第三十五話「若かりし姿」
若かりし頃のマリアは国王すら傾倒するほどの美女だった――という話は教会の中では割と有名だった。
有名ではあるけれど、それを信じている者は少ない。
昔のマリアを知る人物がいないため、話に尾ひれが付いて大きくなっている。
「魔法研究所七不思議」とか、「オルグルント王国にまつわる四つの謎」とか、そういった系統の噂話だと考える人間が大半だ。
けれど、それは事実だ。
私は実際に若い頃のマリアをこの目で見たことがある。
大陸中央、魔物のひしめく山脈のふもと。洞窟の奥にある『若返りの泉』。
詳しい経緯は省くけれど、そこに調査へ行った際、マリアが水を浴びてしまった。
そのとき、私は若返ったマリアの姿を見た。
「—―ということがあってね。これはその泉の水よ」
「途中で寄り道した洞窟で取ってたやつッスね」
「ええ。本当は対マリア用の切り札にしようと思っていたのだけれど」
この水で若返ると、肉体はその時の状態に戻る。
本当に限界まで追い詰められたときに聖女の力を得る前の状態にまで若返らせて無効化の能力を無効化しようとしていた。
「そんなことまで考えていたのかい……けど」
しげしげと瓶を眺めながら、マリアは首を傾げる。
「アタシを若返らせるには少々量が足りないように見えるねぇ。確か、浴びた量に比例するとか言ってなかったかい」
若返りの効果はどれだけ水を浴びたかで決まる。
調査のとき、マリアは全身ずぶ濡れでようやく二十歳前後にまで若返っていた。
瓶の水だけでは到底足りない――というのはもっともな懸念だ。
「浴びるんじゃなくて、飲めばいいのよ。そうすれば少量でも効果は大きくなるわ」
「……戦いの最中にこれをアタシに飲ませる算段があったってことかい?」
「まあね。作戦なんていくらあってもいいわけだし」
「全く、恐ろしい子だ」
マリアは唇を歪ませて嘆息した。
「なあ、クリスタ」
同じく瓶の水に視線をやっていたエキドナが疑問を口にする。
「その水、ホントにそんな効果があるのか……? ただの水にしか見えないんだけど」
「我々も同意見です。一度、ここで効果を見せていただくことは叶いませんでしょうか」
元刺客たちもエキドナの意見に同意する。
常識では考えられない効果を引き起こす。
それが若返りの泉をはじめとした『魔女の遊び場』というものだけれど、それに触れる機会のない人にとっては私が世迷言を言っているように聞こえるのかもしれない。
「そうね。効果の検証も含めてここで実践してもらおうかしら。ね、マリア」
「……仕方ないねぇ」
マリアに目配せすると、彼女は瓶の水をごくりと飲む。
「……ぇ」
変化はすぐに訪れた。
マリアが喉を鳴らすたび、瓶を持っている手が、法衣の隙間から伸びる髪が、別人のそれに変わっていく。
「ぷは」
瑞々しい声が、空気を震わせた。
月明りしかないはずなのに、彼女の周囲だけが光に照らされているように錯覚する。
あの時に見た若かりし頃のマリアだ。
「ふん。確かに少量でも効果ありだね」
手を開いたり握ったりしながら、若マリアはそうつぶやいた。
「けど前よりも若くなってる気がするね。声の感じからして今のユーフェアと同じくらいか」
「……」
若マリアが視線を向けると、ユーフェアは目を大きく見開いて硬直していた。
瞬きもせず、じぃっと若マリアを凝視している。
とにかく驚いている――というのが私でも分かった。
「どうだいアンタら。これで信じたかい」
「……」
エキドナや元刺客たちにも視線を向ける若マリア。
反応は様々だったけれど、みんな一様に驚いている様子だった。
「その、本当にマリアなのか……?」
「そうさ。ざっと五十年前のね」
「……びっくりだ」
エキドナはマリアの周囲をぐるぐる回り、全方位から彼女を観察する。
「……びっくりだ」
「あんまりじろじろ見られるのは好きじゃないんだけど」
「あ、ごめん。つい」
「いやぁ、本当に綺麗ッスね」
ベティも同じような反応をする。
「もしかして、あの噂ってホントなんスか?」
「あの噂?」
「ほら、国王がマリアに惚れ込んで国政を全部投げ出して大変なことになったって話」
「……さあね」
若マリアは言葉を濁してそっぽを向いた。
否定も肯定もしなかったけれど……まるで苦虫を噛み潰したその表情は、嫌な記憶を思い出さないようにしているように見えた。
そういえば、調査の時もマリアは自分の姿があまり好きではない様子だった。
……もしかしたら、噂は本当なのかもしれない。
若返りの効果はほどなくして終了した。
瓶一本だと持続時間は十分程度のようだ。
少し量を増やして飲んでもらい、当日は予備で数本ストックを持っておいてもらう。
教皇をおびき出すにはそれで十分に足りそうだ。
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若返りの水の効果を見てもらい、実際に教皇をおびき出す作戦の概要を詰める。
「こんなところかしら」
まずは元刺客たちに暗殺成功の報告をしてもらい、マリアを死んだことにする。
その間、マリアは魔法研究所の私の部屋に匿う。
しばらく時間を置いてから新しい聖女を見つけたと報告し、祝福の儀を行ってもらう。
その際、マリアは若マリアに扮してもらう。
そして現れた教皇を取り押さえ、マリアと元刺客たちの証言を元に教皇を告発する。
流れとしてはこんなところだ。
「ところで……教皇ってどんなヤツなんスか?」
「どんな奴って、ベティは話をしてるでしょ?」
祝福の儀式の際、教皇にいくつか質問を投げかけられる。
神の代弁者がどうのこうのとかいう儀式の一環だ。
「いえ、私の儀式は三分で終わりましたよ」
「早っ」
「あたしもそれくらいだったぞ」
「エキドナも?」
二人はそれぞれ当時を振り返り、声をかけられることなくあっさり終わったという。
「そういうクリスタはどうだった?」
「神が降りてきて――とか言ってたから、いろいろ質問攻めにしたら急に儀式終了になったわ」
「……お前らしいな。ユーフェアは?」
儀式の話題をユーフェアに振ると、彼女はやや俯きながら眉を寄せた。
「……三十分くらい、いろいろ話したよ」
「長いな!? 何の話をしたんだ?」
「子供」
「……うん?」
「子供、何人欲しいか……とか、そんな感じのこと、いっぱい言われた。手を握られたり、頭、撫でられたり、しながら……。ぜんぜん意味わかんないけど、とにかく嫌だったことは覚えてる」
当時を思い出し、身を震わせるユーフェア。
顔色が青白く見えるのは月明りのせいではないらしい。
「前代の教皇はそうじゃなかったんだけどね」
眉間にシワを寄せながら、マリア。
「今代の教皇は生まれながらに将来の地位を約束され、甘やかされ続けた結果、そうなっちまった」
ユーフェアとマリアの言葉を受け、私は一人の人物を想像していた。
ルビィの元婚約者・ウィルマ。
彼もまた将来を約束されて甘やかされた結果、あのような性格になった。
「好都合ね」
「クリスタ?」
ぱん、と手のひらに拳を当て、私は不敵に笑みを浮かべた。
「そんなクソ野郎なら、気兼ねなくぶっ飛ばせるわ」
おまけ
「そんなクソ野郎なら、気兼ねなくぶっ飛ばせるわ」
(ちょっと前に「平和的」とか言ってたのに、やっぱりそうなるかぁ。まあ、そのほうがクリスタらしくていいか)
エキドナは疑問を押し込め、一人で納得した。