第二十話「厄介な相手」
「クリス!」
エキドナが私の偽名を呼ぶ。
「なんだあいつは!?」
「ユーフェアが言っていた魔物よ。あいつは私がやるから、エキドナは周辺の人をお願い」
ちらり、と逃げ遅れていた非戦闘員たちに目を向ける。
多頭蛇が迫ったことで一時は乱れたが、避難を再開している。
その中にルビィの姿もあった。
いつも仕事を教わっている中年の女性に手を引かれている。
顔は少しだけ青ざめているけれど、怪我はしていない。
「あいつ、ルビィを狙ってきたの」
手を強く握ると、鎧がギシギシとこすれ合う音がした。
「他に魔物は?」
「あのバカでかい蛇のせいで何匹か侵入してきてる」
「そう。じゃあ、そっちは任せるわ」
「おう」
私はエキドナを抱え、戦況がよく見える屋根の上に彼女を運んだ。
「さて、やるか」
エキドナは早速その場に膝を付け、祈りを捧げる姿勢を取る。
「【英雄の頌歌】」
淡い光が、周囲の傭兵たちを包んでいく。
「な、なんだこれは!?」
「力が溢れてくるぞ……!」
――エキドナ流、身体能力強化術。
身体能力強化の魔法は存在しているが、扱いが難しい。
人間の身体はそれほど単純な構造をしていない。
腕力を増強させても、それを支える骨がそのままでは折れてしまう。
走力を増強させても、感覚が慣れていなければ壁にぶつかってしまう。
すべての部分を満遍なく増強させ、さらにそれを維持しなければならない。
――対象が他人となると、難易度はさらに跳ね上がる。
しかしエキドナは違う。
癒しの力と同様、多人数へ向けて身体強化ができる。
驚くべきはその増強度だ。
他人が身体能力強化を付与した場合、今の魔法技術ではせいぜい数%が限界だ。
しかしエキドナの能力上昇はニ十%を超える。
徹頭徹尾、他人の支援に特化した聖女。
それがエキドナだ。
「すげぇ! 魔物が弱く感じるぜ!」
「聖女エキドナの加護万歳!」
「無茶して特攻すんなよー」
屋根の上から声をかけるエキドナ。
傭兵はそれを聞いているのかいないのか、威勢のいい声を上げた。
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「待ちなさい」
私がエキドナを運んだ隙をついて多頭蛇は再び非戦闘員を追おうとしていた。
頭上から聖女プレスを仕掛け、中型の蛇の頭を潰すと再び注意が私に向いた。
繋がったまま事切れた蛇の頭が尻尾付近で分断され、そこから新しい頭が生えてきていた。
繋がった場所によって蛇のサイズは予め決まっているようだけれど、ルビィを最初に狙った蛇は小さかった。
となると、蛇のサイズはある程度自由が効くらしい。
「どういう構造してるのよ」
魔物研究者がこの場にいれば涎を垂らすほど独特な生態をしている。
そちらに関しては門外漢だけれど、魔物と魔法は密接な関係がある。
私にとっても少しばかり興味を引かれる生態だ。
相手は大陸中央から来た新種。
あまり従来の魔物の固定観念を当てはめると思わぬところで足元を掬われるかもしれない。
多頭蛇は他に抜け道はないかと様子を伺っていたようだけれど、隙がないと分かるとようやく諦めて私に向き直った。
こいつの狙いはルビィだろう。
魔物が特定の人間を狙うという話はさほど珍しいことじゃない。
群れの中で一番弱そうだとか、魔物の目を引く何か――物であったり、匂いであったり――を持っているとか、大体の理由はそんなところだ。
魔物の大半は知能が低い。
特定の人物に固執したとしても、大抵は引き離せば諦める。
十分に離れてもなお執拗に狙ってくるとなると、何か別の理由があるのだろう。
ルビィが魔物に狙われる理由……。
「可愛すぎて魔物まで魅了しちゃったとか?」
ルビィほどの可愛さを持っていれば、決してあり得ない話ではない。
結界の穴には今後近付かないように言った方がいいのかもしれない。
――なんて考えていると、多頭蛇が仕掛けてきた。
複数の頭が大きな顎を開き、私を丸呑みにしようとする。
「聖女パンチ……あっ」
真っ直ぐに向かってくる蛇に、カウンターの要領で拳を突き出すと、タイミングをズラされた。
頭をくねらせ、器用に側面から牙を向けてくる。
「聖女裏拳」
それを空いた手で弾き飛ばすと――今度は頭上から狙いを定めていた蛇に呑まれる。
「聖女キック」
胃の中に収められたとしてもダメージはないけれど、気分のいいものではない。
口の中から蓋をこじ開ける要領で上顎に蹴りを放つと、蛇の頭が吹き飛んだ。
猛攻はまだ止まない。
鎌首をもたげた頭が、脱出した私に魔法を放つ。
あらゆるものを切り裂く風の刃が私に襲いかかる。
「効かん」
すべて【聖鎧】に阻まれ、私に何の痛痒も与えることはない。
風の勢いで少しだけ着地地点がズレた程度だ。
潰したはずの蛇の頭は、その間に両方とも復活していた。
「動きが俊敏ね。まるで私の行動を読んでいるみたい」
行動を読む。
自分で言った言葉に、ピンときた。
多頭蛇は分離し、独立した行動ができる。
そして、それぞれの感覚を共有している。
ということは……。
これまで倒してきた多頭蛇たちにした攻撃方法や立ち回りを、この本体は知っている。
特に聖女パンチはかなり多用している。
動きの癖を読まれていてもおかしくはない。
だから完璧に当たると踏んだカウンターを、まるで知っているかのように避けてみせたのだ。
「思っていたよりも厄介ね」




