王太子との婚約を蹴った元公爵家の独白
短編「姉が駆け落ちしましたので。」の別視点作品です。
― 母・ミラベル ―
私はミラベル・ウェルズリー。公爵夫人でございます。
え? 元・公爵夫人だろうって?
ああ……。そうでした。今は、辺境の小さな領地に移されターナー男爵夫人となっているのでした。
なぜそうなったのかはおいおい説明することとして。まずは私の半生などお話ししましょうか。
私はミントン子爵家の長女として生まれました。母親譲りの濃い金色の髪、エメラルドのような緑色の大きな瞳、陶器のように白く滑らかな肌。社交界デビューと共にそれは沢山の殿方から求婚されたものです。
そして、私はその中で一番身分の高かったウェルズリー公爵の長男ベンジャミンを選びました。
愛していたか、ですって?
いえ、愛とか恋なんて貴族の結婚に関係ないじゃありませんか。私はただ、母の勧める結婚なら間違いないと思ったので、彼を選んだのです。
そう、私にとって母は全てでした。美しい母の言うことは絶対。逆らうなんて有り得ません。
私の母の生まれは伯爵家でした。当時の貴族令嬢の中で一番の美女と言われ、やはり沢山の求婚を受けたそうです。
「お前の三倍は申し込みがあったわ」
母はいつも私にそう言っていました。
母が社交界デビューする頃、王太子様の婚約者に内定していた公爵令嬢が病気で亡くなりました。婚約発表まであと一年という時だったので、すぐに新しい婚約者候補選びが始まりました。
母はもちろん名乗りをあげたかったのですが、伯爵令嬢という身分ではそれは難しかったのです。
結局、グラフトン公爵家の令嬢が婚約者となり、王太子妃となりました。
「私が公爵家に生まれてさえいれば、絶対に選ばれたのに。あんな冴えない女が王太子妃になるなんて、王太子もお気の毒だったわ」
母は毎日のように私に言って聞かせました。
「ミラベル、お前も可哀想に。伯爵よりさらに低い身分の子爵家に生まれてきたからねえ。せっかく、私に似て美人と言われているのに、王太子妃になんてなれやしない。だけどミラベル、お前が高位貴族に嫁げばお前の娘は王太子妃になれるだろう。だから、自分を綺麗に見せて、より高い身分の男性に見初められることだけ考えて行動なさい」
母の言葉に従い、私は殿方に好かれる化粧、服装、仕草、そういったものを研究し、母には及ばないけれども世間からは美しいと言われるようになりました。そして、母の望み通り公爵家に嫁ぐことになったのです。
最初に男の子を産んだことで、まず跡継ぎをという夫からの要望は果たしました。次は絶対に女の子を。そう思ってからなかなか授からず、五年経ってやっと女の子を産むことが出来、アナベルと名付けました。
母と私によく似た金髪に緑の目。天使のように可愛らしいアナベルはまさに、王太子妃になるために生まれてきた娘なのです。
その頃、上位貴族の中で王太子様と釣り合う年齢の子供は男の子ばかり。あと三年ほど女の子が生まれなければ、アナベルに決まりでしょう。
私はアナベルを王太子妃に相応しく気高く育てようと心に誓いました。ところがその矢先、うっかり次の子を妊娠してしまい、体調も悪かったのでしばらく実家で過ごすことになりました。
母は自分によく似た孫をたいそう喜び、私から取り上げてしまいました。
「ミラベルは次の子がお腹にいて大変でしょう。私がいい乳母に見させるわ」
そうしてアナベルは私よりも母に懐いてしまいました。
ああ、この子さえいなければ。私はお腹の子を恨めしく思いました。
生まれてきた次女エリザベスは、夫の父親、つまり舅に似た黒髪にブルーグレーの瞳。陰気な色です。こんな娘は高位貴族には嫁げないでしょう。母も、この子にはまったく興味を示しません。
「まったく、私に似たところが一つも無い子だね。陰気で気難しいウェルズリー公爵にそっくりだわ」
母はそう言ってエリザベスを抱こうともしませんでした。私も同じ気持ちです。この子の世話は乳母に任せて、私は美しいアナベルに愛を注ぐことにしました。
やがて体調も回復したので私はウェルズリー家に戻りました。ほどなくして公爵が亡くなり、夫のベンジャミンが後を継ぎました。私は晴れて公爵夫人となり、自由にお金も使えるようになったので、アナベルを着飾ることに夢中になりました。
息子ですか? 息子のチャーリーは夫が跡継ぎとして可愛がっておりました。
「お前は頭が悪いからチャーリーの教育は任せられん」
と言われていましたので、何も口出しはしておりません。
エリザベスは相変わらず乳母やメイドに任せていました。時々、夫の弟であるアーサーが絵本など持ってきて与えていたようですが、彼も舅と同じで本ばかり読む陰気な人間です。エリザベスは見た目だけでなく性格も陰気なので、気が合うのでしょう。
アナベルは私の望み通り、誰よりも気高く天真爛漫で、輝くような美しい子に育ちました。そして、やはり、王太子妃に内定したのです!
母は気も狂わんばかりに喜びました。早く二人の結婚式が見たい、と言っていましたが、アナベルが十歳になる頃に病で亡くなりました。今思えば、アナベルの末路を知ることなく逝けたのは幸せだったでしょう。
そう、今どうして私はこんな小さな領地で男爵夫人となっているのか。
どうしてアナベルは貴族籍を剥奪されたろくでもない夫と罵り合いながらこの狭い屋敷に居候しているのか。
どうしてチャーリーは公爵家を継ぐことが出来ずここにいるのか。
どうしてあの陰気なエリザベスが王太子妃になって王宮で優雅に暮らしているのか。
わからないことだらけです。
一つだけわかっていることは、エリザベスは私たちをここから救い出すつもりはないということ。本当に、冷たい娘です。親孝行をする気持ちを持たない、薄情な娘です。
でも私はエリザベスを許しましょう。あの子が私のお腹から生まれた子であることは紛れもない事実。私は王太子妃の母、そしていずれは王妃の母として崇められるはずです。エリザベスが許しを乞うてきたならば、私は優雅に微笑み許してやるつもりです。
ああエリザベス、早く来ないかしら。
― 兄・チャーリー ―
私はチャーリー・ウェルズリー。将来は公爵になることを約束されていた、筈だった。
妹アナベルが婚約内定者でありながら王太子を裏切り妊娠してしまった。そのため、父が責任を取って隠居した。そこまではいい。
だが何故、私まで一緒に?!
公爵の地位を無くした父は、元々持っていた辺境の地ターナーの男爵となり、小さな領地ではあるがそこに収まった。いずれ、私はそこを継ぐだろう。
だがしかし、こんなちっぽけな領地。公爵家の領地に比べたら塵みたいなものだ。
屋敷には執事兼庭師のマイクと、シェフ兼メイドでマイクの妻ドロシー、そして小間使いのアン。これだけしかいない。
食卓に並ぶ料理は品数も少ないし田舎くさいものばかり。
領地内には遊べる場所も無いし、歩いている女は農婦ばかりだ。まったく、つまらない。
昔は良かった。次期公爵である私の元に女はいくらでも寄ってきた。賭博場も毎日のように通った。金は、父の名を出せばいくらでも借りられたからな。
父はつまらない説教などするタイプではなかった。
「わしは厳しい父親に育てられて窮屈な思いをしたから、お前は自由にさせてやる。わしが死んだらお前も当主としての自覚を持つだろうから、それまでは遊び尽くしておけ」
その言葉に甘えて、随分と自由にやらせてもらった。公爵家の金に余裕が無くなっているのは薄々勘づいていたがな。父の名を出しても、金があまり借りられなくなってきていたのだ。
だが、下の妹エリザベスがオスローに嫁いでくれれば万事解決だ。あの男爵、金だけは沢山持っているらしい。エリザベスを後妻にもらえるなら借金を全部肩代わりしたうえ、支度金まで出してくれるそうだ。
そして、上の妹アナベルが王太子妃になれば、我が家はますます箔が付いて金にも女にも不自由しなくなるだろう。バラ色の人生とはこのことだ。
うん? なんだかアナベルが騒いでいる。舞踏会に行きたいと言っているのか。
行かせてやればいいじゃないか。あと三ヶ月で籠の鳥になるのだし。今遊んでおいた方があとで不倫なんかされるよりマシだろう。
そんなことを考えていたらいつの間にか私がアナベルをエスコートして連れて行くことになっていた。
まあいいだろう。最近は賭博場ばかりで舞踏会にはあまり顔を出していなかった。そろそろ、正式な妻を選んでもいい頃だ。じっくり、品定めさせてもらおう。
その後、アナベルは毎週舞踏会に行きたがった。私も、いろんな令嬢に声を掛けるのに忙しいので、連れて行った後は放っておいて自分の妻探しに集中した。
出来れば、結婚相手は伯爵令嬢以上を希望しているのだが、なかなかこちらになびいてくれない。やはりお堅い育ちなのだろう。私のような遊び慣れた男の胸に飛び込んでくる勇気はないようだ。
まあ子爵や男爵の令嬢でもいいか。公爵夫人の座を目当てに色目を使ってくるような令嬢なら、ちょっと火遊びしたって構わないだろう。その中で一番相性の良い令嬢を選ぼう。
そうしてあちこちで愛を囁いているうちに、アナベルが妊娠騒ぎを起こしてしまった。
お陰で、父は公爵の座を退くことになったが、私は秘かに喜んだ。なぜなら、父は長生きしそうだったから。早めに公爵位を継げるのならかえって好都合だ。これからはもっと自由に遊ぶことが出来る。
おや……? 何か様子がおかしい。私も田舎に引っ込めだと?
「なぜですか! 私は何もしていないではありませんか」
「チャーリー。お前は舞踏会でアナベルをちゃんと監視していなかっただろう」
父は暗い表情で言った。
「そ、それは認めます。だけどちょっと目を離したくらいで妊娠するなんて思わないじゃないですか」
「それだけではない。たくさんの令嬢達から、お前を糾弾する声が上がっているらしいのだ。女の敵だとな」
「な……」
「それに、高利貸しからも催促が来ている。早く金を返せとな。もうわしは公爵家の金を使うことは出来んから、返済は不可能だ。やむなく、アーサーに返済を頼んだ。お前を公爵家の後継から外すことを条件にな」
「それじゃあ私は今後どうなるのですか?」
「わしと共にターナー領に行くのだ。わしが死んだら、そこの領主になれる」
「あんな、ちっぽけな領地……。しかも、男爵位じゃないですか」
「男爵位だけでもあって良かったと思え。本当なら貴族籍剥奪だったのだ」
そして私は父母と一緒にここターナーに移ってきたというわけだ。
この狭い屋敷に父と母、転がり込んできたアナベルとろくでなしシャール、それにうるさい赤ん坊。もう気が狂いそうだ。
父が死んで私が男爵になったら、アナベル夫婦はすぐに追い出してやる。働きもしないごくつぶしどもめ。
ああ本当に、私の人生、なんでこうなったのだ……。
― 姉・アナベル ―
まったく、ムカつくったら。
何が運命の女性よ。いいかげんなことばっかり。
貴族じゃなくなったら、急に甘い言葉も言わなくなったこの夫。
私の父に養ってもらっているくせに、ゴロゴロしてばっかりで働きもしない。働かないなら、子育てくらいすればいいのに。うちには乳母を雇うお金なんか無いんだから。
そのくせ、その辺の農婦にちょっかい出して、腹立つったらありゃしない。
二言目には、
「冷たい王太子から救ってやったんだからありがたく思え」
だって。ムカつく。
正直、冷たかろうが何だろうが王太子と結婚しておけば良かったと思う。結婚してから遊べば良かったんだわ。
その上、あの陰気なエリザベスがちゃっかり王太子妃に収まって。
これが、一番腹が立つのよ。あの子、ずっと狙ってたんだわ。な~にが、
「別に何とも思っていませんわ」
よ。絶対、心の中では私への嫉妬でドロドロになっていたはずよ。
陰気な見た目に陰気な顔、性格も陰気なエリザベス。まあ、あの陰気で人でなしの王太子とお似合いではあるけれど。
今頃、あの二人は王宮で贅沢な暮らしをしているのかと思うと、爪が食い込むくらい強くこぶしを握りしめていることもある。
ああ、赤ん坊が泣いている。うるさい。
子供を産んでから私の美貌は損なわれた。太ったし、手入れも行き届かないから肌も髪もバサバサだわ。専用のメイドを雇ってくれたらいいのに。
お父様もお母様も、私が王太子の婚約者じゃなくなってから態度が急に変わった。
いつも私のことを一番にしてくれていたのに、今は毎日、働け、出て行け、そればっかり。
こんな小さな領地なのに、それすら上手く経営出来ていない自分達のことを棚に上げて、貧乏になったのはお前のせいだなんて言われてもねえ。
まだ泣いているの? 誰かミルクでも与えておいてよ。私は胸の形が崩れるから嫌なのよ。
ああ、本当に、毎日毎日腹が立ってしょうがない。
お母様はいつかエリザベスが迎えに来て王宮に行けるなんて思っているし。
そんな訳ないじゃない。あのエリザベスよ。いつも冷たい目で私を見て、馬鹿にした顔をしていたあの子。暗い見た目通り、まったく可愛げが無い子。あんなの妹じゃないわ。他人以下よ。
ああ、もう一度きらびやかな舞踏会に行きたいわ。シャールなんかじゃなく、もっと身分が上の、素敵な人と恋に堕ちれば良かった。あの時は、シャールが素敵に見えたのよ。君は美しい、綺麗だ、王太子はガキだから君の良さがわからないんだよって言ってきたんだから。
この人は私のことをわかってくれる。これこそが真実の愛。この人のためなら王太子を裏切って全てを捨ててもいい、そう思ってしまった。バカだったわ。あんな男の言葉を信じるなんて。
それに、私が家から持って出てきたたくさんの宝石を売ればしばらくは遊んで暮らせると思っていたのに、これが誤算だった。
「奥様、これら全てでこのくらいのお値段になります」
「ええっ? 嘘でしょう? 買った時はこれの三倍以上の値段だったわ」
「ですが、形には流行り廃りがございますし、石自体はあまり大きくもなく質も良くないので、これでもオマケして差し上げているのですよ?」
「……わかったわ。いいわよ、それで。早くお金に替えて頂戴」
あの時の、気の毒そうにしながら実は馬鹿にしていた店主の表情、忘れるものか。腹が立つ、本当に。
予想よりだいぶ少ないお金で、いったいどれくらい暮らしていけるのだろうか。私は急に不安になった。
傍にいる『運命の恋人』は、金額交渉に加わるでもなく、退屈そうにしながら外の通りを見ていた。まったく、頼りにならない。
そして、シャールをよく見ると、なぜあんなにも素敵だと思ったのかわからなくなってきた。
背もあまり高くなく、ヒョロヒョロしていて逞しくもない。艶のない茶色の髪は不摂生からきているのだろうか。
少ししかないお金を、お酒や賭博に使おうとするどうしようもない男。
安い宿に泊まりたくないというシャールのせいで、お金はすぐに底をついた。
「もうやめようぜ。逃避行ごっこは充分だろ」
「ごっこ、ですって?! 私はこれが運命の恋だと思って駆け落ちまでしたのに!」
「ああもう、これだから世間知らずのお嬢さんはよお。ただの口説き文句を真に受けて勝手なことしやがって。おかげで俺は平民になっちまった。お前のせいだからな。お前が何とかしろよ」
悔しい。なんで、王太子の婚約者だった私がこんな男にこんなことを言われなきゃならないの。ああ、腹が立つ。
でも、お金が無くては生きていけない。私は仕方なく、お父様が隠居したターナーへと身を寄せた。
突然訪れた私とシャールを見て、お父様は露骨に嫌な顔をした。お母様は、親不孝、ふしだらな娘と罵り、私の方を見ようともしなかった。お兄様は、シャールと睨み合っていた。
「何しに来た。平民のくせに」
「何? お前ら家族のせいで俺は貴族じゃなくなったんだぞ! なのになんでお前らはまだ男爵なんだ」
「ふん、平民は口のきき方に気をつけろ。お前は元々貴族の器じゃなかったのだ。ここに居座るなら働け、食べ物を恵んで欲しかったらな」
二人は殴り合いを始めたが、誰も止める者はいなかった。私も面倒だし疲れていたので放っておいた。
ああ。どうしてこんなことになったのかしら。私はあんなにも輝いていたというのに。
そうよ、なぜ王太子の婚約者に内定されてしまったんだろう。そんなことさえ無ければ、私は自由に舞踏会に行けて、いろんな殿方と恋愛して、その中で一番いい人を選べたはずなのに。
私を王太子妃にしようとしていたのはお母様よ。王太子妃になることが一番の幸せだとずっと私に言い続けてきたお母様。だから、私が今こんなに不幸なのはお母様のせい。許さないわ。
私を不幸にしたお父様とお母様には、私を養う義務があるはずよ。シャールは追い出してもいいわ。一人でも食い扶持が減った方がいいし。
ああ、まだ泣いているのね。誰でもいいから早く抱っこしに行って。
私はもう、顔も見たくないのよ……。
この作品の後日譚として短編「私の素晴らしい人生」も投稿しています。そちらも合わせてお読みいただけると嬉しいです。