第八筆『あの子の名前、無かったな』
アル・アーテという少女が想像以上に礼儀正しく、そして謙虚で自分に自信の無い子だということは、彼女に連れられこの街の最後の砦だという教会に連れて行ってもらう間の会話で充分に理解出来た。
聞くと歳は十六歳だと言う、その小柄な体型のせいかもう少し子供に見えたので少し驚いた。
薄茶色の髪をポニーテールでまとめている彼女の目は綺麗な琥珀色をしていて、その出で立ちから獲物を狙う肉食動物に見えた、とはいえあくまでその片鱗が見え隠れする程度だというのが妥当なところではあったが。
「運で生き延びたって言ってましたけど、少なくとも弓の技術は確かな物だったと思うんですが、そんな事も無いんです?」
道すがらリアがあっけらかんと聞くと、アルは少し困ったような顔をして、取りやすいように腰に引っ掛けてある弓を握った。
「狙いは外しません、きっと。
ですが、それだけなんです」
射撃には自信があるように聞こえる発言だったが、その表情に自信は現れていなかった。
アルはおそらく戦闘自体を総合力で判断しているのだろう。
であれば、確かに敵に気付かず背を向けてしまっていたさっきの戦闘にも納得がいく。
「一人ぼっちは、苦手なんです」
寂しそうに呟くアルの頭を、リアがくしゃりと撫でた。
リアの歳は聞いていないが、まだ二十歳にもなっていないように見える。
だが、何か思うところがあったのかもしれないし、庇護欲か何かが湧いたのかもしれない。
「なら、私達とチームを組めばいいじゃないですか。
私は強いですよ。だから、大丈夫」
リアは確かに強いと思う、けれど彼女のその言葉にも強い自信は感じなかった。
それでも、その言葉はきっとアルにとって心強い言葉だったのだろう。
アルは嬉しそうに頷く。
「ありがとう、ございます……」
そう言うアルの肩をポンと叩いて、リアは俺の傍に来て俺にしか聞こえないように囁いた。
「巻き込んじゃったのは、きっと私達です。
本来は物語の前線に立つ子ではなかったはず。
せんせ、本の登場人物の頁見ました?」
「ああ、見た。
あの子の名前、無かったな」
アル・アーテの名前は登場人物の欄には存在していなかった。
『常ノ魔』の人物紹介頁のウィルという主人公の周りには、数人の主要人物の名前が存在し、それぞれの簡単なプロフィールが記載されていたが、その中にはアル・アーテという名前は存在しなかった。
名前までは記憶していないが、射撃手は男の名前だったように思える。
つまり、このアル・アーテという少女は俺達がこの世界に来た事によって付け加えられた、というよりも物語の登場人物に書き加えられる事となった、ある意味での被害者なのだ。
「でも、俺達が出会わなかったとしてもあの子はこの世界にいたんだよな?」
「それは勿論、いたと思いますよ。
でも、場合によっては一言も言葉を交わさずに、悪魔に殺されていた名も知らぬ人だったかもしれない」
俺達の会話が気になったのか、前を歩いていたアルがこちらを振り返って不思議そうに首をかしげる。
「どうしました?」
アルのその言葉に、俺は軽く笑みを浮かべながら手を振った。
「んや、ちょっとした作戦会議さ」
そう言うと彼女は流石に俺達の方が年上だから気を使ったのか「頼りにしてます」とだけ言って俺達の前を歩き始めた。
リアは少しだけ申し訳無さそうに表情を曇らせて、俺に耳打ちする。
「守ってあげたいですけどね……」
その表情から、何となく彼女が言わんとしていることは分かる。
アルはそもそもこの世界の戦力として数えられていない存在だ、弓の技術が高いとは言っても、判断力や戦闘経験に欠けているのは素人の俺の目で見ても分かった。
共に戦うのであれば主要人物の頁の人間にコンタクトを取るのがてっとり早いのは間違い無い。
けれど、俺達はこうして出会って、共に歩いている。
結局は、俺もリアも何処か似ていて、簡単に情に流されている。
運だけで生き残ってきたと苦笑した少女の、その運を途切れさせてしまう事を良しとは思えなかったのだ。
「打開策はあるさ。だって主要人物達はこの物語を主人公を中心として構築されているんだから」
そう言うと、リアはハッとした顔をする。
「あぁ、そういう考え方、したこと無かったです」
「俺達の主要人物が、彼女だと思えばいい。
俺はともかく、リアとの相性はきっと良い。
パーティー構成としては間違ってないだろ?」
コクコクと頷いてリアは、気にしないようにしつつも耳だけがこちらを向いていそうなアルの方に歩み寄る。
「私達、三人の役割、決めましょっか」
リアの言葉に、アルは顔をパッと明るくして、すぐに明るい返事を返した。
三人というか、俺が戦力に数えられるのは疑問だが、それもいい加減に考えなければいけない。
火炎瓶のような物が作れるならもしくは、と考えたがこの街を火の海にするのも気が引ける。
俺は俺で、考える事は多そうだ。
「持っている武器を見れば分かるっちゃ分かると思うんですが、私は近接を担当します。
一応さっき使った短刀を投擲武器として使えますが、基本的に私の遠距離戦闘は当てにしない方が良いです」
一度目も二度目もそうだったが、投げる度に短刀を回収するのは中々の手間だ、その分隙が出来るのも間違い無い。
その言葉を受けて、アルは背中にある矢筒から一本だけ矢を出した。
「私の場合は、逆に近くの敵はからっきしです……。
狙いは、なるべく外さないつもりですが、私よりも強い射撃手の方が数人いるので、武器はあまり……」
そう言って、何度も使われて来たのだろう、矢尻がくすんだ矢をこちらに見せる。
本来の用途と違う短刀はともかくとして、矢を使いまわしているのは、流石に可哀相に思えた。
「それと……」
アルは俯きながら言いかけるが、リアがその言葉を遮った。
「大丈夫、周りは任せて。
私か、タナトさんが注意して見ています。
アルちゃんは、確実に悪魔を撃ち落とすことだけを考えてくれて大丈夫」
アルの弱点にはリアも早々に気付いていたようで、フォローを入れる。
その言葉にアルがどれだけ信用をおけるかは分からないが、少なくともその言葉は心強いだろう。
「アル……でいいか? 君が向いている方向に対して、時計の針の方向で指示するよ」
「ん、大丈夫です。後ろであれば六時の方向って事ですよね? タナト……さんでいいですよね?」
少しだけ思い切った呼び捨ても『指示の方向について』もすんなりと把握してくれてありがたい。
けれど『タナト』とペンネームで呼ばれるのはどうにも慣れなかった。
リアの場合は「先生」だの「せんせー」だの「センセ」だの言うのでまだ聞きやすいが、これも慣れるしか無いかと一人ゴチて「ああ、それで大丈夫だ」と笑った。
「それで、せんせーの役割ですが……」
リアは何とも言いにくそうにこちらの方を見る。
「まぁ、早めに考える。
此処だけの話だけれど、悪魔の血液を集めておくのも手なのかもな。
気持ちの良い方法かと言われたら、間違いなくそうではないが」
俺の言葉に、アルが少しだけ不安そうな目をする。
「えっと……、此処から行く教会には心底悪魔を憎む人達が集まっていますので、出来ればバレないようにした方がいいかもです……。
炎を使う手段は限られていますが、それでも悪魔の血や武器を使う事は禁忌とされていますので……」
そう言われると何とも困る、残忍な方法だとは思いつつも実はそこそこ当てにしていた。
「備蓄は少ないですが、油はあります。
おそらくその炎を出す道具を見せたなら、分けてもらえるはずですので……」
それを聞いて安心した。
自分で言って置きながら血を集めるなんてのは、それこそ悪魔の所業のようにも思える。
それでも、あの燃焼力は油に出来る物では無いのは確かだ。
「分かった。けれど、俺達三人だけの時は血を集めてもいいか?
なりふり構っていられない時が、来る気がするんだ。
勿論、バレないように細心の注意を払うよ」
不吉な言葉だとは思ったが、それくらい用心しなければと思った。
それ以上に、何も出来ない自分も嫌だった。
彼女達がその手を血で汚すなら、俺もその手を血で汚そうと思うのは、きっとおかしいことじゃない。
「……分かりました。
死ぬよりは、きっとマシです」
アルはそう言いながら、立ち止まる。
歩きながら気になってはいたが、そこには想像以上に大きな石造りの建物があった。
丁度、広場を一望出来る場所。
真正面に目を凝らすと、俺達の小屋が小さく見えた。
「着きました。
この場所が、私達の最後の砦。
悪魔が入れない唯一の場所です」
出来れば、中にいる人達が快く俺達を受け入れて欲しいものだが、この場合は一悶着があるのだろうと思いながら、俺はアルが自身の背丈よりもずっと大きな建物のドアをノックするのを見ていた。