XIII アリスは死なない
夢を見ていたみたいだ。
はっきりとは思い出せないけど、楽しい夢だった気がする。
王太子殿下も、お父様も、シアもわたしのそばにはいなかったけれど。
でも、フィルだけが一緒にいてくれた。フィルだけがずっと一緒にいてくれるって言ってくれた。
そんな夢だった。
わたしは寝ぼけながら目をこする。
そうだ。
フィルと一緒にお昼寝していたんだっけ。
お屋敷のベッドの上に、わたしとフィルは一緒に並んで寝ていて……。
どきりとする。
すぐ目の前に、フィルの小さな顔があった。その黒くて美しい瞳が、わたしをじっと見つめている。
そして、フィルの白い手が、わたしの手を握っていた。
まるで……恋人みたいに。
「お姉ちゃん……起きた?」
フィルがそっとわたしにささやく。
わたしは自分の顔が赤くなっていくのを感じる。
慌てるようなことじゃない。
わたしは中身17歳、フィルはまだ10歳。
……だけど、なんだか、気恥ずかしい。
「フィル……その……えっと……手、なんだけど……」
「あ……ごめんなさい。嫌だった?」
わたしは慌てて首を横に振った。
嫌なわけない! むしろとっても嬉しくて……。フィルが自分からわたしと手をつないでくれたんだから。
でも、少し恥ずかしい。いつもフィルを抱きしめているわたしが言えたことじゃないけれど……。
わたしは微笑んだ。
「嬉しいなって思ったの。フィルがわたしの手を握ってくれて」
「本当に?」
「本当に」
わたしがそう言うと、フィルはぱっと顔を輝かせた。
そんなふうに喜んでくれるなら、手をつなぐぐらい、お安い御用だ。
白い頬も、小さな赤い唇も、可愛いなあ、と思う。
抱きしめたくなるけど、ベッドの上で抱きしめるのは……問題があるかも。
フィルだって男の子なんだし。
同じベッドで寝ている時点で、今更かもしれないけれど。
と思っていたら、ノックとともに、メイドのアリスが部屋に入ってきた。
わたしたちは慌てて起き上がった。
アリスはベッドの上のわたしたちを見て、「まあ」と口に手を当てて驚いていた。けど、すぐににやにやとした笑みを浮かべた。
「クレアお嬢様……王太子殿下に浮気を疑われちゃいますよ?」
からかうようなアリスの口ぶりに、わたしは肩をすくめる。
子どもが一緒のベッドで寝ていたからといって、浮気だなんて言わない……と思う。
仮に殿下が浮気だと思っても、わたしは気にする必要なんてない。
先に浮気したのは、殿下の方だ。
前回の人生で、殿下は婚約者のわたしを捨て、聖女シアを選ぼうとした。
だから、今回の人生で、わたしがフィルと仲良くしていたって、責められる筋合いはない。
どうせ、わたしはいつか婚約を破棄されるだろうし、わたしもそれで構わないと思ってる。
今回は王太子の婚約者であることなんてどうでもいい。
婚約者なんて地位に縛られず、地味で堅実でいいから、好きなように生きていきたい。
そんなことより、フィルの姉であることのほうがずっと大事だ。
それに……
わたしはアリスの顔をまじまじと見つめた。
アリスは不思議そうに首をかしげた。灰色の髪の毛と、黒いメイド服の裾がふわりと揺れる。
前回の人生では、わたしが12歳のとき、つまりちょうど今年、アリスは死んでいる。
その理由は、おそらく公爵家の当主にふさわしいことを示す儀式で、アリスがフィルをサポートしたことにある。
アリスとフィルは、ゴドイの洞窟に行って、天青石を手に入れようとした。フィルを次の公爵とするために。
そして、その洞窟での事故で、アリスはフィルをかばって死んだんだ。
前回のわたしは姉らしいことを何一つしなかったから、アリスが代わりにフィルを助けてくれたんだ。
でも、今回は違う。
フィルを助けるのは……わたしだ!
フィルのお姉ちゃんは、アリスじゃなくてわたしだから。
アリスはフィルに挨拶して、フィルも一応それに返事をした。
けど、すぐにフィルはわたしにしがみついて、わたしの陰に隠れてしまった。
わたしは微笑み、フィルの肩を抱いた。
そして、わたしはアリスに言う。
「アリス……いつもありがとうね」
「きゅ、急にどうしたんですか?」
「アリスがわたしの味方でいてくれることが嬉しいの」
アリスは少し頬を赤くして、「変なお嬢様……」とつぶやいていた。
前回の人生で、アリスはわたしの姉代わりの女性だった。
お父様もお母様もわたしに冷たくて、兄弟もいなかったから、アリスだけがわたしの家族みたいな存在だった。
わたしが困ったときは、アリスが助けてくれた。落ち込んだときは慰めてくれた。
アリスは、わたしが王妃様になる日を心待ちにしてくれていた。
でも……アリスは死んでしまった。二度と会えなくなってしまった。
もっと一緒にいたかったのに。感謝の言葉も伝えたかったのに。
でも、今、アリスは目の前にいる。
救うことができる。
わたしとフィルが洞窟に行き、フィルが公爵にふさわしいことを証明すれば、アリスが死ぬきっかけはなくなるはずだ。
でも、逆に言えば、その洞窟で死ぬのは、わたしかもしれない。
死ぬつもりはないけれど、でも、アリスにはありがとうと言っておきたかった。
わたしは立ち上がった。そして、フィルの手を引いて、書斎へ向かうために部屋を出ようとする。
洞窟について、事前に調べておかないといけない。
もし、わたしが死んじゃったら、フィルをよろしくね。
心のなかのつぶやきに、アリスは気づくことはできないはずだ。
でも、アリスはわたしの方を振り返り、呼び止めた。
「あたしも……クレアお嬢様にお仕えすることができて、本当に良かったです」
「ありがとう」
「お礼を言うのは、あたしの方ですよ?」
わたしは首を横に振った。
前回の人生で、わたしは誰からも必要とされなかった。
そんなわたしと違って、アリスは生きていれば、きっと多くの人に必要とされ続けると思う。
アリスは優しくて、冗談が大好きで、可愛くて、そして強い少女だからだ。
わたしにも、アリスが必要だ。
アリスは死なない。フィルはこの家の次期当主となる。
そして、わたしも生きて、フィルのそばにいる。
それを実現するために、儀式を成功させるんだ。
フィルがじっとわたしを見上げていた。
わたしも微笑み、フィルを見つめ返す。
「安心して、フィル。お姉ちゃんは無敵なんだから」
「無敵……なの?」
「……無敵ではないかも。でも、フィルのためなら、どんなことだってできる気がする!」
そうわたしが言うと、フィルは天使のような微笑みを浮かべて、うなずいてくれた。
きっと、儀式は成功する。天青石を手に入れて、フィルが公爵様にふさわしいと証明できる。
わたしはそう信じていた。