夜と王子と:con Sagres el Asturias (2)
王宮にある古い預言。
聖ソフィアの預言と呼ばれるそれには、国王や王太子といったごく一部の人間のみが触れられる禁忌だった。
未来の歴史が記載されているというその書物には、不思議な点が多かった。
魔法時代の書物であるはずなのに、それより古い文字で書かれていて、解読できない。そもそも聖ソフィアとはどのような人物なのかもはっきりとしない。
預言に書かれている内容でたしかなことは、三つだけだ。
あと数年で、やがてこのカロリスタ王国に大きな災いが訪れること。
その危機を救うのは、国王の妻たる『暁の聖女』であること。
そして夜の魔女と呼ばれる少女こそが破滅をもたらすこと。
王族は知ることすらなかった存在を、教えてくれたのは宮廷貴族の一人だった。
彼は魔女崇拝者と呼ばれている人々の一人だった。
魔女崇拝は教会の異端だが、オレにとってはそんなことは気にならなかった。
オレは力が欲しかったのだから。
彼らは魔女の力を利用すべきだと進言した。預言のいう国王は、王太子のことである。そして、その妻には聖女の力がある。
それなら、第二王子としては、夜の魔女を利用して、対抗するべきだ。
彼らはそう言って、そして、夜の魔女は、クレア・ロス・リアレスという少女だと断言した。
それは、兄の婚約者の名だった。
オレにとっては、それなりに容姿が優れた、ごく普通の公爵令嬢、という記憶しかない人間だった。
兄の婚約者というのが、オレのなかのクレアのすべてで、だからこそ意外だった。
「クレアが聖女じゃないのか? あれはアルフォンソの婚約者だろう?」
「クレア嬢は、やがて王太子から捨てられます。そうして絶望したクレア嬢が夜の魔女となり、暁の聖女には別の人間がなるのです」
王宮のオレの部屋で、かつて、魔女崇拝者の老クロウリー伯爵は笑顔で告げた。
夜の魔女のもたらす破壊をもって、彼らは新しい王国を作ろうとした。
クロウリー伯爵は焦ってしくじって逮捕された。だが、オレの背後には、まだ魔女崇拝者の宮廷貴族たちがいた。
、
だから、オレはリアレス公爵家に手を出した。
小手調べに、次期リアレス公爵のフィルという少年を決闘の場に引き出した。
リアレス公爵家をかき回し、アルフォンソとの仲を疎遠にし、適度に圧力をかけていく。
そうすれば、クレアは夜の魔女と化し、オレの手に入るかもしれない。
そうでなくとも、リアレス公爵家は、アルフォンソの有力な支持者だ。
貴族の集まる学園で力を削いでおいても悪くない。
そう思ったのだけれど……。
まさかクレア本人が決闘に出てくるとは、あまり予想していなかった。
そして、クレアはオレの従者のカルメロに最初は負けたけれど、次の戦いでは倒してしまった。
カルメロの腕はかなりのものだったから、クレアが勝ったのは本当に予想外だった。
途中でカルメロに勝負を引き上げさせたのは、最後まで続けて負ければ、より傷が深くなる、という判断もあったが、クレアの奮闘を見ているうちに、自分のやっていることが馬鹿らしく思えた、ということもあった。
小手先の工作に力を入れるオレたちに、クレアは真っ向から向かってきて、一矢報いた。 今度はオレ自身が、クレアと戦えばいい。
その後のお茶会でも、クレアとは会った。生クリームのお菓子が事故で宙を舞ったとき、
クレアは弟のフィルをかばうのを優先して、オレに生クリームは直撃した。
みんなオレが怒ると思って、青ざめていた。
ただ、不思議に怒りは湧いてこなかった。もちろん、寛大なところを周囲に見せたほうがいい、という打算もあった。
でも、それ以上に、クレアという少女にオレは興味が湧いた。
どうして……この少女は、そんなに弟が大事なんだろう?
貴族の姉弟、というのにはいろいろとしがらみがある。オレとアルフォンソが王位をめぐるライバルであるように。
しかも二人は血がつながっていないらしい。
オレは……不思議だった。
オレにはそこまで関心の持てる存在なんていなかったからだ。
彼女にとって、何よりも大事なのはフィルだった。剣術大会で優勝したいのも、その賞品をフィルにあげたいからだという。
オレがクレアを妃に、と言っても、クレアはその提案を一蹴した。
そして、今、クレアはオレにすら勝ってしまった。
王宮の剣術指南から、最も優秀な弟子、とすら言われたこのオレに、クレアは勝った。
オレはその事実をうまく理解できずにいた。
オレは自分が一番大事だった。オレより優秀な人間はいないと思い、それゆえに王を目指した。
けれど、その認識は誤りなのかも知れない。
あのクレアという少女は……オレの上を行く可能性がある。
オレはそこまで考えて、クレアという少女に、漠然とした恐怖と、そして、より強い興味を感じた。
オレは彼女をどうしたいのだろう?
当初の計画では、クレアは夜の魔女という道具に過ぎなかった。
だが、果たしてそれでいいのだろうか?
部屋をノックする音が聞こえる。
「失礼します」
そう言って、部屋に入ってきたのは、コンラド・ラ・バリエンテだった。
くすんだ茶髪と茶色の目の平凡な容姿だ。一つ特徴があるとすれば、それはあまりにも覇気がないことだった。
その瞳はいつもうつろで、何を考えているかわからない。
コンラドは、オレの支持者の宮廷貴族の子息だった。
そして、彼の父であるバリエンテ子爵は……魔女崇拝者だった。コンラドこそが、オレのそばで、夜の魔女の秘密を握っている人物だった。
「コンラド。聞きたいことがある」
「何でしょう? 殿下のお望みを仰ってください」
「カルメロをクレアとフィルにけしかけたのは、おまえだな」
「そうすることが夜の魔女出現の近道と存じましたので」
平然とコンラドは答えた。
その瞳はわずかも揺れず、何の感情も浮かんでいなかった。
「勝手なことをするな。それと、これからはクレアとフィルに手出しをすることはやめにした」
「敵に情が移りましたか?」
「そういうわけじゃないが、あまり焦って動くと、かえって失敗しかねないからな」
「なるほど」
とコンラドはつぶやいた。
オレの言葉は建前で、コンラドの言葉のとおり「敵に情が移」ったのだ。
そのことをコンラドは見抜いているかもしれない。
だが、表面上はコンラドはうなずいた。
「いずれにせよ御心のままに。我々の悲願は、殿下を王にすることなのですから」
そして、オレを利用するつもりか、という言葉を飲み込んだ。
宮廷貴族は利害からオレを支持しているが、どこまで信用できるか、わかったものじゃない。
コンラドは、クレアとフィルに手を出さない、と約束した。
まあ、さすがに、オレの命令には従うだろう、と思い、オレは安堵した。
そして、自分がホッとしていることに気づいて驚く。
それほど、クレアに興味を持ってしまったのか、と自分のことながら苦笑した。
コンラドは、機械的な笑みを浮かべると、オレの部屋から去った。
このとき、オレは気づいていなかった。
オレはたしかに、クレアとフィルに手を出すな、と言った。
しかし、彼女たちの身内については何も触れていなかったのだ。
そして、クレアのそばに聖女候補の少女がいることも、オレは知らなかった。
書籍1巻よろしくお願いいたします!





