。
「はい! 他の結界にも行ってみて、いろいろお手伝いしようと思います!」
「……へ」
そんな期待を、ルビィはあっさりと打ち破った。
目が点になる私に、世界一可愛い妹は拳を握って力説する。
「聖女がどれほど王国の人々に感謝されているのかを目の当たりにして、改めてお姉様がいかにすごいかを再確認しました! やっぱり本を読むのと現地で生の声を聞くのとでは全然違いますね! 他の結界の穴にも行って、お姉様のすごさを肌で感じたいと思います!」
「…………そ、そう?」
「はい!」
(……マリアに言ったら、変装セット返してもらえるかしら)
そんなことを考えながら、私は晴れ渡る青空を見上げた。
第三章・完
重大発表!
とかしたかったのですが、やはり何もありません。
「やっぱりクリスタは怒られないとしまらないよね」
「ルビィの猪突猛進さ、けっこう姉譲りだよね」
「エキドナって常識人だよね」
と思った方はイイねやブックマーク、☆☆☆☆☆を入れていただけると励みになります。
第四章は翌年の二月頃から連載再開の予定です。
次章では台詞だけ出てたけど本人は一度も登場していないあの聖女がいよいよ登場(予定)です
では




