Ⅻ ずっと……一緒にいてくれる?
ああ、緊張した!
わたしは自分の部屋に戻ってきて、ほっとため息をついた。
フィルは天青石をとってきて、次の公爵にふさわしいことを証明する必要がある。
そのためには、フィルとわたしはゴドイの洞窟という場所にいかないといけない。
その準備をしないといけないけど……まずはちょっと休憩したい。
お父様も叔父様も、わたしは別の意味で苦手だった。二人と話して、すごく疲れた。
フィルも同じみたいだった。一緒に部屋に戻ってきたフィルは、ぎゅっとわたしの手を握っていた。
部屋の扉をぱたんと締めると、フィルがわたしを見上げた。
「あの……クレアお姉ちゃん」
「なに?」
「……ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「だって……ぼくのせいで……クレアお姉ちゃんを巻き込んじゃった。」
「フィルは何も悪くない。わたしがフィルの力になりたいだけだから。ね?」
そう言ってわたしはフィルの黒い髪を撫でた。ふわふわで、とてもさわり心地が良かった。フィルは恥ずかしそうに、でも、「ありがとう」と小声でささやく。
「ぼくは……クレアお姉ちゃんを頼っていいの?」
「もちろん! わたしはあなたのお姉さんなんだもの」
フィルはこくこくとうなずき、白い頬を赤くした。
フィルがわたしの弟でいてくれるなら、どんな危険なことだってする。
だけど……天青石のあるゴドイの洞窟という場所は、ちょっと問題がある。
その場所は、前回の人生で、メイドのアリスがフィルをかばって事故死した場所だった。
わたしは考え込んだ。
つまり……
前回も、たぶん、同じようなことがあったんだと思う。
フィルが娼婦の子であるということを知り、後継者とすることに文句を言った人がいた。
そして、それを解決するために、前回の人生でもフィルは儀式に挑戦したんだ。
そして、そのとき、フィルを介添人として助けたのが……メイドのアリスだったんだと思う。
二人が洞窟に行ったのは、フィルが遊びのためにアリスを連れ出したんだと思っていた。けど、考えてみれば、そんなわけない。
あの内気で優しくて、本が大好きなインドア派のフィルが、危険な洞窟に遊びに行くとは思えない。
もしそんなことをしようとしても、しっかり者のアリスが止めるはずだ。
たぶん、フィルを後継者とするために、アリスは儀式のサポートをして命を落としたんだ。
どうしてアリスがフィルを助けようとしたのはわからない。けど、前回の人生で二人は仲が良かった。
それに、使用人たちもみんな、ダメ人間のダミアン叔父様が後継者となりませんように、と祈っているし……
というわけで、前回と今回では、アリスとわたしの役割が入れ替わっている。
それって……要するに、アリスの代わりに死ぬのは、わたしということになるのでは?
困った。
前回の人生で、わたしは王太子に婚約破棄されて、殺された。だから、そんな運命は回避しないといけないと思っていた。けれど、それは五年後のことだった。
まだまだ時間はある。
ところが、急に死の運命が迫ってきた。
このまま、フィルと一緒にゴドイの洞窟に行けば、わたしが死ぬかもしれない。
でも、儀式をクリアしなければ、フィルは公爵家の後継者ではなくなってしまう。わたしの弟じゃなくなっちゃう。
どうしよう……?
もちろん、逃げ出すこともできる。
わたしは洞窟に行かない。フィルには王家に帰ってもらう。
自分のことだけ考えれば、それが一番だ。
目の前の危険だけじゃなくて、フィルがいなくなれば、五年後の破滅の運命も変えられるかもしれない。
でも……
フィルはここにいたいと言った。わたしを頼ってくれた。
わたしの弟でいたいと言った。
なのに、わたしがフィルを見捨てるなんてできない。
前回の人生のわたしはフィルに冷たかった。何も姉らしいことをしなかった。
だから、代わりにアリスがフィルの姉代わりとなって、フィルを助け、そして死んだ。
でも、今回は違う!
フィルの姉は……わたしだ。
わたしがフィルと一緒に洞窟に行くことで、フィルを助け、そしてアリスの死の運命も回避できる。
「前回」と「今回」は違う。
わたしがフィルと一緒に洞窟に行ったからといって、死ぬとは限らない。
二人で儀式を成功させる。そして、フィルをこの公爵家の当主として認めさせる。
フィルはわたしの弟だ。
ずっと黙ったままのわたしを、フィルが心配そうに見上げる。
「……クレアお姉ちゃん?」
いけない。
フィルを心配させるなんて、姉失格だ。
わたしはにっこりと微笑む。
「大丈夫。心配しないで。それより、ちょっと休みましょう。フィルも疲れたでしょうし……わたしも疲れちゃった」
わたしが大きく伸びをすると、フィルも微笑んでくれた。
どちらにしても、今すぐ洞窟に行かないといけないわけじゃない。
儀式は一週間後だ。
自分の部屋に帰って休んでもいいよ、とわたしはフィルに言ったけど、フィルは首を横に振った。
わたしの部屋にいたい、とフィルは言ってくれた。
それがわたしには嬉しくて。
わたしがベッドに腰掛けると、フィルもわたしの隣にちょこんと座った。
「一緒にお昼寝する?」
とわたしが冗談めかして言うと、フィルは顔を真赤にしながらも、こくりとうなずいた。
……どうしよう?
恥ずかしいって理由で断られると思ったんだけど。
10歳とはいえ、フィルは男の子だし、同じベッドというのは……まずいかな。
でも、わたしから言い出したことだし……それに、一緒にお昼寝してみたい!
結局、わたしはフィルと並んでベッドに横向きに寝た。
フィルはためらうように、わたしの服の裾をつまんだ。
わたしはフィルの白い頬をそっと撫で、フィルの宝石みたいな黒い瞳を見つめる。
フィルの長いまつげも、小さなみずみずしい唇も、白くて細い指も、ぜんぶ可愛かった。
でも、もっと大事なのは、フィルがわたしをお姉ちゃんと呼んでくれること。
こんなに可愛い弟を……奪われたりはしない。
聖女シアが現れるまでは……フィルはわたしのものだ。
「安心して……全部、お姉ちゃんがなんとかするから」
「……ありがとう。でも……ぼくは……何もできなくて……お姉ちゃんに迷惑をかけてばかりで……役に立たなくて……」
フィルは消え入るような声で言う。
わたしは静かに首を横に振った。
「フィルはわたしを『お姉ちゃん』って呼んでくれた。わたしにお菓子を作ってくれた。わたしの弟になってくれた。……わたしを必要としてくれた。だから、フィルは役に立たない子じゃないし、いらない子でもない。言ったでしょう? わたしにとっては、フィルは必要な存在なの」
「本当に? ずっと……一緒にいてくれる?」
「ええ。……フィルが望む限りは、ずっと一緒にいる」
わたしはフィルに微笑みかけ、そして、その手を握った。
フィルは一瞬びくりと震えたけど、でも、わたしの手を握り返してくれた。
その手はひんやりとしていたけれど、とても心地よかった。
たぶん、ずっと一緒にはいられない。
わたしはフィルとずっと一緒にいたいけど、それは叶わない願いだ。
わたしはフィルの姉だけど、フィルにとって、もっと大事な人がきっと現れると思う。たとえば、聖女シアだ。
もしシアがフィルを選んで、フィルもシアを選ぶなら、わたしはそれを祝福する。
そうなったら、フィルはわたしと一緒にいなくても、平気だ。
でも、いま、この瞬間、フィルのそばにいるのはシアじゃない。
フィルのお姉ちゃんの、わたしなんだから。
聖女シアは第二章で登場予定です。彼女にはちょっとした物語上のからくりがありますので、お楽しみいただければと思います。
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