第二十五話「人の気持ち」
マリアの署名付き嘆願書は抜群の効果を発揮し、数日もしないうちにぞろぞろと応援がやって来た。
前線に立つ憲兵はもちろん、雑事をこなす直属の使用人まで引き連れている。
その中に、例の無礼を働いた憲兵たちの姿もあった。
彼らを率いる憲兵団の隊長が、マリアの前に来るなり地面に膝を付けた。
「第四憲兵団・ルトンジェラ広域地区部隊長を務めておりますバリトルと申します! 聖女マリア殿ッ! このたびの部下の失言で大変なご迷惑をおかけいたしましたッ!」
憲兵は反聖女派が多いと聞くけれど、今回来てくれた彼はリンド憲兵長と同様、聖女の必要性を理解してくれているようだ。
聖女を侮辱した罰を与えられたのか、当の憲兵たちは顔を腫れ上がらせていた。
バリトルから折檻を受けたのだろう。
それでも全く懲りていないようで、頭を下げた彼に文句を垂れる。
「隊長! こんな奴に頭を下げるなんて」
「そうです! 聖女なんて単なる詐欺師の集団です!」
「教会の洗脳からいい加減目を覚ましてください!」
「まだ言うかこの馬鹿どもがぁ!」
「ぽげぁ!?」
憲兵たちが、バリトルに頭を掴まれてゴスゴスと地面に顔をぶつけられる。
「私の指導不足による数々のご無礼、如何様な処分でも甘んじて受ける所存でございます!」
「頭を上げな。迷惑をかけられたのはここの住人たちだ。しっかり働いてくれりゃそれでいい」
「寛大なご対応感謝いたしますッ! 粉骨砕身で魔物の対応にあたらせていただきます!」
バリトルは部下の首根っこ掴み、そのまま戦闘区域の方向へと彼らを引きずっていく。
「来い貴様ら! 『極大結界』がいかに王国守護の要であるかをたっぷりと教えてやる!」
「ひいぃ!?」
これで彼らが少しでも『極大結界』の効果を体感してくれればいいのだけれど。
私の経験上、反聖女派はそう簡単に考えを覆さない。
妙な火種になりませんように……と、こっそりと両手を合わせる。
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緊急事態という大義名分を手に、マリアは臨時的にルトンジェラの指揮権を手にした。
「さてマーカス。人手は充足した。派遣労働者たちをこれ以上ここに置く理由はなくなったね」
「了解しました。現時刻を以て任を解き、それぞれの居住地に帰します」
「うむ」
派遣労働者。
その中にはもちろんルビィも含まれている。
「続いてエキドナ、あんたももう帰りな。聖女派遣期間の残りはアタシが引き継ぐ」
「――ちぇ。アタシはお払い箱ってかぁ?」
「そういうことだ」
ルビィもエキドナもこの場を離れてしまう。
私がここに居る意味を、マリアは指揮権を手にして五分であっさりと無くしてしまった。
「マリアがそう言うなら仕方ねえ。帰るぞ、クリス」
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帰りの馬車の中、私はノートにペンを走らせながら呟いた。
「分からないわ」
「なにが?」
隣で窓の外を眺めていたエキドナが、私の顔に視線を移す。
「『聖女は結界の穴に複数人いてはならない』っていうルールに基づくなら、私たちを帰らせるのは正当と言えるわ。けれど今は時期外れの活動期。聖女が指揮権を握るなんて例外が適応されるのだから、私たちがいてもいい事態のはずなのに、どうして帰らせたのかしら」
「なんだ、そんなコトか」
「エキドナには分かるの?」
エキドナは人差し指を天に向けたまま、くるくると指を回した。
「単純に、マリア一人で十分に対処可能ってことだろ。少ない人数で解決した方がより聖女の力も際立つってモンだ」
「……なるほど」
聖女歴の長いマリアからすれば、今回の異常事態も経験済みなのかもしれない。
皆が騒ぐ中、冷静に事態を鎮圧する聖女……。
確かに、聖女の力を疑う者たちへの訴求力は高いかもしれない。
「他にも理由はあると思うけど」
「他って、例えば?」
「教えねーよ。たまには練習と思ってマリアの気持ちを考えてみろ」
……私は他人の気持ちを推測するのが苦手だ。
理論理屈が通らない『人の心』というものは私とは対極の位置にある。
「教会上層部の差し金? それともマーカスと秘密裏に繋がっていたとか……うーん、うーん……」
「悩め悩め。つーか、さっきから何を書いてたんだ?」
「ああこれ? マリアに怒られないための装置の設計図を書いているの」
「……あそ」
一瞬で興味を無くしたエキドナは、私の膝に頭を乗せてきた。
「クリスタ。しばらく『極大結界』の維持、肩代わりしてくれねーか?」
「うん? いいけれど」
「悪いな」
すん、と僅かに何かがのし掛かるような重みを感じる。
肩の荷――まさしく正しい表現だ――が降りたエキドナは、そのまま、すぅ、と寝入ってしまった。
ルトンジェラでは平然を装っていたけれど、実は疲れていたのだろうか。
「まさかマリアはエキドナを休ませるために……? いえ、そんなはずはないわね」
エキドナ疲れている説は、あくまで仮説でしかない。
マリアとエキドナはほんの少し会話しただけ。それで彼女の状態を見抜けるなんて、できるはずがない。
……できないわよね?
「マリアの気持ち……実はサンバスタ王国のスパイで、私たちを結界の穴から遠ざけてオルグルント王国の崩壊を……いえ、それじゃ辻褄が……うーん、うーん……」
――結局、王都に帰還した後もその答えが見つかることは無かった。
おまけ
クリスタに学会を押し付けられた人
「あの野郎帰ってきたか! 一言文句言ってやらんと気が済まねえ!」
「ただいま。これ、あなたへのお土産」
「なんだこれ?」
「新種の魔物の鱗よ。あなたの研究に役立つと思って」
「さすがクリスタ! 分かってるゥ!」
一瞬で手のひらを返す研究者(専攻は魔物研究)