第二話「減点」
「人がたくさんですね。王都みたい」
街行く人々を眺め、ルビィがそう漏らす。
領内に入る前から分かっていたけど、馬車の窓から見える街並みはとても活気に満ち溢れていた。
シルバークロイツ領は南方面から我が国に入国するための関所だ。
当然、人の往来も多い。
他国と近接しているのは何も悪いことばかりじゃない。
国内ではなかなかお目にかかれない珍しい代物に出会えたりもする。
研究材料を求めて北の辺境領まで行ったことを思い出しつつ、ルビィに倣って街を眺める。
「お姉様、あれは……魚ですか?」
「そうよ」
「あんなに大きいんですね」
店先で宙に吊されている人の半分ほどのサイズの魚を指差し、ルビィは目を丸くした。
実家の食卓に出てきていた川魚は掌の大きさほどのものばかりだ。
ここの近海で捕れる魚を見て驚くのも無理はない。
「海の魚はサイズが大きいものが多いわ。人間よりも大きな種類だっているのよ」
「えぇ……それはちょっと怖いですね」
「でも味は美味しいわよ」
「……! ぜひ食べてみたいです」
味に関して言及すると、ルビィは表情をころっと変えて目を輝かせた。
この子、身体の線の細さに反してなかなか食べる。
そういうところも可愛いポイントの一つだ。
「ここに嫁ぐんだから、いくらでも食べられるようになるわよ」
それはシルバークロイツ卿次第だけど――と、胸中で付け加えつつ頭を撫でる。
市内調査は後回しにして、まずはシルバークロイツ卿の屋敷へと向かった。
ルビィに相応しい相手かを見極め――じゃなかった、領内の状況を聞くために。
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「わ……と」
「大丈夫?」
馬車を降りた瞬間、ふらついたルビィを支える。
慣れない長距離を移動して疲れたのだろう。
……こういう時、ベティの瞬間移動のありがたみが分かる。
あの能力もいつか隅々まで研究させてもらいたいものだ。
「お待ちしておりましたエレオノーラ様」
シルバークロイツ卿の屋敷に入るなり、執事が出迎えてくれた。
恭しく頭を下げられ、ルビィもぺこりと頭を下げる。
「旦那様がお待ちです。さあ、こちらへ」
「はい。お姉様、行きましょう」
「ええ」
ルビィは緊張と期待の入り交じった表情で執事の後へ着いて行く。
私は心の中のメモに、一文を書き記す。
――ルビィを出迎えに来ない。減点一。
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「来たか」
応接の間にて仰々しく足を組んでいた男。
アラン・シルバークロイツ。彼こそがこの地を治める辺境伯だ。
茶色い髪と日に焼けた肌をした中肉中背の男で、年齢はまだ二十の半ば。
高齢に差し掛かった前領主から交代したばかり――というのは風の噂で聞いていたけれど、それにしても若い。
なんとなくだが、応援を呼ばれた理由が分かった。
情勢の悪い隣国と、交代したばかりの辺境領。
「念には念を」と考えるのは自然なことだろう。
まあ要するに、アランでは心許ない、ということだ。
――ユーフェアの『推測』でも、この地に不穏な気配があると言っていた。
念のためにと私がこの地に来たのは正解だったかもしれない。
「そこのデカい女は?」
「私の姉です。先触れでお伝えした通り、聖――」
「……フン。まあいい、そこに座れ」
ルビィの言葉を遮り、アランは顎で正面のソファを指した。
減点二。と心の中にメモを書き留め、二人で並んで腰を下ろす。
「今回はお招きいただき、ありがとうございます」
「何を言っている。『婚約前に会う』はお前の父が出した条件だろうが」
今回、父はルビィの婚約者を探すに当たり一つだけ条件を設けた。
それが「婚約前に一度顔を合わせる」ということだ。
貴族では相手の顔も知らずに結婚することはままある。
ウィルマがそうだった。
顔合わせは同じ轍を踏まないための予防策だったのだが……アランはそれが気に入らないようだ。
だったら名乗りを上げなければよかったのにーーそんな言葉を喉の奥に押し込めつつ、減点三を胸中のメモに書き加える。
「俺に条件を付けるとは、内陸の女は偉いものだな」
「え……と。お気に障ったのなら申し訳ありません」
鼻を鳴らし、ソファにふんぞり返るアラン。
減点を四に増やしつつ、萎縮してしまったルビィに代わり私が口を挟んだ。
「条件を受け入れた上で婚約を受けて下さったのでは?」
「今回は父上が勝手に組んだことだ。文句があるならとっとと帰ってもらってもいいんだぞ」
……どうやら、今回の申し出は前領主によるものらしい。
アランの年齢は二十半ばだったはず。
貴族ならば「結婚しろ」とせっつかれても文句は言えない年齢だ。
それはどうでもいいとして、ルビィに対してなんて口の利き方だろうか。減点六だ。
そっちがそういう態度なら、遠慮無くそうさせてもらおうか。
身じろぎする私を、ルビィの小さな手が押し留めた。
「そういう訳には参りません。まだお互い出会ったばかりなのですから、もう少しお話しませんか?」
緊張を押し隠し、ルビィはアランに微笑みを投げかける。
……そうだ。
今回の主役はルビィだ。この子を差し置いて私が勝手に話を進める訳にはいかない。
アランも急に婚約を決められて、しかもその相手がこんなに可愛い子だからきっと照れているんだ――私は、先程の彼の最大限好意的に解釈することにした。
「……そうだな」
アランはルビィの上から下までをじろりと見てから、ふむ、と考え込む仕草をした。
「お前」
「は、はい」
「俺の妻にしてやるが、常に俺を立てろ」
「……え?」
首を傾げるルビィ。
何を言われているのか分からなかったようだけど、私も分からなかった。
「物分かりが悪い女だ。まあ、変に知恵を付けているよりはいい」
自分勝手なことを言いつつ、アランは指を順番に立てていった。
「俺の二歩後ろを常に歩け。俺の前に出るな。俺より先に寝るな。俺より後に起きるな。俺の望みをすべて受け入れ、俺をより輝かせる踏み台になれ。たかが伯爵令嬢ごときが辺境伯シルバークロイツの妻になれるんだ。それくらいは当然だろう?」
は?