XXI 聖女という妹
シアがこのタイミングでこの屋敷にやって来るなんて、予想外だった。
シアは前回の人生でのわたしの友人だった。シアは何も悪くなかった。わたしは今でも、シアに対して行った仕打ちを後悔している。
それでも、シアの存在が、わたしを破滅へ導いたことは否定できない。
そんなシアが、公爵家の屋敷にやってきている。
前回の人生では、わたしがシアに会ったのは、もっと後のことだった。15歳のとき、王立学園高等部の一年生のとき、同級生として出会ったはず。
なのに、どうして今回はこんなに出会うのが早いんだろう?
執務室の紋章旗を背に、お父様が言う。
「この子は私の養女となることになった。つまりはクレアの妹ということになる」
わたしはぎょっとした。
シアが……わたしの妹?
悪い冗談だ。破滅を回避するために、シアとはなるべく関わらないようにしようと思っていたのに。
シアはなんだかとても嬉しそうで、真っ赤な綺麗な瞳をきらきらさせている。
突然、シアがひしっとわたしの手を握った。
「ずっと……お会いしたかったんです、クレア様に」
「わ……わたしに?」
「はい。とても美しくて、お優しい、未来の王妃様だって聞いていましたから」
「え、ええと……」
わたしは王太子殿下の婚約者だから、未来の王妃なわけだけれど。
でも、前回は王太子に捨てられているし……今回も王妃になるなんて気が進まない。
だけど、そんなこと、お父様やこの子の前で言うわけにもいかない。
わたしはひきつった笑いを浮かべ、そして、お父様に説明を求めた。
シアは平民出身のはず。それが公爵家の養女になるなんて、おかしい気がするんだけど……。
「この子は、コスタ・デ・ラ・ルス伯爵の隠し子でね」
「えっと、当主が暗殺された家ですよね」
「そのとおり。あの家は当主以外の一族が死に絶えていてね。後継者がいなかったが……このたび、市井に身を隠していた娘が見つかったわけだ」
シアって……そんな秘密があったんだ。
前回の人生では、そんな話、一度も聞かなかった。
ともかく、そういう事情で、シアはリアレス公爵家の庇護を受けることになったわけだ。
シアはまだ12歳の少女だし、伯爵候補といっても、誰かに守られている必要がある。
コスタ・デ・ラ・ルス伯爵は、リアレス公爵の古い盟友だ。養女を引き受ければ、政略結婚の駒にも使える。
なら、シアがリアレス公爵の養女となり、成人までその庇護を受けることも、おかしくはない。
おかしくはないけど……。
わたしがシアをまじまじと見つめると、シアは不思議そうに首をかしげた。
悔しいけど、シアはわたしより美人だ。
銀髪紅眼は不吉の証ともいわれる。それは、その神秘的な美しさを恐れてのことかもしれない。
どうしよう……?
この子は、わたしの破滅への引き金だ。それに……わたしの弟を……フィルをとっていっちゃうかもしれない。
フィルがシアにとられても仕方ないと思ってた。でも、それはもっと先の、数年後のことだと思っていたのに。
この屋敷にシアが住めば。
今回のフィルもシアに惹かれて、わたしのことなんてどうでも良くなっちゃうんじゃ……。
突然、激しい頭痛に襲われる。
シアがいれば、わたしはいらない。そう。シアがいれば……
違う。そんなわけは……
「く、クレア様……!?」
いつのまにか、わたしは床に倒れ込んでいて、そしてぼんやりとシアを見上げた。
苦しい。胸が痛い。
シアの顔を見ていたくない。
わたしはよろよろと立ち上がると、「ごめんなさい」とだけつぶやいて、公爵執務室から出た。
どうしてこんなことに……
ふらふらとわたしが部屋に戻ると、お風呂上がりのフィルが、寝間着姿で椅子に座り、足をぶらぶらとさせていた。
わたしが戻ってきたのを見て、フィルはぱっと顔を輝かせた。
「……クレアお姉ちゃん。どこに行っていたの?」
わたしはその質問に答えず、フィルをぎゅっと抱きしめた。
フィルはびっくりしたような顔で固まっていた。
「お、お姉ちゃん……ど、どうしたの? 大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃないかも。……フィルはわたしのことを必要としてくれる?」
「もちろん。だって、お姉ちゃんがいなかったら……ぼくは……」
フィルはわたしをそっと抱きしめ返してくれた。
その体は小さいけれど、とても柔らかくて、そしてお風呂上がりの良い匂いがした。
フィルがわたしのことを必要としてくれる。それがわたしの喜びで。
でも、そんな時間は夢みたいなものだったのかもしれない。
「ほかの誰よりも……わたしのことを必要としてくれる?」
フィルは黒い瞳でじっとわたしを見つめ、そしてこくりとうなずいた。
「うん……。ほかの誰よりもクレアお姉ちゃんのことが大事だよ」
わたしは嬉しくなって、同時に苦しかった。
ああ……
これじゃ、前回と同じだ。
王太子殿下をシアにとられたくなくて、必死になって、嫉妬に狂って。
今回もフィルをシアにとられることを恐れている。また、同じ苦しみを味わって、同じ罪を犯して、わたしは死んじゃうかもしれない。
その時、フィルがわたしの頭をそっと撫でた。
びっくりして、わたしがフィルを見つめると、フィルは顔を赤くして、目をそらした。
「あのね……お姉ちゃんが苦しそうだったから、だから……」
「慰めてくれたの?」
「お姉ちゃんに頭を撫でられると、ぼくは安心できるから。だから、ぼくがお姉ちゃんの頭を撫でたら……お姉ちゃんも安心してくれたら、嬉しいなって」
フィルは恥ずかしそうに言い、わたしを上目遣いに見つめた。
わたしは胸のもやもやがとれていくような気がした。
そうだ。フィルを安心させてあげて、助けてあげるのは、わたしの役目だ。
たとえシアが現れても、まだ、フィルが望む限りは。
わたしは微笑んで、フィルの髪をそっと撫で返した。
すると、フィルは嬉しそうに、えへへと笑ってくれた。