第三十話「敬虔の理由2」
「カトリーナ……?」
「そんな名前の聖女、知らないよ」
私とユーフェアは顔を見合わせた。
聖女であれば名前くらいは教会のどこかで見たかもしれない。
しかし、いくら記憶を漁っても該当する名前はない。
「聖女の名を後世に残そうという動きがあったのはここ三十年くらいのことだ。アンタらが知らないのも無理はない」
マリアは出世のため、効率を突き詰めた立ち回りで人々を治療していた。
手際のよい方法を他の人のやり方の真似をし、傷薬や包帯を節約する方法を覚え、怪我の度合いを素早く判断する目を養った。
しかし、それだけでは出世が望めるほどの成果は出せない。
次にマリアが取った方法は――選別だ。
培ってきた観察眼で助かる人間と、助からない人間を選び、前者の治療を優先した。
露骨が過ぎればそれはそれで不味いので、やむなく助からない人間を担当することもあった。
そんな時、マリアは最低限の治療だけを施したように見せて放置した。
取捨選択が実を結び始め、マリアの治療が優れていると上からの覚えもめでたくなってきた頃、彼女のやり方を非難する人物が現れた。
それがシスター・カトリーナだ。
彼女はマリアが重傷者を相手にした時は手を抜いていることを見抜き、それを追求してきたのだ。
カトリーナは怪我人を分別しなかった。
どんな重傷でもつきっきりで治療し、命の灯が消える最後の瞬間まで繋ぎ止めようとする。
数を重視して選別する当時のマリアとは対極の存在だった。
水と油のような関係の二人の意見はずっと平行線のまま、顔を合わせるごとに喧嘩をするようになった。
「綺麗ごとだけでやっていけるような所じゃなかった。アタシはカトリーナと顔を合わせる度に喧嘩をしながらも自分のやり方を貫いた」
倫理的にどうであれ「評価を貰う」という点においてマリアのやり方が一番だった。
早く地獄から抜け出したい一心で、マリアはカトリーナの言葉を無視し続けた。
その甲斐あり、マリア昇格の話が持ち上がった。
「ようやく解放されると思った矢先、アタシはまた鎖で縛られることになる」
聖女に欠員が出たため、新たに聖女が選別されることになった。
マリアはそれに選ばれてしまったのだ。
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「聖女になったせいで望んでいた以上の地位は得た。けど、アタシの目的は偉くなることじゃない」
マリアの目的は結界の穴を脱して安全な場所で暮らすこと。
地位の向上はそのための手段でしかない。
「けど、聖女が結界の穴に行くのってそれほど頻度高くないよね。完全に逃げ切りはできないけど、それでもよかったんじゃないの?」
マリアの言葉に、ユーフェアが首を傾げる。
彼女の言う通り、結界の穴への視察は年に二度。それも五人で交代なので、実際は年に一度あるかないかだ。
けれど、昔と今は違う。
「五十年前はそうじゃなかったのよね」
「ああ」
マリアは静かに頷いた。
当時、聖女のヒールは唯一無二の治療術――まさに神の奇跡そのものだった。
魔物の侵攻は激しく、戦況は常に人間側が劣勢。ヒールは聖女にしか使えない。
――そして、聖女は死んでも替えが効く。
これらを考えると、五十年前の聖女は視察ではなく常駐が基本だったのだろう。
「聖女になることは結界の穴に縛られることと同義だった。やることはこれまでと同じ……いや、前よりも悪くなった」
当時の聖女の扱いは酷いものだった。
ヒールはもちろん、結界である程度自分の身を守れるため前線に駆り出されることもあった。
使い捨ての囮兼、便利な衛生兵。
逃げようとすれば「神託を蔑ろにした非国民」として差別される。
後ろ指を差されるくらいならまだしも、本当に「刺される」こともあったらしい。
「今度こそ、アタシは絶望したよ……魔物に引き裂かれるくらいなら、もういっそ死んじまおうかとも思った。けれど、それを止める奴がいた」
その人物こそ、さんざんいがみ合ってきたカトリーナだった。
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「アタシと違ってアイツは前向きだった。これでもっと多くの人が救える……ってね」
ずっと渋面を作っていたマリアが、ほんの一瞬、頬を緩めた。
「魔物との戦いを終わらせ、聖女を含めた全員が死なない国にする……なんて大言を抜かしていたよ。そして、それに協力しろ、と」
カトリーナはマリアに自分の夢を聞かせた。
ただ、それには自分だけでは力が足りないと。
そこでマリアに協力を要請してきた。
「妄言もいいところだったが……アタシが目的を達成するには、アイツの計画に協力することが一番の近道だった」
いがみ合っていた二人が、聖女になったことをきっかけに目的を一致させた。
マリアとカトリーナは治療の傍ら、情報収集に努めた。
運ばれてくる傭兵との会話から魔物の生態や行動の癖を予測し、囮として使われた際には間近でそれを確かめる。
そうして得た知見から、どういう魔物にどんな構成のパーティが、どう動けば勝率を上げられるのかを徹底的に検証した。
おかしな行動をする二人を揶揄する声もあったけれど、少しずつ、着実にそれは実を結び始めた。
遭えば死は免れられない魔物が、怪我で済むように。
怪我は避けられない魔物が、無傷で倒せるように。
結果を残したことで協力してくれる傭兵たちも日増しに増えていく。
「あの日、アイツが言った夢物語が現実になるかもしれない。誰もがそう考えていたさ」
人々が希望を見出したその時、魔物は大きな牙をルトンジェラへ向けた。
「見たことのない新種の魔物が大量に押し寄せてきて、ルトンジェラは壊滅に追い込まれた」
それが今も続く魔物の生態系に乱れが生じる周期の、第一回目だった。
のちにそれは活動期と名付けられることになる。




