XⅣ いざ、冒険へ!
大昔。
この大陸には魔法があったという。
まだ神々と人間が親しく言葉を交わし、たくさんの小さな国がひしめいていた時代のこと。
日常生活から戦争まで、すべてが魔法で行われていた。
けれど、魔法は失われた。
いま、わたしたちが生きる時代には、ほんの少しの奇跡以外に、魔法はまったく存在しない。
その代わり、この二百年でたくさん使われるようになったものが二つある。
一つは大砲やマスケット銃。戦争の道具だ。
もうひとつが飛空艇……空飛ぶ船だった。
飛空艇は、飛空石という真っ赤な鉱物を消費して空を飛ぶ。
夢みたいな機械だ。
そして、わたしたちがゴドイの洞窟へ行くためにも、飛空艇を使う必要がある。
ゴドイの洞窟は他の天青石がとれる洞窟に比べれば、屋敷の近くにあった。
それでも、屋敷から少し距離のある丘の上にあるし、真冬のこの時期には、雪のせいで歩いて行くのは難しいからだ。
今日が儀式の当日だった。
わたしとフィルは、屋敷の離れの倉庫に来ていた。
「わあ……」
わたしは思わず声をもらした。
わたしとフィルの目の前にあるのは、小さな飛空艇だった。
二人がやっと乗れるかどうか、というぐらいの小さな船。
深い茶色の船体には、多くの機械が取り付けられている。
中央にある銀色の装置が、飛空石を使う動力機関だ。
フィルは興味津々といった感じで、飛空艇を見つめている。
フィルは薄い灰色のお出かけ用の服を着ていた。洞窟みたいな危ない場所に行っても平気な機能的な服で、分厚いジャケットと長ズボンの上に防寒具を羽織っている。
着飾っているわけではないけど、それでもフィルはとても可愛かった。
華奢な体だけど、こういう格好をすると、フィルも男の子らしさが出る。
わたしも普段みたいなドレスじゃなくて、冒険用の服を着ている。
そう。
これから、わたしたちは冒険に行くんだ。
怖いけど、ちょっとわくわくする。
一方、フィルは不安な様子で、わたしを見上げた。
「クレアお姉ちゃん……これに乗るの?」
「ええ。わたしとフィルで一緒に、ね」
「ええと……お姉ちゃんが運転できるの?」
「もちろん!」
わたしの答えにフィルは意外そうに目をぱちぱちとさせた。
そして、黒い瞳をきらきらと輝かせて、わたしを見つめる。
「すごい……お姉ちゃんって、何でもできるんだね」
尊敬の眼差しで見つめられ、ちょっと照れてしまう。
飛空艇の操作は、単に飛ぶだけだったら、そんなに難しいものじゃない。
小さい頃、わたしはよく飛空艇に乗って遊んでいた。
使用人の一人が使い方を教えてくれたんだ。屋敷の庭のなかしか飛んだことはないけど、空を自由に飛べるという体験は、とても楽しかった。
でも、そのうち、わたしはほとんど飛空艇には乗らなくなった。
飛空艇の使い方なんて、王太子の婚約者が知っている必要はない。
父にそう言われて、わたしは飛空艇に乗るのをやめた。
でも……今回はそんなふうに自分のやりたいことを我慢するつもりはない。
だって、今回のわたしは未来の王妃様になるつもりなんてないんだから。
前回、王太子はわたしのことを捨てたし。今回も、きっと婚約は破棄される。
だから、冬が明けたら、飛空艇で遠くへ出かけてみよう。フィルと一緒に。
そのためにも、フィルを後継者として認めさせる必要がある。
そうしないと、フィルはわたしの弟じゃなくなっちゃう。わたしのもとからいなくなっちゃう。
もう荷物の準備もできている。
あとは、出発するだけだ。
屋敷の人たちの見送りはない。この儀式はフィルとわたしの二人だけではじめて、終わらせることに意味があるから、あえて重臣たちもここに来ていない。
心配させないように、アリスには何も言ってなかった。だから、わたしたち以外の誰もここに来ることはないはず。
そう思っていたら、後ろから呼び止められた。
「おい、ガキども」
金髪碧眼の青年がそこにはいた。
なかなかの美男子だけれど、酒に酔っているせいで、それも台無しだ。
「……ダミアン叔父様。何の用ですか?」
借金だらけのダメ人間、ダミアン叔父様がそこにはいた。
わたしはダミアン叔父様のことを許していない。
フィルのことを娼婦の子とか、役立たずとか、悪口を言った。
わたしの弟を傷つけようとした。
フィルはわたしの陰に隠れていて、ぎゅっとわたしの手を握っていた。
ダミアン叔父様はにやりと笑う。
「やめておけよ。ガキ二人で何ができる? 俺はロクでなしだが、おまえらだって無力なガキにすぎん。どうせおまえらは天青石をとってはこれないぜ」
「それで?」
「危ない目にあう前に、諦めるのも手だってことさ。このガキが当主になるなんて夢は捨てちまえ。こんなやつ、さっさと王家に送り返してやればいいんだ」
「そうやって、叔父様はいつも大事なことを諦めてきたんですか?」
「なんだと?」
叔父様が真顔になる。その青い瞳で鋭く射抜かれ、わたしは怖かった。
それでも、わたしは言う。
「フィルは次の公爵様にふさわしい。絶対にそのことを認めさせてみせます。フィルは……わたしの大切な弟ですから」
フィルがわたしの手を握る力が強くなる。
わたしも、しっかりとフィルの手を握り返した。
ダミアン叔父様はためらうように口を開けたり閉じたりしていたが、やがて「後悔することになるぞ」と吐き捨て、その場を立ち去った。
わたしはほっと、ため息をつく。
助かった。
ダミアン叔父様が怒って、わたしたちに暴力を振るおうとしたら、と思って怖かったのだ。
体は12歳のわたしと10歳のフィルではとてもかなう相手じゃない。
「フィル、怖かったでしょう? あんな悪い人の言うことなんて、気にする必要ないからね?」
「あの人……本当に悪い人なのかな」
「え?」
わたしがまじまじとフィルを見つめると、フィルは頬を赤くした。そして、「なんでもない」と小さくつぶやいた。
前回の人生では、ダミアン叔父様は酒浸りがたたって体を壊し、自邸に引きこもっていた。
だから17歳のわたしは「ダメ人間」のダミアン叔父様とはほとんど会わなくなっていた。
どこからどう見ても、叔父様はダメ人間で悪い人だと思う。
フィルの言葉の理由を、わたしは尋ねようとしたが、フィルは「忘れて」と恥ずかしそうに言うばかりで、理由を教えてくれなかった。
まあ、無理やり聞き出してフィルに嫌な思いをさせたくないし。
代わりに、わたしはフィルの手を引いて、飛空艇に乗り込む。
前後に席がわかれていて、わたしが先頭の運転席に座った。
いよいよ、出発だ。
叔父様は上手くいかないと言った。わたしたちみたいな子どもには何もできないって。
でも……
わたしは自分に言い聞かせるように言う。
「大丈夫。きっと成功するから。フィルは……わたしのことを信じてくれる?」
「……うん。ぼくはお姉ちゃんのことを信じてる」
フィルはそう言って、黒い宝石みたいな瞳でわたしを見つめた。
わたしは身をかがめ、フィルの黒い髪を撫でた。フィルは頬を赤くして恥ずかしがっていたけれど、でも、「ありがとう、クレアお姉ちゃん」と言って微笑み返してくれた。
フィルはわたしのことを頼ってくれている。必要としてくれている。
その期待に、わたしは応えたい。
わたしたちは飛空艇に乗り込み、そして、飛空艇の動力源のスイッチを入れた。
プロペラが回転し、徐々に飛空艇が浮き始める。
「しっかりつかまっててね、フィル!」
「うん!」
フィルはわたしの背中に手を回して、ぎゅっとしがみついた。いつもはわたしがフィルを抱きしめているけど、今は逆になっている。
ちょっとくすぐったくて……気恥ずかしい。
フィルの手がわたしの体に触れていて。
その体はとても小さくて、そして温かった。
いよいよ一章も終盤です。
日間総合ランキングで、一昨日、昨日と1位でした。皆様、本当にありがとうございます。
ランキングに残って多くの方にお読みいただけるよう、更新頑張ります。
面白かった方、続きが気になった方は
・ブックマーク
・評価の「☆☆☆☆☆」ボタン
で応援いただきますとすごく嬉しいです。