第三十四話「魔法の水」
幼い頃から日常にある「何故」を解き明かすことが好きだった。
何故、水を流すと汚れは落ちるのか。
何故、風が吹くと洗濯物が乾くのか。
何故、食べ物に火を通すと食べられるようになるのか。
大抵は少し考えればその答えに辿り着けた。
けれど魔法だけは違った。
魔力というひとつの力の源が万物に変化する。
火にも、水にも、風にも、土にも。
それを起こす方法は本を読めば、あるいは教えを請えばいくらでも答えに辿り着けた。
けれど「何故そうなるのか」を説明できる人は一人もいなかった。
何故を何度も繰り返した先に得られる回答は「神様がそうなるようにしてくださった」等の曖昧なものだ。
誰も答えられないのなら、私が魔法の「何故」を解明してやる。
それが魔法に興味を持った発端だった。
――あれから十五年以上が経ったけれども。
魔法の「何故」は分からないまま、今も私の心を掴んで離そうとしない。
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「先輩……本気で言ってるんスか?」
「もちろん。マリアにだけ重荷を背負わせる訳にはいかないもの」
教会にあれだけ「辞めろ」と言われ続けても辞めなかった。
もはや私の人生の一部ですらあった魔法研究。
それを、辞める。
ベティやエキドナだけでなく、刺客たちやマリアまでもが驚きに目を大きく見開いていた。
「約束するわ。教会の再建に心血のすべてを注ぐ」
「そこまでの覚悟があるってことかい」
「ええ。研究をやめることも覚悟のひとつと受け取ってもらえれば」
魔法研究ができなくなる。
予想している以上の苦痛を伴う日が来ることもあるかもしれない――いや、確実に来るだろう。
けれど、それでも教会の再建のほうに比重が傾いた。
「何故、そうしようと思った?」
マリアは真意を確かめるように目を細めた。
「この老いぼれの過去に同情してのことかい」
「それは違うわ」
きっぱりとマリアの言葉を否定する。
私の行動の根源にあるものは、あの日からたったひとつ。
魔法研究すらも枝葉にしか過ぎない。
「ルビィのためよ」
教会の腐敗は今後、もっと大きな問題となって芽吹く。
それが巡り巡ってルビィの元に降りかかってくるかもしれない。
知ってしまった以上、姉として指を咥えて見ている訳にはいかない。
魔法研究を推し進めるより、教会を優先するべきだと考えた。
「……」
マリアはしばらく私の目を睨みつけたあと、
「……く、ははは、はーっはっは! この期に及んで妹と来たかい!」
と、破顔した。
声を上げて笑うマリアを見たのは初めてのことだったので、思わず面食らってしまう。
「アンタらしいねぇ! それでこそだ!」
「マリア?」
「乗ってやるよ。その無謀な策に」
何が琴線に触れて笑っているのか分からないけれど……まあ、協力を取り付けられたからいいか。
差し出されたマリアの手を、私はパン、と叩いて約束を交わした。
「ありがとう、マリア」
「で、他の奴らはどうするんだい」
マリアは周辺で聞いていた皆にも回答を促した。
「もちろん協力するッス!」
「それで国が良くなるなら、手を貸さない理由はねーな」
「私も。いまの教皇様、ちょっと嫌だし」
「我々は聖女マリアの意に随行いたします」
全員が作戦に協力してくれることになった。
聖女と刺客――いえ、元刺客を合わせて十人。
たった十人しかいないけれど、十分だ。
「みんな。ありがとう」
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全員が参加表明したところで、内容は具体的な行動へと移った。
「潰すなら頭から。まずは教皇の首根っこを掴むところからね」
「おお! ……けど、教皇ってどこにいるんだ?」
教皇は滅多なことでは表舞台に降りてこない。
すべての決定は上層部を通じて下され、本人が登場することは本当に稀だ。
「アタシも居場所までは知らないよ」
「マリアも知らないとなると……上層部の誰かをふん捕まえて締め上げるとか?」
「そんな野蛮なことはしないわ。いつも通り平和的な解決法で交代してもらう」
「そうか。それは安心だな……いつも通り? 平和的?」
何が引っかかったのか、エキドナはしきりに首を傾げていた。
「けっきょく教皇を探す方法はどうやるんスか? 教会の中をくまなく調べるとか?」
「ベティ。わざわざ探す必要なんてないわ」
教皇を探すとなると骨の折れる作業になる。
しかも、誰にも怪しまれずに――という条件もついてしまうため、まず不可能だ。
なら、発想を転換させればいい。
「探すんじゃなくて、教皇の方から来てもらうの」
「……生誕祭まで待つとかッスか?」
教皇が表に出てくる行事のひとつ、王国生誕祭。
開催はもうすぐだけれど、そんなことをしなくても今すぐに出てきてもらう方法がある。
「そんな方法、あったっけ?」
「ええ。今の状況でしか使えないけどね」
「――あ、分かったかも」
ピンと来たように、ユーフェアが顔を上げる。
「今しか使えない、教皇を出すための方法」
ちらり、とマリアの顔を移しながら、
「聖女の交代。そうだよね?」
「正解よ」
新たな聖女が決定した際、祝福という儀式を執り行うため教皇は聖女の前に姿を見せる。
「マリアの暗殺に成功したと思わせて、次の聖女を連れて行く」
実際にマリアを殺すわけにはいかないので、あくまでフリだ。
マリアを別人に成りすまさせ、次の聖女だと偽り祝福の儀をしてもらう。
「アタシと教皇の付き合いはそこそこ長いよ。ちょっとやそっとで騙せるとは思えないが……アンタのことだ。何か考えがあるんだね?」
「ええ、安心して。マリアを別人に変えるとっておきの魔法があるの」
顎に手を当てて続きを促すマリアに、私は一本の瓶を懐から出した。
全員が「なにそれ?」と首を傾げる中、マリアは水の正体をすぐに察したらしい。
納得したように何度もうなずく。
「なるほど。確かに別人になる魔法だ」
「でしょ? これさえあれば、教皇は絶対に騙せるわ」
マリアを別人に変える魔法の水。
それはかつて二人で調査に行った「若返りの泉」の水だった。