第十七話「夢破れる男」
「なんてことだ」
サンバスタ兵の隠れ家となっていた屋敷に、一人の男の姿があった。
膝をついて項垂れる彼は、『極大結界』によって守られたオルグルント王国の国民だった。
今はそうではない。
現在は隣のサンバスタ王国に移住している。
以前は貴族だった彼に、平民の暮らしなど耐えられるはずがない。
彼はオルグルント王国の情報を渡すことで貴族の地位を得ようと画策した。
あまり情勢の良くないサンバスタ王国で余所者が貴族になるためには、相当な貢献をしなければならない。
それでも彼は貴族に戻れる自信があった。
渡せる情報を全て渡し、あとは成果が出るまで待つのみ。
それだけでかつて築いた地位を取り戻せるなら、自分を捨てた国なんていくらでも売ってやる。
――そんな彼の願いは、あっさりと破綻した。
男は人のいなくなった屋敷の前で一人、地面を叩く。
「くそ……なんでだよ、なんで失敗するんだよ!」
シルバークロイツ領内に隠された『魔女の遊び場』。
あれを利用すれば、シルバークロイツの守りなど紙くずも同然。
オルグルント王国を侵略するための突破口となるはずだった。
なのに、なのに。
「僕の夢が……夢がぁあ!」
サンバスタ王国は奴隷商が盛んだ。
オルグルント王国と比べると平民の生活が貧しく、子供が容易に売られるという背景がある。
かつて男が侍らせていた女と同レベル――いや、それ以上に美しい奴隷を従えることだってできた。
今度こそ、今度こそハーレムを築き上げるはずが……。
「誰だよちくしょう! 僕のメイド屋敷再建を邪魔しやがって!」
「私よ」
「――!?」
男しかいないはずの場所に、女の声が響いた。
声のした方を振り返ると、そこには――男を悪夢のどん底に叩き込んだ女の姿があった。
「あ、あ、あ――」
「久しぶりね。最も、二度と顔を見たくなかったんだけど」
法衣――聖女だけが袖を通すことを許される神聖な衣の上に白衣を重ねた奇抜な出で立ちと、女にしては高い身長。
野暮ったい丸眼鏡を外すと、その下に現れた素顔は目を見張るほど美しかった。
まるで道化のような帽子を被った女を引き連れたそいつは、拳をバキバキと鳴らしながら、男の名を呼んだ。
「――ウィルマ元伯爵」
「く、くくくっくくく、クリスタぁ!?」
▼
(クリスタ視点)
「な――なんでお前がここに!?」
「それはこっちの台詞よ。国外追放とは聞いていたけれど、まさかサンバスタに魂を売っていたなんて驚きだわ」
サンバスタ王国にここの情報を流していたのは、ウィルマだった。
伯爵の地位であれば持ち出せる情報は平民よりも多い。
それを利用し、サンバスタ王国にすり寄ろうとしていたのだ。
「とんだクズ領主が居たものね」
『魔女の遊び場』を利用し、シルバークロイツを攻め落とす作戦を立案したのは、他ならぬウィルマだ。
サンバスタ王国は現在内紛状態なので、どの勢力と手を結んでいたのかは知らないけれど……。
シルバークロイツ辺境領を生け贄に公爵の地位と多額の謝礼金を貰い、その金で好みの奴隷を買い漁る――それがウィルマの計画だったようだ。
「ここまでオイタするなんて、どうやら国外追放じゃ温いみたいね?」
指を鳴らしながら、私は大地を踏みしめて宣言する。
「私があなたの追放先を決めてあげるわ」
「ひいいぃぃい!?」
「おっと。逃げるのはなしッスよ?」
後ずさるウィルマの背後に転移したベティが、逃げられないよう羽交い締めにする。
ゆっくりとウィルマに近付いた私は、まず暴れる四肢に手を伸ばした。
「【拘束結界】」
「やめろ! 暴力反対!」
右手、左手、右足、左足。
四肢を空中に縫い止められたウィルマは全力で逃れようと暴れるが、もちろんそんな力で結界はビクともしない。
「ああああああ! 助けて! 誰かぁ!」
「騒いでも誰も来ないわよ」
「先輩、そのセリフはなんだかこっちが悪役みたいッス」
そう言うベティもこの状況を楽しんでいるのか、やや意地の悪い笑みを浮かべていた。
「やだー! もう殴られるのはやだぁぁぁあ!」
「安心しなさい。今回は一発だけだから――そうそう」
唐突に、私は話題を変えた。
「大陸のすぐ隣に島があるのは知ってる?」
「……へ?」
「いいから答えなさい」
「し、知ってる。魔島だろう?」
大陸の西にある海岸線。その先には、島がある。
複雑な海流が渦巻いており、船で近付くことはできない。
年中黒いもやがかかっているその島は不気味さも相まって『魔島』と呼ばれていた。
「そ、それがどうした」
「今からそこに送り届けてあげる。拳で」
「――は?」
私が腕を振ると、びゅごう、と風切り音がウィルマの頬を引っ張った。
これから何をされるのか。
正しく理解したウィルマの顔が、一気に青ざめる。
「じゃ、二度と私の前に現れないでね♡」
「ちょ、ちょっと! クリスタ……いえ、聖女クリスタ様! ご慈悲を……」
「もう十分にやったでしょうが」
セオドーラ領に殴り込みをかけた時、ウィルマの方から謝れば数発殴るだけで済ませた。
国外追放された後は干渉するつもりなんてなかったし、したくもなかった。
それをせざるを得ない状況を作り上げたのは、他ならぬウィルマ自身だ。
大陸内に居続ける限りオルグルント王国に――そこで平和に暮らすルビィに迷惑をかけ続けると言うのなら。
もう、大陸の外に出すしかないわよね?
「やめてぇえええ! 海のど真ん中に落ちたら溺れ死ぬうぅぅぅ!」
「安心して。コントロールには自信があるの。必ず島のどこかに上陸させてあげるわ」
「あああああああああああああああああああああ!」
泣きじゃくるウィルマを無視して、私は思い切り拳を振りかぶった。
足、腰、肩――ひねりを加えて威力を増した力で、ウィルマの身体を浮かせるようなイメージで下から上に殴り上げる!
「本気聖女パンチ」
「あああああああああああああああああ――」
同時に拘束結界を解除すると、冗談のような高さまでウィルマは吹き飛んだ。
青く澄んだ空に、ウィルマの悲鳴がこだまし、彼の姿が見えなくなった。
魔島までの距離、方角、ウィルマの体格、パンチの角度、力の具合、風向き――全てを計算し尽くした一撃に、私は確かな手応えを感じた。
「魔島の東海岸に落下、ってところね」
「……転移いらずッスね」
ソルベティストは掌で日除けを作りながら、ウィルマが飛んでいった方向を眺めていた。
「これで一件落着ね」
「そうッスね。あとは……」
互いの顔を見合わせ、私たちは頷き合った。
「マリアに怒られるだけね」




