第十一話「ボコボコにされる男」<ウィルマ視点>
「さて。まずは下準備」
ルビィの姉――聖女であるクリスタは、無抵抗の僕に掌を向けてきた。
「ひっ……や、やめろぉー!」
「聖女ヒール・継続」
「あああああ……あ、あれ?」
身を竦ませていると――淡い光が身体を包み、顔の傷がみるみる治っていく。
ジンジンした痛みは残っているものの、殴られた痕跡は綺麗さっぱりと消えた。
「な、治してくれたのか?」
クリスタは何も言わずに、にこりと微笑んだ。
――その表情で、全てを察する。
そうかそうか。
勢いでここまでやって来たものの、直前になって僕に惚れてしまったということか。
そうでなければ、これからブチのめそうという相手を治すなんてことはしないはずだ。
女を誑かす顔という自負はあったが、まさか殺意を向けてくる相手にすら作用してしまうとは……。
やはり僕は神に愛されている!
少々痛い目に遭わされたが、美しい女性に対して僕は寛大だ。
尻を振って僕になびくというのなら、優しくしてやらないことはない。
「んふふ……。僕に対する数々の無礼、普通なら死罪になるところだが――僕のメイドになるというのなら許してやらんことはないぞ?」
「は。何言ってるの? 気持ち悪い」
「え? あれ?」
「勘違いしないでね。今のは治療のためのヒールじゃないから」
「――へ?」
「私が全力で殴ったらすぐに原型が崩れちゃうから、その防止策よ」
「え、あ……あの、僕に惚れたんじゃ……?」
「……あなた、どういう脳の構造をしているの?」
呆れ顔を見せるクリスタの後ろでは、ソル……ソルベ――名前の難しい聖女が、腹を抱えて笑っていた。
「――まあいいわ。傷は治るけど、痛みはそのまま感じるように調整してあるから」
「ま、また殴るつもりか?! この僕を!」
「当たり前じゃない。妹が味わった苦しみ、たっぷりと味わってね♡」
クリスタは見蕩れるような笑顔を浮かべ――格闘家顔負けに、全身のバネを使って右手を振りかぶった。
「本気聖女パンチ」
「ごっ――」
首がねじ切れるほどの衝撃が左頬にぶつけられる。
本気と銘打ったパンチの威力は伊達ではなく、僕はとんでもないスピードで壁に激突。
それでも勢いは死なず、隣の部屋の床を削り――さらに隣の部屋まで突き破ったところでようやく止まる。
「ご、ごふっ、ごぺぇ」
痛い。
死ぬほど……いや、死んでもおかしくないほどに痛い。
なのに――傷だけが、吹っ飛んでいる間に治っていた。
聖女の拳によってぶちぶちと千切れる音がした首の筋肉も、壁を突き破った時に擦れた細かな傷も、よろめきながら起き上がる頃には綺麗さっぱり無くなっていた。
「まだまだいくわよ」
僕自身が空けた壁の穴を通り抜け、一直線にクリスタが迫る!
「聖女キック」
「こぺ?!」
走るスピードそのままに、彼女の足が僕の腹に突き刺さった。
身体がくの字に折れ、腹の中に入れた朝食が盛大に宙を舞う。
「ちょっと。服が汚れるじゃない」
クリスタはステップを取るように吐しゃ物を避け、うぇ、と眉を寄せる。
「先輩。【聖鎧】してるんだから平気じゃないスか」
「汚れはしないけど、いい気分はしないでしょう?」
「確かにそうッスけど」
後ろをトコトコついてきたもう一人の聖女と呑気な会話を繰り広げる。
――なんなんだよ、こいつら。
「聖女アイアンクロー」
「あぎゃあああああ!?」
小さめの掌で顔面を掴み、持ち上げられる。
クリスタの腕はごく一般的な細さだ。なのに、この膂力はなんだ!?
「いだい! いだい! 割れるぅぅぅぅぅ!」
「大丈夫よ。割れてもすぐ治るから」
こめかみに指が食い込み、骨が軋みひび割れる音が耳の中で響く。
「聖女アッパー」
「ぉぶ!?」
クリスタがいきなり手を離したと思ったら、下から突き上げる拳が僕の顎を捉えた。
鼻先に下唇が当たるあり得ない感触を味わいながら、天井を突き破って空に舞い上げられる。
「ひ――ひあああああ!?」
上昇が終わって落下の恐怖を味わっている間に、傷は治っていた。
「聖女かかと落とし」
「ぺぼぉ!?」
落下のスピードを上乗せするように、クリスタの踵がタイミング良く背骨を折る。
床を突き抜け、僕は一階にまで落ちた。
その穴を抜け、クリスタが僕の身体に着地する。
「聖女プレス」
「おぼぃ!?」
「……今、重いって言った?」
「言っでまぜん! 言っでまぜん!」
そんな皮肉を言う余裕がある訳ないだろうが!
そう言ってやりたかったけど、怖くて何も言えなかった。
なんで、どうして僕がこんな目に!?
どこかに、助かる道は無いのか――!?
周囲を見回すと、荷物を持って外に出ようとするメイドと目が合った。
ついさっきまで扉の下で伸びていた、あのメイドだ。
僕のことが大好きで、いつも挑発的に大きな胸を見せびらかす、僕のお気に入り。
「おいっお前! 僕を助けろぉ!」
あいつなら、身を挺して僕を助けてくれる。
なにせ、僕のことが大好きなんだからなぁ!
しかしメイドは、見たこともない冷たい表情で、
「いや、無理に決まってるだろ」
と、吐き捨てた。
え?
え????????????????
「お、お前の大好きなご主人様が、こんな目に遭ってるんだぞ!」
「私がいつテメーを好きだなんて言ったよ。勘違いも大概にしろ」
メイドは侮蔑に満ちた表情を向け、親指と人差し指で輪っかを作った。
「私たちが好きなのは、お前の金だけだ。じゃなきゃ、お前みたいなクソナルシストなんざ相手にするか」
「う、嘘だ! ――い、いつも僕のテクニックで悦んで」
「演技に決まってるだろ。あとお前、自分で上手いとか言ってるけど、フツーに下手だからな」
「……」
魂が抜ける音を聞いたことがあるだろうか。
僕は人生で、初めてその音を聞いた。
「じゃあ姐さん方、あとはご自由に」
「ええ、そうさせてもらうわ」
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「さて。仕上げに入ろうかしら」
身体的な痛みでの限界もあるが、精神的な痛みの方がそれよりも上だった。
僕が集めた、僕のことが大好きなお気に入りのメイド達。
彼女たちがベッドで乱れる姿が、全部、演技だった……?
僕はただおだてられて、お金を巻き上げられていただけ……?
「も、もうやめで……ごべんなざい……ごべんなざい」
「もう少し早くそれを言ってたら、今の半分くらいで済ませてあげてたかもしれないのに」
やれやれと肩をすくめながら――クリスタが再び手をかざす。
「【結界】」
「!?」
四肢が、何もない空中に縫い留められる。
動かそうとしても、びくともしない。
「聖女パンチ――百連」
「ごぼべごぼぼおぼ!?」
とんでもない力の込められたパンチを連続で繰り出される。
後ろに吹き飛ぶことも、倒れることも――気絶することもできない。
僕にできることは、ただ痛みに耐えることだけ。
骨は折れ、内臓が弾ける音が体内に響く。
そのたびに身体は完治し、残った痛みだけが僕の身体を焦がす。
「これで……最後ォ!」
「ぶべぇぇぇぇ!?」
最後の一撃と共に拘束を解除され、僕は三度吹き飛んだ。
当然のように壁を突き破り、庭の土をガリガリと盛大に掘り返しながら――十数メートル先で、ようやく止まる。
盛り上がった土で上半身が埋まり、下半身と尻だけが突き出ているような格好だ。
……僕は、何を、どこで間違えたんだろうか。
「あー、スッキリした。帰りましょうか」
「お疲れ様ッス! 良かったらおウチまで転移しましょうか?」
「そうね。ルビィにも顔を見せてやって頂戴。きっと喜ぶわ」
「わーい」
薄れゆく意識の中、僕は一つの答えを見つけ出した。
――相手を、間違えた。
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