第四十話「竜の逆鱗」
モルガン五世はさっそくマリアを呼び出した。
「聖女マリアよ。なぜ呼ばれたかは理解しているな?」
「ようやく重い腰を上げ、教会の立て直しに協力してくださる気になったんでしょうか」
諦めのこもったため息と共に、マリア。
モルガン五世はにやりと笑みを浮かべ、首を縦に振った。
「ああ。その通りだ」
「……何か、悪いものでも口にしましたか」
驚いた表情が見られるかと思ったが、マリアは片方の眉を上げただけに留まった。
「酷い言い草だな。私は常に教会を、民のことを考えているさ」
「これは失礼しました。てっきり煩悩に頭が支配されているかとばかり」
「無礼者! 私は神の啓示を受けたモルガン一族の末裔だぞ! 貴様たち聖女が管理する『極大結界』も、我が一族あってのもの!」
――という話が代々語り継がれているが、真偽のほどは定かではない。
モルガン五世自身、神の存在を一度も感じたことがないのでたぶん嘘だと思っている。
「—―今朝、神の啓示を受けた。聖女マリアよ。貴様は先日、国跨ぎの禁を犯したな」
「ええ」
国跨ぎ……平たく言えば、無断で国外に出たことだ。
先日のサンバスタの一件を糾弾する形でマリアを叱責する。
「これまで神は、貴様が敬虔に殉じる心を鑑みて昨今の聖女たちの奔放ぶりを寛大な御心で許してこられた。貴様のやったことは神の慈悲深き心を踏みにじる外道な行為に他ならん!」
「申し訳ございません。喫緊で対処すべき問題があったため、手順を省略いたしました」
「言い訳はいい!」
大仰に手を振り、モルガン五世はさらに彼女を問い詰める。
「貴様がそんな甘い考えでどうする! 他の聖女にも示しがつかんだろう! 万が一『極大結界』の制御が疎かになったらどう責任を取るつもりだ!」
「お言葉を返すようですが、『極大結界』はかつてないほど安定しております」
聖女の存在意義は第一に『極大結界』を維持することだ。
それ以降の式典がどうとか、人々を癒すだ守るだの話は教会が発展した後に発生したものなので、本質的には関係がない。
「クリスタという大きな柱があり、脇をソルベティスト、エキドナ、そしてユーフェアが固めております。前時代よりもはるかに安定しており、疎かになることなど億に一つもありえません」
「神が憂いておられるのは『極大結界』の話ではない。聖女の在り方についてだ!」
言い訳を並べるマリアをモルガン五世は一蹴した。
「神が与えたもうた聖女の力を、面妖な技で意図しない方向に捻じ曲げている! それが廻りまわって聖女そのものを貶めようとしている! 神はそれも嘆いておられたぞ!」
「…………以前お伺いを立てた時は『別に問題はない』と仰っていたと記憶しておりますが」
(あ)
痛いところを突かれ、モルガン五世は言葉を詰まらせた。
クリスタが聖女の力を変換する技を持ち出した際、彼は「いいんじゃない?」と返答した。
その理論を世に公表することは控えさせたが、能力を使うことは許可した。
聖女の用途が広がれば教会の安定――ひいては自分が楽できると思い、禁止しなかったのだ。
「……か、神はこの世のすべてを温かく見守ってくださっている。ゆえに全知全能ではない! 人のように間違いを犯すことだってある」
「ほう」
目を細め、マリア。
思いきり疑惑の視線を送られたが、モルガン五世は身振り手振りを大げさにすることで強引に話を進めた。
「と、とにかく! 貴様らがこのままの体たらくでいようものなら、神は我々をお見捨てになるぞ! そうなれば教会そのものもお終いだ!」
教会が終わる。
彼がそう煽り立てると、マリアはぴくりと頬を動かした。
(相変わらず、お前はこの言葉に弱いな)
わざわざ毛嫌いしている自分をここに呼んだこと。
そして普段なら気にも留めないことを糾弾している状況と照らし合わせ、マリアは彼の意図を読み取った。
「……では、私はどのようにすればよろしいでしょうか」
「安心しろ。神は禁を犯した貴様への罰と、残る聖女たちに信仰心を集めるための天啓を授けて下さった」
モルガン五世はマリアに指を差し、命じた。
「聖女マリア。聖女のため、教会のため……その身を神に捧げよ」
▼ ▼ ▼
マリアはモルガン五世が命じた通りに姿を眩ませ、ワラテア王国へ亡命した。
もちろん本当に亡命する訳ではなく、途中で刺客に殺されることが本来の筋書きだ。
ワラテア王国を巻き込むような形になってしまったが、亡命の手引きをした手前、表立って抗議することはできない。
あとはマリア抹殺の一報を待てばいい。
新聖女の誕生や、マリアの裏切りで多少教会は揺れるだろう。
しかし根元から折れるようなことにはならない。
本当に危ういなら、不本意ではあるが教皇として表に出ることも視野に入れている。
その後の楽しみを考えれば、多少の労働くらいは我慢できる。
「ユーフェア以外の子もそろそろ見繕うか」
モルガン五世は紙束を取り出し、それをぺらぺらとめくり始めた。
コツコツと集めた、各地で評判の美女リストだ。
「シルバークロイツ領のラフィアちゃん。ルトンジェラのミィナちゃん。ヴァルトコバルト領のアイリちゃん……は、少し若すぎるな。となると……」
仕事中では決して見ることのできない、真剣な表情がそこにあった。
「エレオノーラ領のルビィちゃんは外せないな。そのメイドのメイザちゃんと一緒にハーレムに迎え入れよう」
――まさか自分が絶対に触れてはいけない竜の逆鱗を撫で回しているとは気付かず、モルガン五世はルビィとメイザのページに大きな「〇」を付けた。