XX 内乱
わたしとフィルは洞窟で天青石をとってくることに成功した。
重臣たちもこれでフィルを後継者とすることに納得するはずだ。
飛空艇に乗って屋敷に戻ると、みんなが玄関前で心配そうに出迎えてくれた。
そのなかにはメイドのアリスもいた。
「アリス……どうして?」
不安にさせないように、アリスには洞窟行きのことは内緒にしていたはずだったのに。
アリスは灰色の目に涙を浮かべていた。
「屋敷の他の方から聞いたんです。……どうして仰ってくれなかったんですか!?」
「ごめんね、心配させたくなかったの」
そう言って、わたしが微笑むと、アリスはこくりとうなずいて、わたしを抱きしめてくれた。
凍えそうな寒さのなかから戻ってきたわたしには、アリスの体はとてもあったかく感じられた。
アリスの姿を見ると、屋敷に戻ってきたことを実感する。
それに……前回の人生と違って、これでアリスが死ぬことも、たぶんないと思う。
アリスが洞窟で事故死するという運命は回避されたわけだ。
わたしはフィルの手を引いて、アリスと一緒に自分の部屋へと戻った。
まずは熱いお風呂に入りたい!
洞窟のなかで火を焚いて、服を乾かして体を暖めてきてはいるけれど、ぜんぜん足りない。
寒いし、体は汚れているし……。
アリスがお風呂の用意をしてくれているあいだに、わたしはフィルに尋ねる。
「フィルに聞きたいことがあって」
フィルがわたしを見上げ、不思議そうに首をかしげる。
「なに?」
「一緒にお風呂に入る? 体、洗ってあげよっか?」
わたしの言葉に、フィルは顔を真っ赤にして首をふるふると横に振った。
くすっとわたしは笑った。
「冗談。フィルをからかってみたくなっただけ」
「……クレアお姉ちゃんの意地悪」
フィルは頬を膨らませて、わたしを見つめた。
やがて、フィルもくすくす笑い出した。
……笑った顔も、可愛いなあ。
屋敷に来たときは、フィルは怯えてばかりだったけど。
少なくとも、いまのわたしの前では、こんな自然な表情も見せてくれる。
フィルはいたずらっぽく、黒い宝石みたいな瞳を輝かせた。
「もし……ぼくもお姉ちゃんと一緒にお風呂に入りたいって言ったら……どうするつもりだったの?」
「え? えっと、それは……」
フィルは恥ずかしがって断ると思っていた。
だから、フィルが「うん」と答えたときのことなんて考えていない。
「クレアお姉ちゃんがそうしたいんだったら……ぼくは一緒に入ってもいいよ?」
フィルがわたしの耳元でささやいた。
頬が赤くなるのを感じる。
……どうしよう?
今度はわたしがからかわれているみたいだった。
でも……フィルはまだ10歳だし。わたしも中身は17歳だけど、見た目は12歳。
……一緒にお風呂に入っても問題ないのでは?
フィルの小さな体を洗ってみたい気もするし、フィルとスキンシップをすれば、よりお姉ちゃんらしくなるかも……。
わたしはうなずきかけて……。
「お嬢様、お風呂、沸かしましたよ!」
アリスの楽しげな声が聞こえてきた。
そうだった……。アリスがいるんだった。
さすがにアリスが部屋にいるときに、フィルと一緒にお風呂というのはまずい気がする。
フィルもそれに気づいたのか、ふわりと微笑んで、そして、「また今度だね」とつぶやいた。
フィルに先にお風呂に入ってもらい、その間に、わたしはお父様に呼ばれて、儀式成功の報告に行くことになった。
お父様には、聞きたいこともある。
公爵執務室へ行くと、父は、いつもどおり公爵家の紋章旗を背にして、緋色の椅子に座っていた。
「ご苦労だったな、クレア」
「いえ……」
カルルお父様は、冷たく青い瞳で、わたしを見つめていた。
儀式の成功の報告にも、淡々とうなずくだけ。
いちおう、これでフィルを正式に後継者とすることができる、とは言ってくれたけれど。
「経緯はわかった。ゆっくり休むといい」
「あの……お父様。聞きたいことがあります」
「なんだね?」
わたしは深呼吸した。
お父様は怖い。威厳があって、何でもできて、そしてすべてを射抜くような瞳をしている。
それでも、わたしは父に聞いておきたいことがあった。
「お父様は……フィルが娼婦の子だって、最初から知っていたのではありませんか?」
「どうしてそう思う?」
「だって、お父様ほどの方が、自分の養子について、情報収集をしていなかったとは思えません。お父様は、わざわざ親王殿下のお屋敷に行って、フィルを選んできたみたいですし」
お父様がフィルの出生について、知らなかったとは思えない。
でも、それならなぜ、フィルを養子にしたのか。
ダミアン叔父様が言っていたとおり、「娼婦の子」だと知られれば、後継者候補として傷がつく。
もちろん、わたしはフィルが弟になってくれて良かったと思っている。
でも、公爵当主としてのお父様の立場からすれば、もっと別の子どもを養子にするほうが無難だったと思う。
お父様は、表情を変えなかった。
「理由は二つある。一つは、フィル君が聡明だったからだ。学業は優秀なようだし、年齢にしては受け答えもしっかりしていた。気弱なところは問題だが、それもいずれは克服するだろう」
「もう一つの理由は?」
「彼は娼婦の子ということで屋敷では冷たく扱われていた。そうであれば、私が養子としてこの公爵家に迎え入れれば、恩義に感じるだろう。それに、王家へ義理立てして、リアレス公爵家の利益に背く理由もない。他の王族では、こうはいかないだろう」
なるほど。
たしかにお父様の説明は理解できた。
普通の王族なら、それなりにちやほやされて育ってきているだろうし、リアレス公爵家のような辺境の貴族の養子になることを嫌がるかもしれない。
けれど、フィルはそうじゃなかった。
ただ……
「それでも、フィルが『娼婦の子』だということで、みんなが公爵となることに納得しなかったら、どうするおつもりだったんです?」
「だからこそ、天青石を手に入れる儀式を行ってもらった」
「儀式に失敗していたかもしれないんですよ。それに、あんな危ない儀式、命だって失っていたかも……」
「それなら、そのときだ。たとえ死んでも、養子の代わりなんていくらでもいる」
なんでも無いことのように、カルルお父様は言った。
やっぱり……この人にとっては、フィルは道具でしかないんだ。
ううん、フィルだけじゃない。
きっと、わたしのことも道具としか思っていない。わたしの代わりだって、いくらでもいるんだろう。
でも……
「お父様にとっては、フィルの代わりなんていくらでもいるのかもしれません。でも、わたしにとっては、フィルは……初めてできた、大事な弟なんです!」
「……それで?」
「フィルは絶対、わたしが守ってみせます。お父様がフィルを見捨てることがあっても、わたしはフィルの味方ですから」
わたしははっきりと言い切った。
そして、しばらくして……怖くなってきた。
あのお父様に楯突くようなことを言ってしまった。
わたしは震えそうになった。
……どうしよう?
けれど、意外にも、お父様は怒ったりせず、かすかな笑みを浮かべた。
「いいだろう。私の使命は、この公爵家と家臣と領民を守ることだ。そのためなら、何でも利用する。だが、クレア。私は君に、そこまでは求めない」
「ええと……」
「君はフィル君の味方でいてあげなさい。君が王太子殿下の婚約者としてふさわしい態度をとる限り、私の関知するところではない。……あと数年も経たないうちに、この王国には大きな内乱が起きる」
「え?」
「それは避けられない運命だ。だが、個人個人の運命なら、変えることもできるだろう。たとえ君が『夜の魔女』と呼ばれることになろうとも」
夜の魔女?
洞窟のなかで見た幻のなかで、わたしはそう呼ばれていた。
どうしてその言葉を、お父様が知っているんだろう?
わたしは問いただそうとした。
けれど、先手を打たれてしまった。
「それより、クレアに紹介したい人がいる」
お父様の言葉と同時に、執務室の重々しい木製の扉が、ゆっくりと開いた。
静かに、けれど上品な足取りで入ってきたのは、わたしと同じぐらいの歳の少女だった。
純白の清楚なドレスを身にまとっていた。
銀色のつややかな髪が肩までかかり、そして燃えるような真紅の瞳が輝き、わたしを見つめている。
神秘的な、驚くほどの美しさだった。
わたしは衝撃のあまり、めまいがした。
そこに立っていたのは、年齢こそ違うけれど、わたしのよく知っている女の子だった。
その子は気弱そうに微笑むと、ゆっくりと口を開いた。
「は、はじめまして……クレア様。私は……シア・マグリットと申します」
頬を赤く染めて、その子は自分の名前を告げた。
その美しい少女は、前回の人生では、わたしの親友で、そして、わたしからすべてを奪った子だった。
聖女シアだ。
これにて第一章完結です(二章の前に、あと1話幕間が入ります)!
面白かった、クレアとフィル、そしてシアたちがこの先どうなるか気になる! などなど思っていただけましたら、
・ブックマークへの追加
・すぐ下(スマホの方は広告の下)の「☆☆☆☆☆」での評価
で、応援いただけるととても嬉しいです。
宜しくお願いいたします!