第十五話「ただひとつの目的」
辺境領で暗躍する一団は壊滅した。
隣国への警戒はまだ解けないが、少なくとも直近の危機は取り除けたと言って良い。
王国の平和は守られたのだ。
なのに――。
「どぼぢで」
私は涙目になりながら、大量に積まれた書類に埋没していた。
ここは教会の地下資料室。
シルバークロイツの危機を颯爽と解決し、意気揚々と王都に戻ってきた私を待ち受けていたのは――青筋をいくつも浮かび上がらせたマリアだった。
私は耳を引っ張られ、そのままここに閉じ込められた。
罰としてここの整理を命じられた。
……こんな理不尽があっていいのだろうか。
私の独り言を聞いていたのか、背後に立つマリアが杖で床を突いた。
「なーーーにが『どうして』だい! あれだけのことをしておいて、まさかお咎めなしだなんて思ってないだろうね!?」
「無実です。私はただ、仕事が忙しくて手が回らないリンド憲兵長のお手伝いを――」
「見合いの付き添い人に扮して憲兵長からの依頼を代行。領主の息子アランをブチのめし、さらには『魔女の遊び場』を利用してシルバークロイツに攻め入ろうとしたサンバスタ兵を壊滅させる――これのどこが『何もしていない』って言うんだい!?」
「うぐ。ど、どうしてそれを!?」
何故か私の行動はすべてマリアへ筒抜けになっていた。
教会が知らないところを見るに、マリアだけに何らかの方法で情報が伝わったようだ。
「こ、今回はシルバークロイツ卿の依頼を受けただけですよ!? 聖女の力の私的利用ももちろんしていません!」
非公式ではあったものの、他ならぬ辺境伯からの依頼だ。
シルバークロイツの危機を救ったのだから、罰されるのはおかしい。
そう抗議するが、マリアは聖女なのにオーガを彷彿とさせる表情で私を見下ろした。
「グレゴリオの息子を派手にぶっ飛ばした件は?」
「それはルビィに危険が及びそうになったので仕方ないです。妹に関してはノーカウントで」
「この大たわけがぁ! アンタは前回のことで何も学んじゃいないね!」
「ひぃ!?」
杖が振り下ろされ、私はその場に亀のように縮こまった。
こうなったマリアはもう誰にも止められない。
私は彼女の嵐が過ぎ去るまで、ひたすらに耐えた。
▼
折檻を受けること数分。
ほとぼりが冷めたのか、はぁ……、と大きく嘆息するマリア。
「全く……アンタはいつまで経っても変わらないね。聖女というものを何も分かっちゃいない」
聖女は国に全てを捧げる存在。
滅私奉公。自己都合をすべて後回しにして王国の繁栄を影で支えなければならない。
これまでの聖女たちはずっとそうだった。
――それは私にはできないことだ。
聖女の規律よりも優先すべき事があって、その順番が入れ替わることは絶対にない。
「ルビィよりも優先すべきことなんてありませんから」
「………………。はぁ」
私の口からルビィの名が出るたび、マリアは深いため息を吐いた。
「あと、前回犯した失敗はちゃんと改善できていますよ」
「……なんだって?」
「今回は『極大結界』の維持もちゃんと並行でやりましたし、グレゴリオ卿が良い感じにまとめてくれたので私が関わったという証拠も出ていないはずです」
ルビィに言ったことを姉である私が実践できないでは格好がつかない。
前回の失敗を糧に、私もしっかりと前進しているのだ。
「どうです? 前回よりはうまくできていたぁい!?」
誇らしげに胸を張る私の声は、言い終える前に悲鳴へ化けた。
マリアの杖が私の脳天を再び穿ち、目の裏に星が瞬いた。
「私は『もうするな』って言ったんだよ! 誰が『うまく隠せ』なんて言った!?」
一度収まったはずの怒りが再びこみ上げてきたのか、マリアは苛立たしげに杖で床を叩きながら私の前に仁王立ちする。
「まさかとは思うけど、聖女の本分を本当に忘れたんじゃないだろうね?」
「『極大結界』の管理、解毒・解呪・治療、戦闘区域で戦う者の鼓舞でしょう?」
「それのどこに『敵組織を壊滅させる』なんて書いてある!?」
「緊急事態だったんですよ」
サンバスタ兵はシルバークロイツに攻め入る直前だった。
ルビィのいる領に攻め入るなど、姉として断じて放置するわけにはいかない。
あの場で壊滅させる以外の選択肢はなかった。
……本当に正しい選択肢は、本拠地を見つけた時点で戻ってグレゴリオに報告する、だったのだろうけれど。
「ったく、グレゴリオの奴にもキツく言っておかないといけないね」
「そういえば、どうして私が関わっていたことに気付いたんですか?」
「グレゴリオから手紙を貰ったんだよ」
▼
辺境領主とはいえ、教会管理の聖女を使うのは越権行為に当たる。
そのため今回の件は完全に内密に、という話だったはずだけれど。
マリアは懐から分厚い紙束を出し、それを見せてくれた。
「あいつは妙なところで律儀だからね。私だけには話しておかないと、とでも思ったんだろう」
手紙には事後の報告になってしまったことと、内密で私に非公式の依頼をしてしまったことへの謝罪文が短く簡潔に書かれていた。
あのグレゴリオが書いたとは思えない達筆に、思わず私は目を見開いた。
「この後の手紙は何です? 近況報告?」
「アンタへのお褒めの言葉さ」
「え」
二枚目以降には、私――の、拳――がいかに素晴らしいものかが長々と書き記されていた。
さらに末尾には、シルバークロイツ領へ引き抜きたい……とも。
「『可能ならばシルバークロイツ辺境領にてその辣腕を振るえるよう取り計らって頂きたく――』って、何ですかコレ」
随分と気に入られているとは思っていたけれど、まさかこんなに評価して貰えているとは。
嬉しいけれども、何故か素直に喜べない。
「グレゴリオの奴め……よりによってクリスタに目を付けるとは」
マリアは長いため息をつきながら、目頭を指で押さえる。
「そういえば、二人はお知り合いなんですか?」
「ああ。三十年ほど前に少しね」
まだグレゴリオが領主になって間もない頃、他国からの侵攻があった。
その時既に聖女だったマリアは、長引く戦闘の補助要員として駆り出され、彼と知り合ったらしい。
それ以来、深い親交はないものの、顔を合わせれば世間話をする程度の仲になっている……とのこと。
「三十年前というと、傾国の美女と呼ばれていた頃ですね」
「その言い方はやめな」
若かりし頃のマリアは国王すら傾倒するほどの美女だった。
嘘でも誇張でもなく、本当にだ。
私は実際にその姿を見たことがある。
大陸中央、魔物のひしめく山脈のとある洞窟の奥深くに『若返りの泉』というものがある。
シルバークロイツ領にあった転移の地下道と同じく原理不明の、俗に言う『魔女の遊び場』だ。
そこの調査に二人で行ったときに、いろいろ――本当にいろいろあった結果、泉の水を浴びて若返ったマリアを目の当たりにした。
本人はその姿をとても嫌っていて、すぐに泉のある洞窟は封印された。
あのまま置いてはおけない物だったので仕方がないとはいえ、もうあの姿が見れないと思うと残念だ。
▼
マリアは今日何度目か分からない長いため息をつきながら、また目頭を指で押さえる。
「筋肉バカと戦闘狂。会っちゃいけない二人が会っちまった」
「私は戦闘狂じゃありませんよ!?」
グレゴリオの時といい、どうしてこんなに勘違いされるのだろうか。
私はただ――ルビィを守りたいだけなのに。




