第四十七話「護衛」
この三ヶ月、ルビィに会うことをずっと我慢していた。
新教会における聖女の立場は前よりも上になってしまったし、仕事量も膨大なものになった。
それらを放り出して行くことももちろん考えたけれど……そんなことをしたら他のみんながどんなことになるかは私でも簡単に想像できる。
そもそもこの組織改革を発案したのは私だし、抜ける訳にはいかなかった。
だからずっと、ずーーーーっとルビィに会いたい衝動を抑えていたけれど……もう限界だ。
三ヶ月の間、寝る間も惜しんで教会の立て直しに従事した。
……ほんの少し。
ほんの少しだけ、ご褒美をもらっても許されるんじゃないだろうか。
なにも何週間も時間を空ける訳じゃない。
馬車だと時間がかかるけれど、ワイバーンを使えば一日で往復できる。
一日。
ほんの一日だけなら……。
そう思った私は、新教皇であるマリアに相談することにした。
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「ダメだ」
マリアは驚くほどあっさりと首を横に振った。
「そこをなんとか! 教皇様ぁ!」
「やめな。みっともない真似をするんじゃないよ」
足元にすがりつこうとしたけれど、それよりも前に杖でぐいぐい押しのけられて近づけもしない。
「アンタに抜けられちゃ困るんだよ」
老眼鏡をかけたマリアは、それだけ言って書類に視線を落とした。
執務の大半をエキドナに任せているとはいえ、教皇にしか決済できないものも多い。
「アンタ、自分の役目を分かってるのかい」
「もちろん」
私の役目は、主に他の聖女のサポートだ。
さっきみたいにエキドナが倒れそうになったら書類を手伝ったり、ベティが手いっぱいになったら代理で孤児院の施設を回ったり。
そして、それらとは別にもう一つ、役目を担っている。
「最近は悪いことする奴もそんなにいないから大丈夫ですよ」
もう一つの役目。
それは内部監査だ。
一見すると前教皇の一派はもう教会内にいないかのように見える。
けれど、まだ完全には終わっていない。
マリアの味方になったフリをして再び私腹を肥やそうとする不届き者がちらほらといる。
そういう輩を見つけ次第、私が直々に「おしおき」している。
早い話が、教会の番犬のような役目だ。
「そりゃアンタが目を光らせてるからだよ。人間ってのはいくらでも悪いことを考えるモンなんだよ」
「うぅ……わかりました……わがりまじだ……」
涙を飲みながら、とぼとぼと部屋を出る。
廊下に続く扉のノブを握ろうとしたその時、マリアが思い出したように手を叩く。
「—―そうだ。アンタに言いたいことがあったんだよ」
「休み、くれるんですか!?」
「とある人物の護衛を頼まれてくれないかい」
「鬼すぎません?」
休みを求めたはずなのに、なぜか仕事を増やされてしまった。
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マリアから指示された場所へと移動する。
「護衛って誰かしら」
指令書を確認しても、当該人物の情報は載っていなかった。
マリアが直々に護衛を頼むくらいなので重鎮だという予想はできたけれど、それが誰なのかまでは見当がつかなかった。
他にも疑問はある。
それは……護衛が必要なほど国内は危険ではない、ということだ。
国内情勢は極めて安定している。
旅人が見張りなしで野宿しても野党や魔物に襲われないのは大陸広しと言えどオルグルント王国だけだ。
貴族がたまに悪さしたりはするものの、平和そのものと言っても過言じゃない。
なのにどうして護衛が必要なのだろうか。
……よくよく考えると、おかしなことだらけだ。
「また何か面倒ごとかしら」
そういう時に限ってマリアは説明を省くきらいがある。
この間も孤児を奴隷代わりに働かせていた貴族を吊るし上げたけれど、その時と似たような厄介事の気配を感じた。
以前の私なら、指令を受けた瞬間に気付けていたはずなのに。
ルビィと会えていないせいで頭の回転も鈍ってしまったのだろうか。
「このままじゃ研究者としてもダメになるかもしれないわ……やっぱりマリアの部屋の前で座り込みして休みを所望すべきかしら」
そんなことを考えていると――声をかけられる。
「お待たせしました、聖女クリスタ様」
「あれ、あなたは……」
振り返った先には、見たことのある顔がいた。
「アランじゃない。久しぶり」
「その節はお世話になりました」
アラン・シルバークロイツ。
ルビィの婚約者候補として見合いをした相手だ。
あの時は偉大な父への憧れと後継者としての焦りからおかしな男尊女卑の考えに染まっていたけれど、今は憑き物が落ちたように優しい雰囲気に変わっている。
「マリアが言っていた護衛って、あなたなの?」
「ええ。しばらくご同行、よろしくお願いします」
「それはもちろんだけど……」
私はひそかに眉をひそめた。
アランはシルバークロイツ辺境領の次期領主だ。
重要人物ではある。ではあるけれど……聖女の護衛が必要かと言われると疑問符が付く。
「もしかして、またシルバークロイツで何か怪しげな動きがあるのかしら」
シルバークロイツ辺境領は王都に次ぐ規模を誇っている。
内と外を繋ぐ玄関口として、人の出入りも活発だ。
それは同時に、異物が入り込みやすい環境でもある、ということ。
私の推測に、しかしアランはいやいやと手を横に振った。
「平和そのものですよ。例のサンバスタに繋がる魔法の通路も厳重に管理しています」
国も辺境領も平和そのもの。
なのに護衛として私が派遣された。
……意味が分からない。
「じゃあ……どうして私が護衛に指名されたのかしら」
「マリア様も人が悪いな。説明してないなんて」
「どういうこと?」
アランは苦笑しながら、私にヒントをくれた。
「王都とシルバークロイツ辺境領の間に何がありますか?」
「何って…………あ!」
ここでようやくピンと来た。
王都とシルバークロイツの間にあるもの――それは、私の故郷であるエレオノーラ領だ。
「道中、エレオノーラ領で一泊します――つまりはそういうことですよ」
アランの微笑みで、私はようやく全てを理解した。
要するに護衛という体でルビィに会いに行かせてくれるよう、マリアが取り計らってくれたんだ。
「マリア……ありがとう。鬼なんて言ってごめんなさい」
私は教会の方向に頭を下げてから、王都の外に通じる道へと顔を上げた。
「では参りましょうか、アラン殿? 道中の護衛はお任せください!」
「はは。頼もしい限りです」
どん、と胸を叩いた後、意気揚々と馬車に乗り込んだ。




