【閑話】完璧なメイドを目指して
無の空間から目を覚ました私――メイザは瞼を大きく見開いた。
すぐさま起き上がり、周囲に視線を這わせる。
「……」
机とベッド、姿見。
窓は密閉されていて隙間風もなく、扉も頑丈。
質素だがしっかりした造りの部屋。
敵の気配は無い。
――そこまで確かめてから、ここがどこだったかを思い出す。
ここは――エレオノーラ家の使用人に貸し与えられた部屋だ。
「……」
寝床を整えてから、作業着に袖を通す。
ここで働き始めて二年ほどになるが、今だに違和感が拭えない。
着心地の良い服、安全な寝床、優しい先輩、尊敬できる主人。
ここが夢の中と言われても何の不思議もないほどに恵まれすぎている。
戦場で生まれ、駒として使い捨てられるはずだったのに。
――あなた、私のところで働きなさい。
あの御方の一言で、私の人生は激変した。
今、私がこうしていられるのもクリスタ様のおかげだ。
彼女に報いられる立派な人間になるべく、今日も私はメイド業に勤しむ。
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「メイザ。ちょっと時間ある?」
いつものように厨房の下ごしらえを手伝い、庭掃除を終えたタイミングでルビィ様に声を掛けられる。
凛々しく美しいクリスタ様とは対称的な、愛らしく可愛らしい妹君だ。
クリスタ様が溺愛するのも納得できる。
かくいう私も、ルビィ様の虜になっている一人だ。
「はい。大丈夫です」
「良かった。いつものカフェに新作のクッキーが出たの」
「かしこまりました。すぐに参りましょう」
「ありがとう」
可愛らしく微笑むルビィ様。
少し前までは例の婚約破棄の一件で塞ぎ込んでおられたが、今はもう完全に立ち直っているようだ。
ルビィ様自身の心の強さもあるが、クリスタ様がウィルマを成敗したから、という点も大きいだろう。
「……」
家を出てすぐに妙な視線を感じた。
しばらく気配を探っているうち、それは確信に変わる。
誰かに付けられている。
「どうしたの? メイザ」
「いえ、何でもありません」
どうやら狙いはルビィ様のようだ。
気付いていることを悟られないよう、平静を装う。
……こういう時に限ってだが、私の無表情は役に立つ。
相手の様子を探りながら、犯人が誰かを思案する。
ルビィ様は誰からも愛される方だ。
恨みを買うようなことは決してしない。
……となると、理不尽な逆恨みだろうか。
直近で起きた出来事といえば、あの婚約破棄騒動だろう。
おそらく、クリスタ様からの報復に対する報復。
クリスタ様本人には手出しできないため、力のないルビィ様を狙っている――こんなところだろうか。
索敵は完了した。
幸いなことに、相手は一人だけだ。
さっさと済ませてしまおう。
「ルビィ様。今日はあちらの席にしましょう」
「え? うん、わかった」
いつもの店先ではなく、奥の席にルビィ様を誘導する。
――これで相手からルビィ様を狙うことはできない。
少しだけ、ここに居てもらおう。
「ルビィ様。少しだけ席を外しても宜しいでしょうか」
「うん、大丈夫よ」
「すぐに戻ります」
それだけを言い残し、私は敵に気付かれないよう店を出た。
▼
すっかり忘れたと思っていた気配の殺し方。
久しぶりにやってみると、歩き方と同じくらいに自然にできた。
……まるで、さっきまでの自分がおかしかったと言わんばかりだ。
やはり、まだ身体はあの頃を強く覚えているのだろう。
真のメイドにはまだまだ遠いと自嘲しながら、敵の背後を取る。
そこには、一人のメイドがいた。
さっぱりとしたおかっぱ頭で、背は私よりも低い。
おかっぱメイドはこそこそと隠れながら、この距離でも聞こえる大きな独り言をぶつぶつと繰り返していた。
「取るんだ……ウィルマ様の仇を、私が取るんだ」
やはり、ウィルマの手の者か。
……そういえば、クリスタ様が「屋敷でメイドに扮した暗殺者が紛れ込んでいた」と仰っていたことを思い出す。
ウィルマはメイドに好かれていなかったという話だが、何事も例外はある。
こいつは心から、あの男を信奉していたのだろう。
まあ、どうでもいい。
私は消していた殺気を出し、足音を立てておかっぱ――名前が分からないのでそう呼ばせてもらう――の後ろに立った。
「――!?」
「動くな」
一言。
たった一言囁いただけで、おかっぱはその場に膝をついた。
先程まで息巻いていた様子はどこへやら、凍土に放り出されたように全身を震わせている。
殺意も、戦意も、敵意も、悪意も――私の殺気を受けて、すべてが吹き飛んだ。
「な――なななな、なぜ、私の位置が分かった……!?」
「質問するのは私」
「あひぃ!?」
つい、と背中を撫でると、おかっぱは面白い悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
「さっきウィルマと言っていたけど。ルビィ様を狙うのはそいつの差し金?」
「ちちち、違います……! わたわた、私の独断ですぅ!」
「本当?」
首筋に指を這わせると、おかっぱの身体がびくりと震えた。
「本当です! ウィルマ様はもう国外に追い出されて、どこにいるかも分かりません!」
「……そう」
このおかっぱに、生殺与奪を握られている状況で嘘を言えるほどの胆力があるようには思えない。
その点を考慮すれば、嘘は言っていないだろう。
ウィルマの差し金だった場合は……国外へ長期旅行に出る必要があったが、その心配は無さそうだ。
それはそれとして。
こいつはルビィ様に殺意を向けた。
許されない所業だ。
すぐに殺したい。有無を言わさず殺したい。
呼吸していることすら腹立たしい。
しかし……私はぐっと堪える。
ここは街中だ。
死体が転がっていることが当たり前の戦場とは違う。
殺すことは簡単だが、後処理がとても面倒だ。
私のせいでエレオノーラ領の評判が下がるようなことはしたくない。
何より、ルビィ様をお待たせている。
「私は忙しい。今回だけは見逃してやる」
耳元で、謳うように囁く。
暖かい陽気とは無関係に、おかっぱの全身は汗で濡れていた。
肩に手を置き、背後からくるりと彼女の前に立つ。
おかっぱが私の姿を真正面に捉えた瞬間、目をこれでもかと見開いた。
「あなたは……、は、白銀の死神……!?」
彼女と出会った記憶は無いが、どうやら昔の私を知っているようだ。
となると、このおかっぱもあの戦場の出身だろうか。
そこでウィルマに拾われたのかもしれない。
――そう考えると、異常なまでの忠誠心も少しだけ共感できた。
「誰のことを言っているのか分からないわ。そいつはもう死んだの」
人を殺す以外の生き方を知らなかった、あの頃の私はもういない。
ここにいるのは、主を敬愛する単なるメイドだ。
「次、同じことをすればその時は容赦しない。生まれたことを後悔して、お前からひと思いにやってくれとねだるくらい凄惨な方法で……殺す」
「……ッ!」
「失せろ」
「はい! 金輪際、この領には近づきません! 申し訳ありませんでしたぁ!」
尻尾を巻いて逃げるおかっぱ。
敵対した者の背中を見送る自分に、とてつもない違和感があった。
心の中で叫ぶ声が聞こえる。
何をしている。
そいつは敵だ。
生かして帰せば、いつか面倒を連れて来る。
殺せ、殺せ、殺せ。
――うるさい。
今の私はクリスタ様の忠実なメイドだ。
主が望まない殺人はしない。
心の奥から湧き上がる声を無視し、私はその場を去った。
▼
「お待たせしました」
何食わぬ顔でルビィ様の前に戻ると、彼女は待ちわびたようにメニューを広げた。
「新作のクッキーと……今日はミルクティーにしようかな。メイザはいつもの?」
「はい。ブラックコーヒーをお願いします」
「苦いのによく飲めるわね……すごいわ。大人だわ」
「あの苦さがあるから、より菓子の甘さが際立つんですよ。ルビィ様も良かったら」
「う……私はまだ甘い飲み物でいいかなぁ」
何気ない会話をしているうち、ささくれ立っていた心の棘がぽろぽろと抜け落ちていく感覚があった。
完璧なメイドはまだ道半ばだが、ひとつだけ言えることがある。
――私はいま、とても幸せだ。
「おかっぱの忠誠心すごいな」と思った方はブックマーク・★★★★★をお願いします。
お待たせして申し訳ありません。
「書き溜めしてから一気に投稿しよう」というスタイルで行くつもりでしたが、書き溜めが全然できませんでした。
このままだとズルズルとフェードアウトしそうだったので、自分を追い込むために投稿開始します。
頻度は週に一度、土曜日の夜七時と決めておきます(本日のみ二回更新です)
少しでも楽しんで頂ければ幸いですm(_ _)m