第十六話「やばい聖女」<マーカス視点>
結界の外の魔物に新技が通用するのかを試したい。
若き新米聖女クリスタは、そう言い放った。
「あ、【聖鎧】っていうのはですね、聖女の力と私の理論を掛け合わせたものでして――」
【聖鎧】とやらについての解説を始めるクリスタ。
しかしそれは驚きのあまり思考硬直を起こしていた俺の耳には届かなかった。
聖鎧とやら――字面からすると、身を守る技のようだが――を試すために活動期のルトンジェラで実験を行いたい。
それがどれほど危険なものなのかを、この能天気な聖女はまるで分かっていない。
外の魔物は内地とは比べようもなく強い。
誇張でも比喩でもない、純然たる事実なのだ。
しかも今は活動期。
内地の魔物に技が通用したからといって、外で同じようにそれが機能するとは考えられない。
「あの、聖女クリスタ様。お言葉を返すようで申し訳ありませんが――」
俺は外の魔物がいかに危険であるかをできるだけ嚙み砕いて説明した。
でかい眼鏡のせいで目元はほとんど見えなかったが、ふんふん、と神妙に頷いてくれる。
貴族出身と聞いていたが、なんというか……ぜんぜん貴族らしくない。
貴族といえば「下民ごときがこの私に指図するか!」といった態度の者が多い。
俺が接したことのある貴族――親に言われて憲兵にならざるを得なかった次男や三男――に偏りがあると言われればそれまでだが……。
とにかく、聖女クリスタはいい意味で貴族らしくなかった。
「――という訳です」
「要するに、危険だから外の魔物を使っての実験は止めたほうがいい、ということですね?」
「ええ」
「分かりました」
「分かっていただけて何よりです」
「気を付けて実験しますね」
「分かってなかった!?」
相手が聖女ということも忘れ、俺は思わずツッコんでしまった。
気分を害した様子もなく、聖女クリスタは結界の外の地図を眺めている。
「初日ということで、今日だけは魔物の密集度が少ないところがいいですね。どこかありますか?」
観光地に行くくらいの気軽さで、聖女クリスタはそう答えた。
「……っ」
立場上、俺は聖女に命令はできない。
せいぜい、助言してやんわりと方向転換してもらうくらいだ。
聖女クリスタが意見を曲げない以上、俺はそれに従うしかない。
たとえどんな結果になってしまったとしても。
「……本当に、よろしいのですか?」
「もちろんです。そのために来たんですから」
「案内係を付けます」
「ありがとうございます。助かります」
案内係と称し、最も腕の立つ男を護衛に付けた。
彼が抜けた穴を埋めるのはしんどいが……聖女自ら言い出したこととはいえ、死地に向かう彼女を放置はできなかった。
「心配なさらないでください。理論上はオーガの一撃でも壊れない強度なので」
「……道中、くれぐれもお気をつけください」
何を言ってるんだこいつは、という表情が顔に出てしまう前に俺は聖女から背を向けた。
▼
「……こんな日があるものなのか」
活動期の真っただ中にも関わらず、その日は魔物の侵攻がとても緩やかだった。
聖女クリスタに付けた護衛が抜けた分を差し引いても十分におつりが来るほどだ。
特に、聖女たちが向かった北東方面。
そちらから来る魔物は一匹もいなかった。
この分だと、彼女が言っていた新技の出番は無かっただろう。
「問題は明日からだな」
今日はたまたま魔物が少なかったからなんとか凌げた。
しかし、こんな日が毎日続くことはありえない。
活動期の真っただ中、あの世間知らずの聖女をお守りしなければならない。
「『今日は魔物と出くわさなかったから、もっと前線に出たいです!』 とか言い出さないだろうな……」
明日からは色々な意味で辛い戦いになるだろう。
ここが正念場だ、と、俺は腹に力を入れて姿勢を正した。
ちょうどその時、部屋の扉がノックされる。
「マーカスの旦那ぁ!」
「お、帰ってきたか」
入ってきたのは、聖女クリスタを任せた護衛係だった。
「ぜぇ……はぁ……」
「今日はご苦労だったな。報告を聞こう」
よほど急いでいたようで、切れた息を整えるまでしばらくの時間を要した。
「あの聖女、やばいです!」
強力な魔物を前にしても一歩も怯まない歴戦の男が、随分と慌てた様子で叫ぶ。
「まあ、前線に行きたいとか言うくらいだからな」
「そうじゃないんですよ!」
「?」
彼の慌てぶりに、俺は首を傾げた。
今日、彼と聖女が向かった場所に魔物は来なかった。
特に何事もなく終われたはずだ。
「魔物は来なかったはずだろう?」
「違うんですよ。来たんですよ、いつも通りの数!」
おかしなことを彼が口走る。
いつも通り魔物が現れたなら、結界の穴付近にもっと現れるはずだ。
「報告では、今日は魔物の数が全体的に減少傾向だった。特に、北東方面からは一匹も来なかった。それが違う、と?」
「そうです。魔物の数はいつも通りでした。けど……」
「けど?」
続いて彼が口にした言葉は――聖女クリスタが「前線に出たい」と言うよりも衝撃的なものだった。
「北東から来た魔物たち全部、あの聖女がぶっ飛ばしたんですよ!」