第八話「ツンなんとか」
「駆逐って……正体がバレたらどうするんだよ」
呆れた表情で、エキドナは足を止めて振り返る。
「そこは大丈夫。時間帯をズラすから」
傭兵達が活動するのは主に昼で、わざわざ夜に『極大結界』の外に出るようなことはしない。
彼らと入れ替わるように夜を主戦場として、昼は鎧の中で大人しくしておく。
これならバレることもないだろう。
「おい、まさか一人でやるつもりなのか?」
「ええ」
「無茶言うな。無敵の【聖鎧】にも制限時間っつー弱点があるだろうが」
エキドナの指摘は的を射ていた。
【聖鎧】を纏っている間の私は――自画自賛になってしまうけれど――ほぼ無敵だ。
あらゆる物理攻撃、魔法攻撃の一切を弾くと同時に拳を保護してくれる攻防一体の技。
敵を真正面からぶっ飛ばすことで『守り』と『癒し』の効果をもたらす。
私なりに『拡大解釈』をした結果得た聖女の力だ。
剣豪の一太刀も、大蛇の毒も、地平を変えるほどの魔法も、私には通じない。
唯一にして最大の欠点は、魔力の消費が激しいこと。
平時であれば気にするほどではないけれど、長期戦になる場合は魔力切れに注意しなければならない。
持続時間を延ばすには、私が担っている分の『極大結界』の維持を誰かに頼むしかない。
「今回は『極大結界』の肩代わりもしてやれねーんだぞ」
「ええ、分かっているわ」
私の分の結界維持はエキドナかベティにしか頼めない。
ユーフェアは魔力量が少ないので、肩代わりさせるには荷が勝ちすぎている。
マリアも同様(というか、怒られそうなので頼もうにも連絡できない)
「駆逐は少し言い方が悪かったわね。要は平時の状態であればいいんでしょう?」
私は言葉を換え、もう一度言い直した。
「増えた分だけ魔物の数を減らしましょう――私が言いたいのはそれよ」
普段からいる雑魚は無視し、森の方からやってきた魔物だけに狙いを定める。
これなら魔力量をある程度温存しながら戦える。
「……お前の力無しじゃ難しいとは思っていたから、その申し出はありがたいんだけどなぁ」
ありがたいと言いつつ、エキドナは目を閉じて天を仰いでいる。
「さすがに一人は無茶すぎるだろ」
「平気よ」
いま、この地にはルビィがいる。
あの子が平穏無事に仕事を終えることができるなら、私は何だってやる。
「ここで踏ん張らなかったら姉を名乗る資格はないわ」
「そこで民の為とか言えたら、マリアもあんなに怒らないと思うんだけどなぁ……」
「何か言った?」
「このシスコンめ、って言ったんだよ」
頭を掻いてから、エキドナは私の鎧を叩いた。
▼
仕事を終え、宿に戻ってからもエキドナは難しい顔をしていた。
「どうしたの?」
「ん。いや……周期が早いのが気になっててな」
魔物の活動期は三~五年の周期で繰り返されている。
けれど今回は、前回から二年しか空いていない。
「何か嫌な予感がするんだよなぁ」
出発の準備を整える私の顔を、ちらり、と見上げる。
「お前一人で行かせてもしものことがあったら……って思うとゾッとするんだ」
「ふふ。心配してくれているのね」
エキドナはぶっきらぼうだけど優しい。
私と違って他人を慮る心を持っている。
「あなたのそういうところ、好きよ」
「ば……ちげーよ! アタシが安心して寝れないって意味だ。勘違いすんな!」
……けれど、本人は頑として認めようとしない。
『拡大解釈』によって発現した能力を見れば、彼女が慈愛の心を持っていることは簡単に推測できるのに。
本当は優しいのに、自分ではそれを認めようとしない。
こういう性格のことを、世間では特別な呼称を付けている――と、仲間の研究者が言っていたけれど……それが何なのか忘れてしまった。
確か、つん……つん、なんとかだ。
(帰ったら聞いてみましょう)
「ありがとう。けれど一人で大丈夫よ」
「……深追いはすんなよ? 絶対だぞ?」
「ええ。分かっているわ」
私はエキドナを安心させるよう、拳を握った。
「それじゃ、行ってきます」
「ああ」
鎧はさすがに邪魔なので置いていく。
一応、顔を隠す目的で上には黒い外套を羽織っている。
見つからないように身を隠しながら、傭兵達の駐屯地を離れて森の中を突き進んだ。
『極大結界』をするりと通り抜けると同時に、遮るものが何もない平原に出る。
ここから先は聖女の加護のない魔物の領域だ。
「ん」
ふと視線を横に向けると、『極大結界』に阻まれて立ち往生している熊型の魔物が見えた。
(あのタイプは中央の森でしか見かけない種ね)
――ということは、私の獲物だ。
走る方向を変更し、一直線に熊の元へ向かう。
あちらも私の存在に気付いたようで、後ろ足で立ち上がり、両手を大きく広げた。
二足で立つ姿は巨大で、私のゆうに倍はある。
あの太い前足で一発でも食らえば、普通の傭兵ならば即座に再起不能の怪我を負うだろう。
私が食らったところでどうということはないけれど、わざわざ相手の攻撃を待ってやる義理もない。
「聖女パンチ」
先手必勝。
当てやすい胴体に拳を叩き込むと、熊は巨体をきりもみ回転させて天に飛び――頭から地面に突き刺さった。
「まずは一匹」
▼
――同時刻。王都。
「聖女マリア様」
聖堂内の清掃を遅くまで行っていた神官見習いの少女は、扉から出てきた人物に腰を抜かしそうになった。
聖女――この国に五人しかいない最高権力者の一人だ。
実際に運営を行っているのは教主率いる上層部であり、聖女に実質的な権力は無いに等しい。
しかし、雑用しか回ってこない彼女にそのような違いが分かるはずもない。
「も、申し訳ありません。不手際ゆえにこのような時間まで……」
マリアは聖女の中で特に厳しい人物として知られている。
一度だけだが、聖女クリスタを杖で追いかけ回している姿を見たことがある。
見習いは、自分も同じ目に遭うのでは……と、足を震わせた。
「ご苦労さん。もう終わっていいよ」
「……へ?」
「エレン。アンタは今日は掃除当番じゃないだろう」
「――え、わ、私の名前……どうして」
「アイリーンとティナに押し付けられた、といったところかい。全くあいつらは……どこぞの誰かと同じで信仰心がまるでないね」
……やれやれ、と肩をすくめるマリア。
(もしかして……教会全員の名前を覚えていらっしゃる……?)
「さて。アタシは少し出かけるよ」
「あ、え、えと。行ってらっしゃいませ」
こんな夜更けに、聖女が一人でどこへ行くというのか。
見習いの少女――エレンがそのことに気付いたのは、マリアが去ってからきっかり十分後のことだった。