第十四話「焦り」
「お姉様、今回はどんなご活躍をされたんですか?」
「いつも通りよ。悪さをする奴らがいたから、軽く懲らしめたわ」
二人でベッドに潜り込みながら、今回の件を簡単に話して聞かせる。
……もちろん、守秘義務に触れない範囲で、だ。
「すごいなぁ。お姉様。それに比べて私は……」
「ルビィ?」
にこにこと話を聞いていたルビィは、不意に陰りのある表情を見せた。
「お姉様は魔法研究者として大成した上、国を守護する聖女としても人々から感謝されています。しかし私はどうでしょう」
頭の位置を少しだけ低くして、布団の中に顔を埋もれさせる。
「勉強は中の中。魔法はからっきし。こんな私が貴族の娘として役に立つには誰かの元に嫁ぐしかありません」
「……」
「なのに前回も今回も婚約できず終いでした。エレオノーラ家の娘として……ぐす、我が身を恥じるばかりです」
そういえば、ウィルマとの婚約は急な話だった。
まさに青天の霹靂という言葉が相応しいほどに。
「ずっと家にいて欲しい」と懇願しそうになる本心を黙らせ、妹の成長を見守るのが姉の勤め、と魔法研究所の私室で涙したことを思い出す。
あれはルビィが成長したのではなく、私や実家に負い目を感じていただけ?
「ルビィ……もしかしてだけど、婚約を急いでいた理由って」
「ずっと考えていたんです。私は単なる無駄飯食らいなんじゃないか、って」
「そんなことないわ」
「けどお姉様は、今の私より若い頃から領地にたくさん寄付していましたよね?」
私は結婚こそしていないものの、研究所や教会から給金を得ている。
持っていても仕方がないものなので、寄付という形でお父様にほとんどの額を手渡していた。
姉が早くから自立しているのに、妹はいつまで経っても親のすねをかじっている――そんな風にルビィを貶めるような者は領地にいない。
居るとすればただ一人。
ルビィ自身だ。
ルビィの、自分自身の無能さを指差す声は次第に大きくなり、いつしかそれは誰かの役に立ちたいと願う気持ちに変化した。
『極大結界』を管理し、人々を守る私のように。
しかしルビィは聖女ではないし、魔法の才能も無い。
これだけはどうしようもなかった。
代案として考えついたのが、良家と繋がることだという。
「結局、お姉様をはじめとした皆さんに迷惑をかけるだけでした。私はどうしようもない落ちこぼれです」
「そんなこと言わないで。怒るわよ」
涙声を混じらせるルビィを、私は優しく、けれど強く抱き寄せた。
肩に手を置き、一定の間隔で、とん、とん、と叩く。
……まだこの子が小さかった頃、こうやって気分を落ち着かせていた。
しばらくそうしていると、知らぬ間に強ばっていたルビィの肩から少しずつ力が抜けていく。
「落ち着いた?」
「はい……すみません」
「ルビィ、よく聞いてね」
ルビィの顔を上げさせ、私はゆっくりと諭す。
「何度でも言うけれど、前回も今回も、あなたに非はない」
ウィルマの一件で不貞を働いたのは向こうだ。
そしてアランの一件は――本人は知らなかったようだが――、見合いを隠れ蓑にした作戦の一環だった。
どちらもルビィは巻き込まれただけ。
「けどお姉様」
「非はなくても周りに迷惑をかけたのは事実――なんて考えてる?」
「……っ」
図星を付かれ、ルビィは押し黙った。
この子は本当に優しい子だ。他人の痛みを自分のものとして感じられる。
けれどそれがあまりに強すぎて、自分を傷付けている。
「ルビィ。あなたは勘違いをしているわ」
「勘違い……?」
「まず、私もお父様も迷惑だなんて思っていないわ」
自分で言うのも何だが、お父様は私たちを溺愛している。婚約破棄されたとしても心配はするだろうが、迷惑と思うことなどあり得ない。
私に関しては言わずもがな。ルビィの為に行動できたのであれば、むしろ姉としては至上の喜びだ。
「けどお姉様、マリア様に折檻されたって……」
「それが勘違いの二つ目。あれはいつものことよ」
「い、いつものこと?」
「ええ。マリアの他にも魔法研究所の所長とか、憲兵とか、騎士団とか……日常的に怒られているわよ?」
「えぇ……?」
それが余程意外な事だったのか、ルビィは目を丸くした。
私にとっては、そういう反応を返されることのほうが意外だ。
大抵の人は「でしょうね」という反応をする。
「あなた、私をどういう人だと思っていたの」
「ミスをすることなんてあり得ない、完璧な人と思っていました」
「私はそんなにできた人間じゃないわ」
苦笑しながら、私はそう返す。
「間違いを犯しもするし、失敗もする。けれど恥じることじゃないわ。失敗するのが普通だもの」
魔法の研究が良い例だ。
百の失敗を重ね、ようやく一つの理論が成り立つ。
実証できれば万々歳で、徒労に終わることが当然の世界なのだ。
「そうやってたくさん失敗して、怒られたおかげで今の私があるのよ」
何の努力もなく完璧に全てをこなせるとすれば、それは神以外にあり得ない。
「ルビィ。あなたは今回、婚約者探しを焦るあまり相手を見定めることを怠った」
「……はい」
「その失敗を次に活かせばいいのよ。そうやって人は成長するんだから」
――人間は失敗することで経験を積み、成長する。
とある本の受け売りだけれど、それを今回の出来事に当てはめれば――ルビィは「失敗」という経験を積んだのだ。
「今回の失敗が、いつかどこかで成功の花を咲かせる栄養になることを期待しているわ」
「お姉様……ありがとうございます」
ルビィは再び涙声になり、私の胸に顔を埋めた。
静かにすすり泣く声が寝息に変わるまで、それほど時間はかからなかった。
頭を撫でているうち、私もだんだんと眠気を覚え――目を閉じた。
▼
翌日。
ルビィと共に出立しようとすると、グレゴリオ達が見送りに来てくれた。
「世話になった」
「いえ、こちらこそ」
改めて握手を交わす。
彼の後ろにはジーノと……顔のあちこちに白い湿布を貼ったアランがいた。
何か恨み言でも言いに来たのかと警戒していたけれど、どうやらそうではないみたいだ。
「捕縛したサンバスタの兵士達はみな協力的だ。よほどお主が怖いようだぞ?」
取調中ということもあり、それ以上のことは聞かされなかった。
何か分かればまた連絡してくれる、とのことだ。
「また会おう、我が盟友よ」
「……」
いつ盟友になったのだろうか。
当の本人のはずなのに、そんなことを宣言した記憶は一切無い。
「今は隣国に気を配らねばならん状況だが、落ち着いたらまた来るが良い。その時はたっぷりと殴り合おう」
「やっぱり私のこと戦闘狂と思ってません!?」
渾身の力でツッコんだけれど、それは大笑いするグレゴリオには届かなかった。
「そうそう。それからもう一つ」
「……まだ何かあるんですか?」
グレゴリオが巨体を脇に退けると、アランが前に出てきた。
アランは腫れて動かしにくそうな唇をモゴモゴさせてから、ぽつりと呟いた。
「最後に妹と話がしたい、構わないか?」
「……どうする?」
私はちらり、とルビィに視線を送った。
個人的には「嫌」と即答したいところだけど、私が決めていいことではない。
「私は大丈夫です」
「……だそうよ」
「ありがとう」
アランはさらに一歩前に出てから、ルビィに向かって深く頭を下げた。
「その……すまなかった。心ない言葉で君を傷付けてしまったこと、深く反省している」
「もういいですよ。そのことはもう謝ってもらいましたし。けど」
「……けど?」
「どうしてああいう考え方になったのか、良ければ聞かせて貰えませんか?」
「……」
アランはしばらく逡巡したのち、ゆっくりと口を開いた。
「シルバークロイツはオルグルント王国の盾だ。故に領主は強くあらねばならない」
私は話の腰の骨を折らぬよう、小声でグレゴリオに尋ねた。
「あなたの教えですか?」
「いいや。ワシの背中を見て感じ取れ、としか言っておらん」
「……」
ちゃんと教えてやれば良かったのでは……と思いつつ、アランの話に耳を傾ける。
「しかし、見ての通り俺は母親似だ。腕も細く、いくら鍛えても父上のように屈強な筋肉はついてくれない。いずれ領主の座に着くことになっても、周囲からはナメられるだろう」
アランは焦っていた。
父の背中を見てどうすればいいかを理解しつつも、自分ではその高みに登ることはできない。
だから本を読み、強くなるためのヒントを探した。
そこで巡り会ったのが、男尊女卑に関する本だ。
そこには強い男子でありたければ常に強気で女子に命令しろ、と書かれていたらしい。
「これだ! と思った」
どうしてそうなるの。
喉元まで出かかったツッコミの言葉を、私は必死で呑み込んだ。
「けど、君と、君のお姉さんのおかげで目が覚めたよ」
アランは静かに首を振ってから、自らの頬を撫でた。
ルビィが震える手で頬を打った場所だ。
「お姉さんの拳は痛かったけど、一番効いたのはこれだ」
「その、ごめんなさい」
「いやいいんだ。今回の失敗を経験に、俺はまた一歩前に進めた」
「……私もです」
くすり、とルビィは微笑んだ。
「私たちは大人になることを焦りすぎていたのかもしれませんね」
「そうだな。まだまだ勉強が必要だ」
優秀(?)な姉と屈強な父。
経緯は違えど、ルビィとアランはどちらも近しい人物を見て焦っていた。
小さな共通項を見つけ、二人は柔らかく微笑み合い――そして、どちらからともなく手を差し伸べた。
「お互い、いい人に巡り会えるといいですね」
「……ああ」