第九筆『開けない扉は、破られる』
アルが扉をノックすると、扉の向こうからも数度ノックが返ってくるのが聞こえた。
その回数を指折り確認してから、アルは改めて扉を数度ノックする。
「アルです、協力者をお連れしました」
彼女がそう言ってやっと、金属音がジャラジャラと鳴り響いてから、ガチャリと鍵が開く音が聞こえ、扉は重々しく開かれた。
「おかえり、アーテ」
そう言ってアルを出迎えたのは壮年の男性、一瞬彼女の父か誰かだろうかと思ったが彼女を名前で呼ばないあたり違うのだろう。
「ただいまです、ロンおじさん」
アルは丁寧に頭を下げてから、一歩横にズレて、俺達をロンおじさんと呼ばれた男性に紹介する。
「こちらはリアさんと、タナトさん。
二人も、炎を傍らに」
その合言葉だけでどうやら深い事情を通り抜けてしまったらしく、男性は温和な表情を浮かべた。
「よろしく頼むよ。僕の事はロンと呼んでくれ。
こんな時にどうしてかな、何人もお客が来るなんて」
どうやら俺達より前にも誰か来ていたらしい。
そのお客のお陰で、俺達への警戒は少し解かれていたのだろうか。
俺はその先客に礼の一つでも言いたいと思いながら、ロンに軽く頭を下げる。
「目的は同じだ、よろしく頼む」
隣でリアも「よろしくおねがいします」と丁寧に頭を下げていた。
「砦と言う割にはガランとしているな……」
ロンに促され、建物に入った俺は広々として物があまりない空間を眺める。
見えるのは乱雑に置かれた棚と、奥に見える大きなオブジェだけだ。
「ああ、ここは元々教会で、この場所は礼拝堂なんだ。
本当は椅子や棚があったんだけれどね、今は殆どをこの地下にある仮の居住スペースに下ろしたんだよ」
ジャラジャラとした音に混じってロンの声が聞こえる。
振り向いて見てみると、扉を簡単に開けられないよう扉の周りに打ち込まれた杭に鎖を巻きつけていた。
木製の扉にどの程度の効果があるだろうと考えたが、アルが砦と言うからには何か訳があるのだろう。
俺がよく知る十字架も無ければ、何を祀っているのかも分からなかったが、この場所が教会だという事が関係しているように思えた。
「破られませんか……? それ……」
俺があえて黙っていた事をリアが心底心配そうに尋ねる。
何とも酷な事を聞くものだと思ったが、ロンは笑いながらこちらを振り返る。
「これは僕ら人間から見れば木の扉だけれど、悪魔にとっては信仰心の壁なんだ、信仰を絶やさない限り悪魔には開けられない。だから悪魔避けであればこんな扉でも良い。ただ……」
笑顔を曇らせ彼が目を伏せる理由は、俺達が壊せそうだと思った理由とそう遠く無いだろう。
つまりは人間なら壊せるのだ。
「さっきアルから聞いた、悪魔側の人間か……」
俺がそう言うとロンは頷く。
「破られた事はまだ無いけどね、さっき君はここがガランとしてるって言ったろ? それはこの場所は破られた時の戦闘を想定しているからなんだ。
此処から一枚でも扉が見えるかい?」
そう言われて礼拝堂を見回すと、確かに今いる入り口からは扉が一枚も見えない。さっきロンが言った居住スペースとやらの入り口も勿論見つからなかった。
「雑に見えて、隠してるんです」
アルが笑って礼拝堂の奥へ進む、ロンも頷き、付いてくるようにと頭を上に振った。
その空間を少し進むだけで、砦と言う理由が少しだけ理解出来た気がした。
乱雑に置かれた棚の一つ一つに、数本ずつではあるが矢が置かれている。
そしてその棚はレンガで固定されており、簡単に倒れそうも無い、要は隠れつつ矢を撃ち込めるような、道具入りの遮蔽物があるという事だ。
確かに、全ての棚の裏に射撃手を配置したならば、入り口は単なる的でしか無いだろう。
「弓の使い手が多いんですか?」
リアが歩きながらロンに聞くと、彼は大きく頷く。
「ああ、大体は弓だ。お嬢さんみたいな剣を扱う人はあまりいないね。
けれどそういえば、この前訪ねて来た彼らも剣や不思議な道具ばかり持っていて弓の使い手はいなかったな」
「その彼らっていうのは?」
少し嫌な予感がしたが、聞かないわけにはいかなかった。
そしてその口ぶりから、彼らが此処にいない事が何となく分かったから、尚更聞きたくはなかった。
「あぁ、名前はウィルって言ったかな。
数日前、この教会を訪ねて来てね、しつこく頼み込まれて食料を少しだけ分けたんだ。
残念ながら、中に入れる事は出来なかったけどね」
「その時はこの礼拝堂の中も大騒ぎで臨戦態勢でしたよ」
ロンとアルが何気無く教えてくれた情報が、俺とリアが何よりも必要な情報だった。
予想が当たってしまう、この所謂安全地帯に入る事を断られるべきは、俺達じゃなかったのだ。
ウィルとその仲間一行はこの場所にはいない。
"なら何処へ"と聞きたい所だったが、それよりも先に聞きたい事があった。
「その、彼らが入れなくて俺達が入れる理由は?」
「炎を傍らに」
ロンは少し冷たく感じる口ぶりで、さっきアルが言っていた言葉を繰り返す。
「彼らは炎を起こす手段を切らしていた、それだけさ」
そう言い放ったかと思えば、俺達の方を振り向いて優しい声を出す。
「君達は、持っているんだろ? 同胞が言うなら問題無いさ」
徹底している、徹底しすぎているようにも思える。
それなのに、同胞が言うからと俺のライターすら見ていないのに信用されてしまっている。
その噛み合わなさに疑問を抱きながら、彼の後をついていった。
彼はこの場所を教会と言ったが、何を信仰しているかまでは分からない。
まさか炎でも崇拝しているのだろうか。
ただ、そんな事よりも、まずい事が起きる予感が走る。
俺は少しだけ歩を緩めてリアに耳打ちする。、
「なぁリア、此処、ヤバいかもしれない」
リアも此処にウィルがいないと聞いた時からその歩並を少し緩めて、ロンとアルから距離をとっていた。
「……その心は?」
―――物語に於いて、一度も破られた事が無いと言われる扉は、破られる為に存在している。
「開けない扉は、破られる」
説明するにはそれだけで良い。
「開くまでに、何とかするぞ」
リアは声を出さずにその首を縦に振って返事をする。
物語に於いて、主人公を冷たくあしらう人間はその報いを受ける事が多いという事は黙っていた。
ロンは少なくとも俺達に対しては優しい目を向けてくれている。
信用出来るかと言われると難しいが、まだ聞くべきことはあるはずだ。
俺達が広い礼拝堂のオブジェの前に来た時、靴音に混じってノックの音が響いた。
「先に行ってなさい」
ロンはアルにそう告げると入り口の方へと小走りで向かっていく。
アルは男性を模した大きなオブジェの横を通って、そのオブジェの裏へと歩いていく。
誰が入ってくるのか気になったが、言いつけられたままに俺達を案内するアルの手前、俺達は黙ってついていった。
まさか、扉が破られるのが今では無いだろうなと緊張しながら、オブジェの裏にあった階段を降りていく。
チラリとバッグに目をやるが、光が漏れていない事から問題が起きるのは今では無いのだろうと息を整えた。
だが、階段を降りた先に広がっている光景を見た瞬間、その安堵は跡形もなく消え去る。
「これって……」
リアが絶句する、その隣でアルは首を傾げている。
小部屋が沢山あると言えば、聞こえが良い。
居住スペースだと言えば、聞こえが良い。
だが、その小部屋の一つ一つに、中からは出られないように何本もの鉄棒が刺さっている。
そして入り口から見えるそのどの部屋の中にも、横たわった子供の姿があった。
「牢屋、か……」
礼拝堂の下に広がるそれは、巨大な地下牢。
これで悪魔を崇拝していないのなら、一体何を崇拝しているというのか。
「ちょっと待って下さいね、今空いているお部屋は……」
まるでこの環境が当たり前のように、アルは鍵が大量に小分けされている箱から鍵を探していた。
そうこうしている間に、後ろから一つの足音が聞こえた。
「あ、ロンおじさん来たみたいですね。
おじさんならすぐ分かるはずです」
そう言ってアルは朗らかな笑顔を浮かべる。
その笑顔とこの状況の歪さに当てられたのか、リアが口元を軽く抑えて、後ろを向くのが見えた。
足音は次第に近づいてくる。
その足音が一つなのがどうにも腑に落ちなく、俺はリアを心配するように寄り添い「警戒しろ」とだけ伝えて足音の主を待った。
だが、その足音の主は、さっきと何の変わりもなく笑顔のままのロンだった。
「おじさん、誰でした?」
アルが聞くとロンは笑って答える。
「あぁ、悪魔憑きだったよ。
何度も大丈夫ですとは言ってたんだけどね、ノックの回数が違った。
救難信号を出してたから様子を見てたら案の定悪魔に殺されていたよ。
悪魔憑きの時は救難信号出すなって言ってるんだけどねえ」
そう言ってロンは笑う。
―――いや、嗤っている。
「悪魔憑きって……」
リアが小さく零すと、ロンは嗤う。
「よくいるんだ、斥候に出た時に悪魔に脅されてあの扉を開けさせようとする悪い子が。
捕まったら隙を見て自殺しろって教育しているんだけどね。
最近は悪魔も考えるもんで、最近は上手く生け捕りにして動けないまま連れてくるんだよねえ。それが悪魔憑き、信仰の前に跪いて滅すべき存在だよ」
要はこの場所にも、人の皮を被った悪魔がいるわけだ。
―――こんなの、物語の主人公が受け持つべき事じゃないか。
俺は拳を握り締めるが、それを制するようにリアの震えた声が地下牢に響く。
「じゃあ、アルちゃんは……どんな合図を?」
リアは、最後まで信じたかったのだろう。
だから、その言葉の答えを、待った。
鞄からうっすらと赤い光が漏れる。
「私は……」
アルの顔が曇る。
ロンの顔が、歪む
「この子がしたのは、捧げ物があるというサインですよ。
じゃなきゃ、こんな小娘、神聖なこの教会に入れるわけがないじゃないですか!」
リアは自身が吐いた一瞬の溜息を切り裂くように剣を抜く。
だが、それを見てアルが叫んだ。
「リアさん、やめて!」
俺達は、この地下牢が暗いから気付かなかったのだ。
礼拝堂のあの棚に隠れて弓を射ると聞いていたのに、入り口は的だと思っていたのに。
リアがそっと剣を鞘へと仕舞い、両手を上げた。
俺もそれと同じく、敗北を両手で表現する。
鞄から漏れる赤い光は、リアが剣を抜いた頃には周りを照らす程になっていた。
それでやっと俺達は、どうあっても逃げようも無い程の矢が、こちらを向いているのに気付いた。