第五話「暑苦しい男」
「お見事でございました」
執事ジーノは深々と頭を下げる。
彼が手を鳴らすと、担架を抱えた使用人が訓練所に入ってきた。
「すぐにアラン様を医務室へ」
「あ、治療なら私が」
あの程度の傷、聖女ヒールを使えばものの十秒で治る。
しかしジーノは「いえいえ」と首を振り、アランには聞こえないよう声を潜めた。
「あのままでいさせて下さい。今回の件は坊ちゃまにとって良い経験になったでしょう」
「そう?」
さっきまで『アラン様』だったのに、『坊ちゃま』に呼び方が変わっている。
ジーノにとってアランはまだ領主たり得ない……ということか。
「クリスタ様は公務でございましたね。街中の様子が知りたいと」
「ええ」
ルビィのお見合いの様子見はついで――という体を取っている。
なので彼の言う通り、公務こそが私にとっては本命だ(実際は逆だけど)
「ルビィ様はどうなされますか?」
「先程の部屋で待たせて頂くことはできますか?」
「もちろん大丈夫でございます」
ジーノが手を叩くと、物陰からメイドが現れる。
「こちらの者に案内させます。クリスタ様はこちらへどうぞ。前領主様がお待ちです」
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「……」
ジーノに付き従い、広い廊下を歩く。
シルバークロイツ領は平均気温が高く、夏は相当な暑さになる。
風通しを重視した外廊下は王都の貴族邸では見られない建築様式だ。
吹き抜ける気持ちの良い風に目を細めていると、前を歩くジーノが口を開いた。
「ときにクリスタ様。聖女とは思えぬ動きをされておりましたが……何か武道を嗜んでおられるのですか?」
「まあ、いくつか囓る程度ですが」
自分で言うのは何だが、お父様は私たち姉妹を溺愛している。
望めば大抵のことは学ばせて貰えた。
武道も、その一環で習ったものだ。
「何故武器をお使いにならないのですか?」
「ぶん殴った方が早いでしょ?」
あっけらかんと私が言うと、ジーノは肩越しに笑みを見せた。
「……前領主様と気が合いそうです」
案内された先は、先程の訓練所とよく似た開けた場所だった。
その中央に、巨躯の筋肉達磨がいた。
「聖女クリスタ様をお連れしました」
「おう」
腹の底に響く低音。
汗だか闘気だか分からないものを迸らせながら、筋肉達磨が振り向いた。
「よく来たな聖女。俺が前領主グレゴリオだ」
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「確認したいことがあるのですが」
「お。勝負するか?」
「しません。あなたが……その、アランの父上でしょうか?」
「おうっ、そうだ」
嘘を付け――喉元まで出かかった言葉を抑え付ける。
色白で細身のアラン。
色黒で筋肉質のグレゴリオ。
シルエットだけでなく、顔の造型や雰囲気もまるで別物だ。
二人に血縁関係があると見抜ける者が、果たしてこの世界に何人居るだろうか。
「聖女がここに居ると言うことは、アランは敗れたのか」
「ええ。クリスタ様に手も足も出ず、こてんぱんにされました」
ジーノが報告すると、グレゴリオはふぅーむと暑苦しく頷いた。
「領地の全てを任せるのはまだまだ先になりそうだな!」
「仰る通りでございます。坊ちゃまにはもっともっと強くなって頂かなければなりません」
引退どころか、生涯現役という言葉の方が似合いそうなグレゴリオ。
……なぜ領主の座を退いたのだろうか。
「単刀直入にお伺いします。街の状況はどうですか?」
「――不穏な気配がある」
グレゴリオは朗らかな笑みを潜め、その場に腰を下ろす。
前領主を見下ろすというのも何だか……なので、私も彼に倣う。
聖女と前領主が地面に座って話をするという、世にも奇妙な構図の出来上がりだ。
大まかな話は王都で聞いた通り。
隣国の王が崩御し、後継者争いで情勢が不安定になっている。
その煽りを受け、シルバークロイツ領内も犯罪が増加傾向にある……とのことだ。
「第四憲兵団が到着するまでは私が街中の見回りに出ます。ご安心を」
犯罪抑止に効果的なのはずばり「見せしめ」だ。
派手につるし上げる方法をいくつか考えていると、グレゴリオは大きな掌をこちらに向けてきた。
「それはこっちの手持ちでこと足りる。聖女には別のことをやってもらいたい」
「別のこと……というと?」
首を傾げる私に、グレゴリオは最初に見せた、あの豪快な笑みを浮かべた。
「この領に巣くう大物を取り去ってもらいたい」
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グレゴリオ曰く、古くからこのシルバークロイツ領には隣国と繋がりを持つ犯罪組織が潜んでいるという。
彼らは警戒心が強く、これまでほとんど尻尾を掴めなかった。
しかし、前述した隣国の後継者争いにより状況は変化した。
「――この状況を利用し、奴さんは何かを仕掛けようとしている。そこを逆に利用し、叩く」
「……もしかして、この時期にアランと領主を交代したのは」
「おうよ。相手の油断を誘うためだ」
……まさか自分の息子まで使うとは。
いや、領主としては鑑とも呼べるのかもしれないけれど。
「もう一つ。ルビィをアランとお見合いさせようとしたのは」
「作戦の一環だ。相手に感付かれず、単体で組織を殲滅できる戦闘力を持つ者を呼ぶにはこれしかなかった」
――今回は父上が勝手に組んだことだ
アランの不機嫌そうな顔と共に、言葉が脳裏をよぎる。
あのお見合いは、私を呼び寄せるための隠れ蓑……。
「……人の妹を何だと思ってるの」
「そこに関しては謝罪しよう。何なら殴って貰っても構わん」
「ええ、そうさせてもらうわ」
グレゴリオは立派な腹筋を脈動させ、腰に両手を当てた。
「さあ来るがいい! 領地を壊滅せしめたというその拳、我が肉体にしかと味――」
「ちょっとだけ本気聖女パンチ」
「ご――ふぉおぉおぉぉお!?」
怒りを込めて放った拳は、グレゴリオの巨体を壁の端まで吹き飛ばした。