第九話「唯一の天敵」
「なに、どういうこと?」
マリアとフィン。
どう考えても接点のないはずの二人が並ぶ光景に、私は思わず目をこすった。
「……いま言った通りさ。こいつはアタシを迎えに来た」
「迎えに……って、どこに行くつもりなの」
「決まってるさ。ワラテア王国だよ」
至極当然、と言った様子で告げるマリア。
ワラテア王国は大陸の北と南の玄関口の役割をしている。
国交は正常に機能しているし、物や人の行き交いも盛んだ。
行きたいと言うのなら止める理由などない――マリアが聖女でなければ。
表向き、ワラテア王国とオルグルント王国は敵対していない。
共に手を取り合い、人類の繁栄に尽くしている。
しかし「敵対していない」と「仲が良い」は別の話だ。
オルグルント王国は『極大結界』の技術を独占し、自分たちだけその利益を享受している――かの国からはそう思われている。
もちろんオルグルント王国にそんな気は――王族の意向は知らないけれど、少なくともそんな意地悪ではないはずだ――ない。
しかし伝えようにも、原理も理論も分からないものはどうしようもない。
だから「分からない」としか答えられない。
ワラテア王国はその言い分を信じていない。
唯一無二のものを手放したくないから公表しないんだろう、と疑ってかかっている。
邪推をされてはオルグルント王国としても面白くはない。
両国は互いに手を取り合うポーズを見せながら、机の下で互いの足を蹴り合っているような構図だ。
「どうしてマリアが行く必要があるの」
聖女としてワラテア王国へ招かれる。
規律に厳しい彼女がそれを破るはずがない。
「アンタはたまに察しが悪くなるね」
やれやれ、と首を振り、マリア。
……本当はうすうす分かっていた。
行方をくらまし、ワラテア王国の聖騎士に迎えられる。
状況証拠だけでも黒と分かる。
下手な推理小説なら、ここで結末が分かるほどにベタな展開だ。
けれど「マリアがそんなことをするはずがない」という強烈な先入観が、容易に浮かんできた答えを拒否していた。
「アタシはオルグルント王国を抜ける」
信じられなかった、信じたくなかった答え。
それを本人がはっきりと、明確にした。
▼
「国を抜ける……って」
「『極大結界』に関しては問題ない。アタシはもともと維持の割合が低かった」
マリアは近年、負担の割合を減らしていた。
彼女の体を気遣い、教会がそのように変更したのだ。
マリアの言う通り『極大結界』の運用には全く問題がない。
「そういう問題じゃないわ。聖女としてワラテア王国に行くなんて、反逆行為と捉えられかねないわよ」
「だから、さっきからそう言っているじゃないか」
はぁ、とマリアは杖を持っていない手で頭を掻いた。
「誤解がないよう、こう言ったほうがいいかい? アタシはオルグルント王国を裏切ってワラテア王国の傘下に入る」
「なんで、どうして?」
「簡単なことだ。この国に先がないからだよ」
訳が分からない。
先を憂いているのなら、なおさらこの国に留まるべきではないのか。
その決断をする前に、私たち――あるいは教会の誰かに相談すべきではなかったのか。
あまりにも過程の飛びすぎた結論に、私は混乱した。
「――ぜやぁ!」
「っ」
呆然と立ち尽くす私の右半身に衝撃が走った。
振り向くと、先ほど瓦礫と共に吹き飛ばした男が立っている。
目を覚ましたらしい。
「なるほど確かに強力な結界だ」
「……」
混乱しているところに横やりを入れられ、胸の内がざわついた。
「しかぁーし! この聖騎士ゼルクリード・グリムハルト様の攻撃を二度も防げるとは思わないこと――」
「邪魔よ」
「だぉああぁぁぁぁぁぁぁ!?」
自慢げに得物――身の丈ほどある巨大な剣――を掲げ、意気揚々と何事かをしゃべる聖騎士に聖女裏拳をお見舞いし、黙らせる。
「いま、マリアと話してる最中なの」
「もう話すことなんてないよ」
ふい、と背中を向けるマリア。
フィンは気絶したゼルクリードとやらを担ぎ、それに続く。
「待ちなさい。私はまだ納得してないわ」
「する必要はない。受け入れな」
「嫌」
このままマリアを行かしてしまえば、彼女は反逆者だ。
本当に取り返しがつかなくなってしまう。
それだけはさせない。
「あなたを倒してでも止めるわ」
「……はぁ。やれやれ。ここまで聞き分けがなかったとは」
こつこつ、と杖をつき、マリアはこちらに向き直った。
「なら、アンタを倒してから行くとしよう」
▼
マリアが動いた。
特に構えることなく、こつこつと杖をついてこちらとの距離を詰める。
マリアの能力は厄介だ。
けれど距離さえ詰められなければ問題なく対処できる。
(まずは間合いを取って――!?)
ゆらり、とマリアの姿が揺らいだ。
次の瞬間、彼女は眼前にまで迫っていた。
まるでベティの転移を使われたかのような不自然な移動に、私は慌てて後ろに飛ぼうとした。
けれどもう遅い。
ここはマリアの射程圏内だ。
「破ッ!」
「が……!?」
マリアの掌が、私の胸を打った。
【聖鎧】を貫通する痛みに、思わずその場にくず折れる。
聖騎士の剣ですら傷ひとつ負わなかったのに、老婆の掌底でいとも簡単に私は戦闘不能になった。
「クリスタ。アンタは強いよ。おそらく大陸の歴史を見ても五指に入るだろう」
聞き分けのない子供に言い聞かせるように、マリアはいつもよりもゆっくりした口調で語り掛けてきた。
「けどそれは魔法に依存した強さだ。なら、アタシの敵じゃない」
『守り』と『癒し』の能力の拡大解釈によってマリアが得た能力は――『無効化』。
呪術師が組んだ呪いだろうと、宮廷魔法使いが放つ強力な魔法だろうと、すべてを無にしてしまう。
それはあらゆる攻撃を弾く【聖鎧】も例外ではない。
そう。
私の能力は、マリアの前では全く意味を成さない。
マリアは私にとって同じ聖女であり――唯一の天敵なのだ。
「ま……待ちなさ、い」
「筋は通した。止められるいわれはないね」
うずくまる私を捨て置き、マリアはその場を立ち去った。